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筑豊電鉄と平成筑豊鉄道 福岡のローカル線巡り


筑豊電気鉄道

筑豊電鉄は黒崎駅と直方駅を結ぶ名前の通り電車。開業当初から北九州市内を走る西鉄北九州線の路面電車へ乗り入れる路線だったため、16㎞の路線に21駅と駅数は多く路面電車タイプの車両が走る。ちなみに車両だけで現在は道路を走る区間は無い。

黒崎駅前のバスロータリーに隣接。

開業は戦後1956年と新しい。もともとは私鉄の西鉄が北九州市と福岡市を筑豊経由で結ぶ電車線を計画したことに始まる。今のJR鹿児島本線や筑豊本線はかつて長距離列車や石炭貨物列車重視の運行だったため北九州市内通勤通学移動や、福岡市や筑豊地区相互の短距離を移動する需要にこたえられていなかった。西鉄は北九市内に現JR鹿児島本線と並走するように西鉄北九州線の路面電車が走らせ、24時間眠らない重工業都市を支えていた。

そして黒崎から福岡を目指し中間・直方方面へ延伸していったのが西鉄子会社として設立された筑豊電気鉄道。しかし、1968年国鉄が先に福岡市と筑豊を直接トンネルで結ぶ篠栗線が開通させてしまう。

そのころにはモータリゼーションの時代が始まり、北九州の工業、筑豊の鉱業などが斜陽になりつつなる時代の流れで、資金不足も解消できず計画は頓挫することになる。逆に路面電車の西鉄北九州線は徐々に廃線となり、2000年までに現筑豊電鉄を除く全路線が廃止となっている。そして最後に残っているのが現在の黒崎と直方間の路線となる。

筑豊電鉄線はJR筑豊本線と並走はしているものの、遠賀川を挟んで利用者の棲み分けはある程度できているよう。特に中間~黒崎間は本数が多くラッシュ時は5~10分間隔、昼間でも15分間隔で運行されていて、路面電車の見た目通りバス路線の感覚。休日の朝でも席が埋まるくらいそれなりに利用者が多いと感じた。

一方で路線は路面電車とは思えない、丘陵地帯に広がる住宅街をかき分けて進む。終点の筑豊直方駅の手前では遠賀川を鉄道橋で渡るなどおよそ路面電車とは思えない感覚。

遠賀川。路面電車からの景色ではない。
筑豊直方駅手前の橋を望む

筑豊直方駅はJR筑豊本線の直方駅とは徒歩10分程度で、直方市中心部の少し外れにある。

駅前には何もない高架駅。
もともと直方を越えて飯塚や福岡を目指していたわけで、線路の延長には駐車場となっている筑豊電鉄用地と思われる空間が広がっている。もちろん近年はせめてJR直方駅への乗り入れでもと構想もあるようだけど、人口減の今の時代にはちょっと厳しいかな。

西鉄北九州線でも元々小倉軌道線として誕生した北方線は、今はモノレール線として置き換わっている。モノレールの開業は1985年。モノレールに乗ったことなくても、JR小倉駅の駅ビルに突き刺さるモノレールはなかなか目を引くと思う。北九州の丘陵に広がる住宅街、小倉競馬場、旦過市場、小倉駅のビル街など、変化にとんだ景色を楽しめる。

モノレールの起終点の企救丘は、JR日田彦山線の志井公園駅から徒歩5分程度の乗り継ぎ。周辺はマンションが並ぶ新興住宅街なのにJRの方は化石が走ってるアンバランス感。
車両基地を駐車場にして通勤利用してもらう施策。ラッシュの渋滞を回避できるし。
丘の斜面を階段式の集合住宅にそのまま使うとは。
小倉競馬場
旦過市場、火事で一区間更地になってますね。
近未来的な小倉駅


平成筑豊鉄道

金田駅

平成筑豊鉄道とは福岡県筑豊地域の旧国鉄路線が分離された直方と田川伊田を結ぶ伊田線、伊田線の途中駅の金田と田川後藤寺を結ぶ糸田線、田川伊田から行橋を結ぶ田川線を運行する第三セクター線。

