青森の私鉄 津軽鉄道と弘南鉄道制覇
青森県内を走る津軽鉄道と弘南鉄道に乗車。これを持ちまして東北地方の鉄道路線を全制覇しました。
前日の土曜日は秋田から北上してきて弘前駅前に宿泊していて始発で出発です。
弘前駅を始発のJR五能線直通列車に乗車して、五所川原を目指す。五所川原は津軽半島の付け根にあるこの地域の中心都市で交通の要衝。とはいえ駅前はなかなかの寂れ、レトロっぷりです。
津軽鉄道線はJR五能線の五所川原市は五所川原駅から北へ旧中里町の津軽中里駅へ至る20.7km、12駅の路線。途中金木駅のある旧金木村・金木町(現五所川原市)は太宰治と吉幾三の出身地で、なんと文学的な路線でしょうか。
JR五能線の前身となる地元資本の陸奥鉄道が奥羽本線川辺駅から五所川原方面へ分岐する路線を建設し、その後陸奥鉄道線は国鉄に買収、その利益で当時の金木村、中里村を目指して建設されたのが津軽鉄道線となる。開業は1930年の夏。太宰治は1930年4月に東京の帝国大学に入学しているので上京に間に合わず。
こんな地方のローカル線ではあるものの自治体が資本参加していない私鉄となる。もちろん補助金などは受けながらも独自路線で運営されている。特に冬のストーブ列車は象徴的存在になっている。いつか乗りに行きたいとは思っています。
津軽中里から先津軽半島の小泊など、現在のJR津軽線の三厩などにいたる構想はあったものの実現には至らず、さらにJR津軽線も蟹田以北の三厩までの区間は2022年の豪雨により罹災し、結局2024年5月に鉄道での復旧を断念する結論に至ってしまった。
往路は終点の津軽中里まで私1人、津軽中里から折り返しでは2人ほど乗車があって、そのあとは金木からは数人、以降は結構1駅1人くらいのペースで乗車がありました。一方で、金木駅ですれ違った下りは乗客0。
次は弘南鉄道の大鰐線に乗るため五所川原から弘前へ戻る。弘南鉄道の大鰐線が出るのはJR弘前駅から1.3kmほど離れた中央弘前駅から。中央弘前駅は名前の通り弘前市の中心市街地に隣接し、JR弘前駅から弘前城のちょうど間くらいの立地。徒歩だと15分くらいだけど、今回のバスではJR弘前駅からの路線バスも利用できるので乗ってみました。と言いつつ中央弘前駅は弘前中心市街地を流れる土淵川の土手で大通りに面しているわけでもなく、駅に直結する路線バスはほぼ無く中心部のバス停で下車して少し歩きました。
弘南鉄道は弘前市を拠点として、大鰐線と弘南線の電車2路線を運営する私鉄会社。これから乗る大鰐線は弘前市の中央弘前駅から大鰐町の大鰐駅まで13.9km、14駅、全線単線の電車の路線。朝ラッシュを除いて1時間に1本のローカル線。沿線はりんご畑が広がることから、りんご畑鉄道という愛称が付けられている。実際、手が届きそうなところにりんごの木がひたすら広がるところを走っていて、さすがりんご大国津軽を感じさせる。
開業は1952年と比較的遅め。弘前市は津軽藩の城下町として東北で最初に市制移行した6市(他仙台、盛岡、山形、米沢、秋田)の1つである主要都市で、明治には陸軍第8師団が設置され、戦後跡地には弘前大学など学校が多数設置されるなど旧市街地中心からみて南部の発展、さらに国鉄奥羽本線は長距離列車や貨物列車主体で通勤通学利用には使えないことから、弘前南部方面への都市交通として弘前電気鉄道株式会社によって開業した。
しかし高度経済成長でモータリゼーションとなり、どこも変わらず利用者の減少で経営難となり、1970年早々に同じ弘前市を地盤とする弘南鉄道に事業譲渡されることになる。その後も利用者は減り続け、弘南鉄道の基幹路線の弘南線と比較すると惨憺たる状況で、バス転換なども検討もされながらも中途半端に利用者も多くてすぐには廃止できないし、現時点は弘前市と大鰐町の支援が2026年まで実施されることは決まっていて、その後も継続せざるを得ない状況になることが予想されている。
実は前日の夜に秋田内陸縦貫鉄道乗車後。鷹ノ巣駅から移動してきた際に大鰐駅から逆方向に乗車済み。この列車はねぷた列車で、照明が落とされてりんごねぷたが揺れるなかなか幻想的というか、経験したことが無い雰囲気でとても良い空間だとは思いました。しかし土曜夜で上りとは言え、利用者は大鰐駅から乗車したのは私1人。観光客も見当たらず、厳しい現状を突き付けられた感じでした。
