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【栗原政史おすすめ】カラースナップ写真といえばこの人!ソールライターの作品紹介

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皆さん、こんばんは✨
気づけば8月突入ですね。

連日、暑い中オリンピックの選手たちは頑張っています✌️

私も頑張らなくちゃ!!

そんな、本日はカラースナップ写真の祖であるソール・ライターについてご紹介していきます。

ソール・ライターはアメリカの写真家です。
高名なユダヤ教の聖職者の父の下に生まれたソール・ライターは、幼少期から父の敷いたレールに沿って神学校へ通いはじめました。学校で優秀な成績をおさめる一方、厳格な規律や倫理観に縛られた生活を窮屈に感じるようになったライターは、次第に絵を描くことに喜びを見出すようになっていきます。

近所の図書館にあった美術書は、ソール・ライターにとってヨーロッパ美術はもちろん、中国や日本の美術まで広い世界への扉を開いてくれました。初めて自分のカメラ、デトローラを母親に買ってもらったのは12歳の頃。

家族の中で、唯一の理解者だった妹のデボラは、お気に入りのモデルだったようで、多くのポートレートが残されています。1946年、23歳になった年、画家になることに大反対する父親の理解を得られぬまま、ついに神学と決別、夜行バスでニューヨークを目指しました。

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ソール・ライターがニューヨークで過ごしていた場所は「イースト・ヴィレッジ」と呼ばれる場所です。
今では、カルチャーが生まれる場所としてニューヨークひいては世界でとても有名な場所です。
そこで、写真とともに育ったライターです。今でもその場所に行ったら魂の息吹を感じることができるでしょうね。

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最初は、画家を目指していたソール・ライターでしたが、それでは生計を立てることができませんでした。
ライターの写真に関心を持っていたヘンリー・ウルフは、1958年、『ハーパーズ・バザー』誌のアート・ディレクターに就任したのを機に、ほぼ毎号ソール・ライターをファッション・ページに起用、以後、『ELLE』『ヴォーグ(英語版)』など多くのファッション誌で活躍し、ニューヨーク5番街に自らのスタジオを持つまでになります。

ライターが有名になるのは晩年、1994年、英国の写真感材メーカーの補助金によって、1940年代後半から1950年代にかけて撮影されたカラー作品が初めてプリントされ、ニューヨークの老舗写真ギャラリー、ハワード・グリーンバーグ・ギャラリーで個展が開催されました。この個展によって、「多くの人に見てもらうべき作品」と確信した同ギャラリー・スタッフであったマーギット・アーブは、カラー作品集出版のために奔走をはじめ、同時にライターのアシスタントとして作品整理に携わるようになっていきます。

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2006年、ドイツのシュタイデル社から『EarlyColor』が出版されると、写真界にとどまらず世界中で大きな反響を巻き起こし、80歳を越えていたソール・ライターは“カラー写真のパイオニア”として、一気に光の当たる場所へ引き戻されることになります。

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