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ソウルに行かない韓国旅行 清州~公州~光州 百済と古墳

清州で1泊して翌朝早くから移動を開始。清州から公州に移動。

清州から公州へ移動

公州(ゴンジュ)は忠清南道の地方都市、韓国三国時代の百済の都が置かれていた古都。清州から直線距離で40kmくらいしか離れていないのに、路線バス、BRT、高速バスを3本乗り継いで到達。もしかしたら直行バスもあるのかもだけど、Naverマップを信じて行った。

清州市中心部から五松駅へ
五松駅からは世宗BRTで、世宗市を横断してバスターミナルまで向かう。

清州中心部からはまず西はずれにあるKTXの五松駅(オソン)へ移動して、五松駅からは世宗市(セジョン)行きBRTで世宗市中心部を縦断して世宗バスターミナル、世宗バスターミナルからは高速バスで公州へという流れ。結論として世宗から公州は1日22本バスがあるのでほぼ待たずに行けた。

バスのチケットもクレジットカードが使えず、窓口で購入。上に時刻表が這ってある。
時間と乗り場番号が振られている。この日は10分ほど遅れてきた。

五松駅は清州市中心部から西へ15km、路線バスで1時間近くかかる場所にある。ソウルからKTXの釜山方面と光州・木浦方面が分岐する駅で、在来線も本数が少ないけど乗り入れている。後述の新都市世宗と忠清北道の道庁都市清州の玄関の機能のみで駅前は空き地だらけ。日本的には「世宗新清州駅」みたいな駅名になりそうな感じ。

世宗市はソウル一極集中と北朝鮮から近すぎるということから、首都機能の移転のため建設された新都市で、世宗特別自治市1970年代から計画されいくつかの省庁が移転済み、現在は人口約40万人の都市となっている。交通不便でソウルへの直通交通は高速バスのみ、所用時間約1時間半、1日80本以上のおびただしい本数が運行されているけど、鉄道駅は市中心部には立地していなくてKTXの五松駅か、在来線の鳥致院駅からバスになる。市内は計画された区画に整然と高層マンション群や大規模ビルが並ぶ人口都市という感じの風景が続く。

世宗市内はBRT専用レーンが設置されている区間。
高層建築がある一方で空き地もある典型的ニュータウン
世宗の町が見える

百済の古都 熊津-公州

公州は百済の都がおかれた古都で、百済時代は熊津と呼ばれていた。高句麗の南下により現ソウルからこの地へ遷都、その後もさらに南の泗沘(現 扶余)に首都が移され、滅亡時の都は泗沘となる。百済と言えば日本との関係も深く、663年の白村江の戦いでは唐・新羅連合軍に対して百済再興のため日本が援軍を送っていることからもわかると思う。

世宗からは高速バスで30分程度。市中心部は錦江沿いで北岸が新市街、南岸が旧市街のような位置づけ。バスターミナルは新市街側で、旧市街へは2kmくらいなので歩きました。とても暑かったですが。

公州バスターミナル。中心市街地に鉄道駅が無い町なのでここが実質公州の中心部の交通拠点。周辺の都市やソウルへのバスが発着する。
錦江を南北に渡る日本統治時代に架けられた鉄橋。

公州市内には世界遺産の百済歴史移籍群を構成する百済時代の城跡と王陵があるのでそれを目当て。ただ城跡と王陵は中途半端に離れてるし、城は登山だし、トータル7~8kmくらい歩いた。

百済25代王の 武寧王。南下してくる高句麗を撃退し百済を安定させた君主とのこと。
公山城遺跡。炎天下で登山・・・
山の上は百済時代の建物があった跡がある。こういう建物は現代のものです。
錦江が見下ろせる。この川は百済の歴史を作ってきた。流れも緩やかで湖と呼ばれるほどで、KTX湖南線って言うほど湖あるかと思ったら、錦江のことだったとは。
韓国三国時代のイメージ、Wikipediaより。この後、伽耶の遺跡(昌寧)、新羅の首都(慶州)も巡ります。
公州西部の丘陵地帯に広がる武寧王陵と墳墓群。公州(熊津)時代の王の墓が並ぶ。
武寧王陵は1971年と比較的後の時代に発掘されたため、副葬品などがしっかりと解明された。ここも世界遺産を構成する場所。
副葬品には中国南朝の梁の物や、日本産木材を使用した棺桶など。百済は日本ともつながりが深く、5~6世紀前後の古墳時代との関連性も研究が進められている。この後、慶州の古墳群にも行くけれど、これだけ狭い半島内で歴史も後とは言え新羅は百済や日本とは違う古墳を作っているのが興味深い。
武寧王以外の古墳も発掘修繕作業が進められている。日本統治時代に古墳の記録をパネル展示してある。
市場を見ると食文化がわかるというけどキムチつける容器が沢山
チョルミョン。小麦の麺を野菜とかとコチュジャンベースのタレであえた麺。暑いので冷たくて辛い麺が染みわたる。

昼飯を食べて公州から南下して光州を目指します。公州はゴンジュ、光州はコァンジュ。五松駅から分岐したKTX湖南線には公州駅があって、公州市街地からは南に15kmくらい離れたところにある。こちらも市内からは路線バスで30分くらいでアクセスできる。KTX湖南線の開業は2015年で公州駅はルート上の山の中に作られた感じで、本当に駅の周りは何もない。むしろ路線バスで途中の村とかに寄りながら駅まで行くのが面白かったです。