3路線とも人を運ぶことよりも筑豊の石炭とセメントを北九州の戸畑港や、周防灘の苅田港へ運ぶために敷設された路線。明治から戦後高度経済成長に至る日本の工業化を支えてきたものの、時代の移り変わりとともに貨物も利用者も減少し、国鉄末期に赤字路線として切り離しが決定された。JR発足後の1989年1月7日、同社も社名が決まる日でもあったなか元号「平成」が発表されるやいなや急遽発案され「平成筑豊鉄道」という社名が誕生したらしい。

JRの筑豊本線、後藤寺線と合わせて筑豊の中心都市である飯塚、直方、田川を三角形に結ぶ路線ながらもの北九州・福岡と直接連絡していなかった現平成筑豊鉄道3路線との明暗を分けたのか。第三セクター化後には本数を倍増させ、駅を増やすなど地域の人が利用しやすくしている。

伊田線

伊田線は直方と田川伊田を結ぶ平成筑豊鉄道で一番本数も多く、一番古く、利用者も多い主要路線。なんとJRから分離する前から全線複線していていかに石炭が重要だかがわかる。今ではほぼ1両編成のディーゼルカーが走る、ロマン以外の何物でもない路線。途中の金田駅は平成筑豊鉄道の本社と車両基地があり、糸田線が分岐している。1時間に1~2本とローカル線の中では本数も多め。

さりげなくすれ違っているのは、水戸岡デザインのレストランメインの観光列車のことこと。

糸田線

糸田線は金田と田川後藤寺駅を結ぶ路線でこちらは単線。終点の田川後藤寺駅と、田川線の田川伊田駅はJR日田彦山線で1駅隣の複雑な路線網になっている。

糸田線車窓から見えるのは、三井鉱山(現麻生セメント)の石灰岩鉱山。金田駅からは三井鉱山専用線も分岐していた(2004年に廃止)。
伊田線の複線+糸田線の単線計3つの非電化線路が並ぶ異様な空間。
田川後藤寺駅も大概貨物列車が多数行きかっていただろうに駅の土地を持て余している。
衰退の象徴

田川線

去年かにJR乗りつぶしでも来ている田川伊田。副駅名はネーミングライツ。
見ればわかる複線の跡
左がJR日田彦山線

他2路線は腐っても市街地を走り北九州を向いているのに対して毛色が異なり、周防灘を目指し本格的な山間部を通るローカル色強めな路線。途中の源じいの森駅と崎山駅の間にある第二石坂トンネルは1895年築の九州最古の鉄道山岳トンネル。

大坂山というらしい、筑豊と京築(福岡県南東部周防灘沿いの地域)の境目
このトンネルが九州最古の山岳トンネル。
短いけど近代化遺産です。

源じいの森駅は森林リゾート的な場所でキャンプ場と温泉施設がある。今回途中下車して駅前の食堂で昼飯も食べて、温泉入ってきました。

源じいの森駅前の定食屋。優しい安心できる味で、観光客や付近の工事現場の作業員なんかで並ぶくらいの盛況ぶり。
色一文字駅名シリーズ
彼岸花
終点の行橋駅は日豊本線の主要駅で、特急も停まる。

ちなみに平成筑豊鉄道の1日乗車券を買うと源じいの森温泉(か金田駅のおうじょう温泉藤の湯の里のどちらか)に無料で入れる。直方から行橋まで片道普通に乗って990円のところ、1日乗車券は1000円+600円相当の温泉が無料というぶっ壊れ価格。私がこの日利用した筑豊電鉄と平成筑豊鉄道共通1日乗車券1500円では温泉特典は無いので、別々に買ったほうがお得だったという罠でしたね。

水戸岡デザインの観光列車ことことは、ツアーで食事つきコースのみ。

この日2回すれ違いました
つり革メッセージなんかも
このキャラクターは平成筑豊鉄道のキャラクターのちくまる。どことなく都バスのみんくるシートを彷彿とさせる。


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