弘南鉄道のもう一つ、本流の弘南線は、JR弘前駅と隣接する弘前駅から東へ、現在の平川市の平賀駅、津軽尾上駅(旧平賀町、尾上町)を経由し黒石市の黒石駅へ至る16.8km、13駅の路線。本数として大鰐線と比較すると朝夕の1時間2本となる時間帯が多く、利用者数を見ても年間約100万人程度、大鰐線の倍以上。沿線人口というよりは大鰐線はJRとバスのターミナルである弘前駅に直結しないことから、利用者がバスに流れてしまっているのに対して、弘南線はバスよりも早くて安くて便利だから利用されているというのが実態かと。弘南線の利用者数が季節変動が少ないのに対して、大鰐線が冬季利用者が非降雪期と比較して4~5割多いというのも、道路事情に左右されていることが性格として表れている。
弘南線は弘前東部のアクセスのため計画され、最初の区間である弘前駅~津軽尾上駅の区間が1927年に開業。その後、戦後に青森県で初めての電車となり、1950年に黒石駅まで延伸され全線開業。黒石へは国鉄黒石線が奥羽本線川部駅から分岐していて、弘南鉄道の黒石駅も国鉄黒石駅に隣接して建設された。弘南線延伸により、本数の少ない国鉄黒石線から利用者は弘南線移っていった。結局、国鉄黒石線は国鉄末期に廃止候補になり、弘南鉄道の3路線目の弘南鉄道黒石線として引き継ぐことに。しかし、黒石と弘前を結ぶ役割は弘南線が担っており利用者は低迷、1998年に廃線となっている。これによって弘南鉄道はオリジナルの弘南線と、弘前電気鉄道から引き継いだ大鰐線の2路線体制となる。
弘南線は2022年5月に乗車済みです。
大鰐駅はJR大鰐温泉駅に隣接していて、名前の通り温泉がある羽州街道が津軽平野に到達する要衝の町。日帰り温泉に入り、名物の大鰐温泉もやしを食べて、奥羽本線で南下。
鷹ノ巣駅からは少し歩いて地元資本ショッピングセンターいとくを散策、そこから空港行きのバスで大館能代空港へ。大館能代空港は秋田県北、所在は北秋田市ながら大館と能代の2つの主要都市の間にあることからこの名称が。かつて東京へ直結する夜行列車があったものの秋田と青森の中間地点で内陸の交通不便な地域をカバーするため秋田県による出資で1998年開港した新しい空港、ANAの羽田便が1日3本しかない東北地方で最も利用者の少ない赤字空港。とはいえ利用者が少ないのでチケットも取りやすくて、シャトルバスもレンタカー店もちゃんとあるし、目の前が秋田自動車道のICで、コンパクトでいい空港だと思います。なぜか人生2回目の利用、前回弘南線に乗った2022年GW以来でした。
弘前市は今でこそ人口16万程度のしがない青森第3の都市ながら、弘前藩の城下町の古都で明治期は東北随一の都市でもあり、戦後には国立総合大学の弘前大学が設置されるなど、青森や八戸と異なる歴史と文教の町として発展してきた。とは言え中心部は空洞化、新幹線駅や空港があるわけでもない日本海側の人口20万以下の地方都市で私鉄が生き残るのはかなり気厳しめ。しかも異なる2社の路線が由来となる大鰐線と弘南線が繋がっていないことで、折角沿線に学校が多いのに、弘南線やJR弘前駅からくる人は直接バスで向かってしまうし、沿線からしか利用者見込めないのが足かせとなっていて、未来は暗い。
2023年度はコロナ禍の回復がありながら、弘南線の線路異常による運休、大鰐線の脱線事故などの運休もあり過去最大の赤字を計上。直接的な運輸収入から営業費用を引いた営業損益は、弘南線が9662万円、大鰐線が1億3068万円の赤字。役員報酬の減額や、株主優待券の廃止などとにかく身を切るしかない状況。
脱線事故調査によって、検査を実施していなかった、検査基準から外れたのに適切な整備が行われていなかったなどが明らかになっており安全意識の欠如が指摘された。勿論公共交通機関として安全第一は当然ではあるのだけれど、人材不足、経営も火の車、お金で解決できることも制限され、利用者は右肩下がりでモチベーションが上がるはずもない。地方公共交通が限界を迎え、綻びが生じているのだろうなと感じました。
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