公州郊外の村々を経由しながらKTXの駅jへ。
韓国もバリバリの稲作国なので田んぼが広がる。

公州駅から光州のKTXターミナル駅の光州松汀駅へは1時間くらいとかなり早い。この旅行で最初に乗ったKTXなので、今までの路線バス乗り継ぎを考えると劇的に早いと感じた。公州は地方駅なので通過列車もあるけど、それでも1時間に1~2本あるので、今回も待ち時間は20分くらいでした。

武寧王陵から出土した冠をモチーフにしたオブジェ。
熊津にちなんで公州市の公式キャラクターは熊。
KTX湖南線で光州松汀へ。終着は木浦。

前方後円墳と民主化運動の光州

光州市は韓国第6の都市となり、西南部の中心都市。ソウル‐釜山の対角線上が韓国における太平洋ベルトのような基軸に対して、そこから外れた地方都市では最大。逆に言うとソウル、釜山、仁川、大邱、大田と第1位~5位の都市はソウル‐釜山のライン上に立地しているということ。KTXターミナル駅の光州松汀駅は2015年にKTX湖南線が開業にあわせリニューアルした駅で、光州中心部の西郊外に立地する。光州駅は市中心部の行き止まり駅になっていて、KTX湖南線が木浦方面に向かうには遠回りだし、市街地をぶち抜く必要があって、今のような立地に。ただ光州松汀駅から中心部へは地下鉄があるので、アクセスはしやすい。

各駅の位置関係はこんな感じ。光州市中心部に近い光州駅は幹線鉄道から分岐した外れで、KTX開業後しばらくは光州行きは光州駅まで乗り入れ、木浦方面は光州松汀駅と別れていたらしい。
光州松汀駅、光州地下鉄と乗り換え可能。
KTX湖南線の主要駅。韓国南部海岸線を行くローカル線の慶全線が分岐。

光州に来た目的は、韓国にある前方後円墳を見ること。日本の古墳の象徴でもある鍵穴のような前方後円墳と似ている古墳が朝鮮半島にもいくつか発見されて、その中でも光州市内市街地にある月渓洞長鼓墳1号・2号の2つはアクセスしやすい。いずれも5~6世紀頃のもので、立地も光州市や全羅南道南西部に集中している。日本(当時は倭)との交流が多い地域で形状だけでなく副葬品も類似点が多く関係があることははっきりしているものの、そもそも百済の王族の墳墓より規模も大きいし、どのような目的で誰が日本式で埋葬されたのかは解明されていないらしい。韓国では楽器の長鼓(チャンゴ)に似た形ということで長鼓墳と呼ばれている。まだまだたくさんあるようで、今度はレンタカーとかで回りたい。

月渓洞長鼓墳 ウォルゲドンチャンゴブン
住宅に囲まれながら公園として整備されている。他に人は全くいなかった。
小さいながら完全なる前方後円墳。
市北部郊外から中心部へ。
韓国は集合住宅文化で高層マンションが多い。この辺は中国に近い。

古墳があるの郊外の住宅街でバスで行くのは結構面倒くさい感じだったのと、公園が何時に閉じるかわからなかったのでこの旅唯一のタクシーを使いました。10kmくらい乗っても1万Wそこらと韓国はタクシーが安い。というかほかの物価とのバランスを考えると韓国だけでなくアジアは基本的にタクシーが安い、日本だけが異常なのよ。あと韓国は流しのタクシーが少ない気がする。アプリ入れないと呼びにくいけど、今回は駅前のホテルを予約していたので駅にはタクシーが沢山待機していたから拾いやすかった。

古墳訪問後はバスで町中心部へ。郊外から中心部へはバスの選択肢もおおいので楽です。光州市中心にある5.18民主広場は、光州市が広域市化する前の全羅南道の庁舎が置かれていた場所。この地は広場の名前にもなっている通り1980年5月18日から発生した反軍事クーデターの市民運動の中心地となったため。前年1979年に全斗煥ら軍部が政権を掌握し、光州出身の民主派政治家の金大中の逮捕や戒厳令発令などに触発されたデモが拡大し、市民運動側が全羅南道旧庁舎を占拠して蜂起、軍事政権からの弾圧によって150人以上の死者が出ている。そのため韓国民主化運動の象徴的な事件として記録されている。運動は沈静化され、その後も全斗煥による軍事共和制が続いたものの、ソウルオリンピックを軍事政権下で行うことへの批判などもあり、1987年に軍政から民主化に移行。金大中も釈放され、後に大統領となり南北朝鮮関係改善などに尽力したことでノーベル平和賞を受賞している。

改装中の旧全羅南道庁舎。
5.18民主広場周辺が中心商業エリアになる。
5.18広場から2kmくらい離れたところに光州駅がある。光州の名前を冠しているけどローカル線が数本来る程度の駅になってしまった。
光州駅前からは大通りが広がるけど、今は人通りも少ない。
2004年開業の光州地下鉄。現在は東西の1号線1路線のみ開業。
平日夜で人が全く見当たらない。
光州松汀駅そばのフランチャイズっぽい食堂でビビンバを食べる。シンプルイズベスト。

そして地下鉄で光州松汀駅に戻り就寝。翌日は1日4本しかない慶全線の順天行き列車に乗ります。

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