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緑色の青信号が、淡い青色に見えた話⭐︎日本人の青と緑と言葉の変化⭐︎灰色の世界と幸せ


緑色なのに青信号というのはなぜ?

 日本の道路にある交通信号は、緑色だけど青色である。なぜ緑色なのに青信号というのか?

交通信号が登場した昭和初期は緑色信号と呼んでいたが、後に青信号と呼ばれるようになり
法令まで青信号と表記されるようになった説

赤の対極にある色は青だから説

日本語の「青」という言葉が示すの範囲が、緑色も含まれるとかいう、日本人は青と緑を区別しない説

どうやら緑色信号という言葉が日本人に定着せず、青信号の方が定着してしまい、法令まで変わってしまったというところか。

私たちの使っている日本語
学校で習った古文の日本語と現代の日本語は、随分と変化しているが、

現代の日本語だって、私が若かった頃と現在では変化しているものがある。

「全然いいよ」は、間違った言い方?

例えば、
「全然いいよ」

私が若い頃、この言い方はおかしい
全然は否定にしかつかわない
※「全然〜しない」など

だから訂正しなさい、などと言われた。

ところが、、、
今は間違いではないという。

私は、そうか、みんなが誤用し続ければ、それは正解になるんだな

そう思っていたが
どうやら、
「全然いい」は、元々普通に使われていたのにも関わらず
誰かが、最近の言葉は間違ってる!正しい日本語を使おう、みたいな感じで「全然いい」間違い論を広めて、
私のような真面目な人間が信じて知ったかぶりをしていただけのようだ。

日本語の辞書、広辞苑だって10年ごとに改訂されている。
新語も多いが、死語もあり、使われ方だって10年も経てば変化しているのだろう。

若者言葉やネットスラング、世代や地域によって言葉や使われ方は違うのだからどんな分厚い辞書でも掲載しきれないだろう。

ビジネスマナーとしての言葉遣いだって、
「それ間違ってるよ」
って言われても、
かつては普通にみんな使っていたもので、だから私も真似して使っていた、なんてものがある。

青信号が本当に青く見えた日

さて、青信号の話に戻るが、
私は先日、青信号が緑ではなく、本当に青色に見えてしまったという体験をした。

いつもの朝の通勤時間。
東に向けて車を走らせていると、太陽が眩しい。
特に冬の日差しは強く差し込んでくるので前方が一瞬見えなくなるから気をつけている。
美容のためにも、紫外線には要注意だ!

だけど最近、太陽信仰とか日本神話とかへの関心が深まり、
太陽の光を浴びると
なんだか気分も晴れたり幸せな気分になることが多くなり

太陽の強烈な光を感じていると
世界中に太陽信仰があることも
古の日本人が天照大御神を最高神としたことも
分かる気がしてくる。

そんな思いに調子に乗った私は、
信号待ちの停車中、
多少はUVカットされているフロントガラス越しとはいえ、サングラスもかけずに
太陽の光をまじまじと見つめてしまった。

※危険な行為なので、決して真似しないでください!

太陽の光を直接見ると目に良くないことは承知だ。でも、太陽をもっともっと感じたかった。
あるいは、見てはいけないと言われると、見たくなってしまう心理が作動したか?

するとどうだろう。
私の見えている世界の色が変わった。

特に、信号機の色が大きく変わる。
緑色だけど青信号と言われるその色は、
日常目にしている緑ではなく、淡い青色に変わっていた。

お〜すごい!
と、同時に
これはマズイ!

ほんの少しの間ではあったが
私の目の前に異色の色彩世界が広がった後
いつもの世界が戻ってきた。

勿論、運転中にこんな危険なことをしてしまったことは深く反省している。
後で確認したけど、太陽の光を直視することは
本当に目を痛める。
太陽の光を浴びることは視力回復につながるという話もあるが、直視ではないだろう。
もう二度とそんなことはしないつもりだ。

だけど、あの淡い青色信号は
私の記憶の中に残されている。

あ〜、
日本人が青と緑を区別しなかったのも
うなずける。
そんな気もした。
※なんの根拠もなしの勝手な想像

古の日本人が見ていた世界の色を想像して、今と同じ言葉を当てはめても、
それは少し違うのかもしれない。

さらには、

自分が見えている(と思っていた)世界なんて
自分がそうだと思っている世界に過ぎないのかもしれない。
この世は仮想世界なんていうのもまた、
うなずける気がしてしまった。

世界の色が灰色に見えた記憶

そして、
もう一つ私の過去の記憶が蘇ってきた。

私にはかつて
世界がモノクロに見えたことがある
という記憶がある。

あまりよく覚えていないのだが、
目がおかしくなったというより
心というか脳が、そう感じていた?
そんな記憶だ。

色が識別できなかっというのではなく
ずっとモノクロ世界が続いていたかも覚えていなくて、
ただ、
世界の色が灰色に見えた
という記憶と、イメージだけが残されている。

精神科医によると
それは危険な状態らしい。

実際、その頃の私は
本当に本当に大変な時期であった。

幸せとは気づくもの

あれから20年以上経つが
今の私はどうだろう。

辛くて悲しくて大変な時期を
とにかく一生懸命乗り越えて、
幸せになりたいと
一生懸命頑張り

そうして
今の私に一瞬見えた世界の色は

捕食残像なのか
なんなのかは知らないが
ちゃんと淡く美しい色があって

そこから
太陽の恵みや、古の日本人の思いを
しみじみと感じる穏やかな日々がある。

ちょいちょい変なことをやらかしてしまう
そんな自分も
ちゃんと受け入れる心の余裕もできた。

願うものでもなく、
追い求めるものでもなく

気づくものだという幸せが、
今ここにあることに感謝をしている。

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