見出し画像

僕らはもっと「家族」を選んでいい

家族というとどんなイメージを持つだろう。血縁者、パートナー、ペット。人それぞれ思うことは違う。7月にある家族についての記事を目にした。

阿佐ヶ谷姉妹。
彼女たちは血縁者ではなく、お笑いコンビである。姉妹、というのもコンビ名である。しかし、彼女たちは六畳一間に2人で暮らしていたこともあり、現在でも同じアパートに住んでいる。その記事でこんな文章があった。

ご近所さんが、私たちを「姉妹」にしてくれる。

近所の人たちは2人が血縁ではないことを知っているうえで、「妹さんは?」と2人を姉妹として会話をするという。また両親たちと一緒に旅行もしたという。

この記事を読んで私はハッとした。
私は家族と仲が悪いわけではない。ただ、人それぞれ経験や価値観は違うので、居心地が悪く感じることも多い。

「家族だから一緒にいなくてはいけない」
それが、すごくしんどかった。でも、それをしんどいと言ってはいけないような気がずっとしていた。今思うと、別に血縁だろうと好き嫌いの好みは違うし、どんな生き方をしたいかも違う。なら、一緒にいなくてもいい。そんなことを思った。

****

9月。
私は知り合いの小笠原舞さんに勧められ、神戸に遊びに行った。舞さんはこどもみらい探求社の共同代表であり、同時にasobi基地という団体の代表でもある。こどもにどんなふうに世界が見えているか、をいつもワクワクして見守っているような人だ。数年前、私はこども向けの活動をしているなかで、友人に彼女を紹介してもらった。

私が滞在したのは「ハッピーの家ろっけん」だ。ハッピーの家はなんと説明したら良いか難しい。サービス付き高齢者住宅であるが、小学生も出入りし、地域の人も遊びに来る。平日の夜にもかかわらず、地域の人みんなでおでんを囲んで食べる。舞さんは買い物や整体に行くときも0歳の息子くんを周りの人たちに預けて出かける。

「なんてゆるく、自然なところなんだろう」
誰もが助け合う。しかしそれは何かの等価交換ではなく、お互いさまの関係。それであって、背伸びして頑張ることはない。みんなが自分ができることをやる。

人だからテンションが上がらないときもあるし、人と話す気分ではないけどみんなと一緒にいたい、ってこともある。それも許される。

「ああ、これが『家族』ってことか」
この感覚はまさに家族だと感じた。無理をしない。でも、お互いさまでできることはする。個人個人を大切にし、親しき仲にも礼儀ありができる。この感覚が、価値観がすごく好きだと思った。

私は2年後にここに『帰ってくる』ことに決めた。『家族』になることを決めた。

家族は基盤となるコミュニティだ。
だからこそ、自分が自然でいることができるコミュニティであった方がいい。

だから私は思う。
「僕らはもっと『家族』を選んでいい」

#家族 #エッセイ #拡大家族 #コミュニティ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?