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水中の呼吸の泡がキラキラと輝く

人の感情に敏感すぎて、自分の感情がわからなくなっちゃっていたけれど、
やっと引っ込んじゃってた小さな私がほんのちょっと顔を出したよ。
ごめん。気づかない振りして。
本当はずっと知ってたんだ。

だけどさ怖かったんだ。
今回、引っ越した家のご近所問題の中で、いろんな学びがあったよ。
人と喧嘩することがあっても、起こる出来事に良いも悪いもない
そこにどんな意味を見出すのかは、自分次第ってこと。
今回の得たものは「たまにはガツンと感情を吐き出すのもいいもんだ」
ということでした。
長年、自分の感情というのを出すと余計状況が悪くなるので、感情を出すことは悪だと強く思っていたし、自分も出すことはなかったが、
積もり積もった怒りは、溜め続けると「お腐れ様」になるんだなと。
だから、溜まる前に小出しに吐き出すことが必要だと分かりました。
腐って淀んだ気は、周りにも影響します。
さらに、そこにユーモアやアート、エンターテイメントを意識したアウトプットが出来れば、この世を美しいエンターテイメントへと、再構築できるのではないだろうか。これぞ脳内メタバース。
気軽にこうっいった、挿絵と文を発表できる場がある時代に生まれて、
本当にありがたいなぁ。
この時のためのこれまでだったのか。
オヤツや洋服には締まりやだったが、本だけはお金を惜しまない家庭でした。小学校と中学校と図書館に、15分ほどの小さな小山を抜けて、自宅だったので、夏休みはプールと図書館三昧でありました。
そこで読んだ本は今でも忘れられない、児童書や小説などは私の根幹をなしていると思います。
椎名誠さんに憧れていました。冒険をしながら原稿を書いて、好きなことしかしてない生活を羨ましく思いました。
吉本ばななさんも大好きでした。群ようこさんなど。エッセイが結構好きだったのですが、エッセイを書くような人は大体自由人で、私は自由人に酷く憧れていた。なぜなら、時間通り動くのが苦手というのが、サラリーマン的生き方ができない、コンビニのバイトもあんなマルチタスクは、ワーキングメモリが少ない私には、難しすぎるのにそんなに儲からない訳が分からない。これだから「職業選択の自由がない田舎は〜」ってことになっていたが、今はもう「令和」リモートワーク時代。全然難しくなくて楽勝の仕事なんて沢山あるさきっと。仕事=JOBは変な話、心理的負担と値段とのバランスで決まるけど。仕事=WORKはお金じゃないよね。ライフワークはどんだけ自分の心と正直に向き合えるかっていうことなのです。

文章書く仕事は、本当はずっと憧れていた。
国語の点数は常に満点。何も勉強していないけれど偏差値71でずば抜けてた。美大の受験の時も、満点だったのはデッサンより論文だった。
にも関わらず、言葉を封印して絵だけで何かを伝えようとしていました。

文章8割挿絵2割。
阿部工房さんに憧れてました。
そういえば。
文・絵 くりゑりりっく

私はいったい死んだらどうなるんだろう?と
小学生の私は思った。
そして、死んでも宇宙図書館に私の名前が入った本が置かれたら、
私は永遠に生きるのじゃないかと思った。

もしかしたら、このインターネットという場に
私という人間の観た、この時代の過渡期の一人の女の生きて感じていることが残るというのは、大切なことかもしれない。
私たちの世代の子供の頃がどんなに、受験戦争だなんていって厳しい時代だったかなんていう空気感は、アートでしか伝わらないかもしれない。

やっぱり動画。
最終的には動画。

まあ、なんとなく気が向いたものをわくわくしながらやってみよう。

沢山の挫折のリベンジ。
もう、嫉妬を避けて成功しないように努めるのはやめます。

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