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小説を翻訳したいという人は翻訳者としては食べていけないけど、わたしだって花子になりたい。

「子どもの頃に読んだ『赤毛のアン』に憧れて、翻訳家を目指そうと思ったんです」

TOEIC700点とかかれた履歴書と学生を交互に見ながら、「この子は翻訳者としては成功しないかもしれないな」…といつも思う。

心打たれる外国語の小説に出会い、ワクワクしながら自分の言葉で文章を打ち込み
素敵な丁寧な装丁を施された本が本屋に並ぶ。
表紙に『訳:私』と文字が…なんてのは夢のまた夢。

年間を通して出版される翻訳書籍は約1,000冊。ほとんどがビジネス書、あとはニッチな専門書。

翻訳を生業として生計を立てるつもりなら翻訳業界の99%を占める産業翻訳でないと生きていくのは苦しい。

さらに、産業翻訳においては文系出身の翻訳家よりも理系翻訳者のほうが需要も多いし稼げる。確実に。
このコロナ禍でも技術翻訳や、文系でも専門性の高い法務翻訳はあまり減らないけど、エンターテイメントに関わる翻訳はゼロ。ほんとうにゼロ。

翻訳業界特有の課題に加え、小説翻訳ができるようになるためには翻訳家である前に小説家である必要がある。
原文理解はもちろん、咀嚼して自分の言葉で新たな作品を生み出さなければいけない。
”逐語的な忠実な訳”はつまらなく評判も悪い、と二葉亭四迷も自分の訳の出来に嘆いていた。

小説家として、翻訳家として、両軸とも”食べていける”くらいになってから、やっと、スタートラインに立てる…

”できない”理由はいくらでもみつかる。
でも、そこでやるべきかやらないべきか、それが問題だ。

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現在、私は通訳翻訳のエージェントをしている。翻訳通訳仕事と訳者を繋げる仲介役である。

幼少期本棚にあった『赤毛のアン』が大好きだった私は、英文学部に何人かはいる「小説家になりたい、翻訳家になりたい」と思っていたタイプの学生だった。

ドイツ語科に進んだのは、英語科に入るには点数が足りなかっ… 愛読書の『モモ』『ふたりのロッテ』、あと『アルプスの少女ハイジ』に影響を受けたからだ。

大阪外国語大学に入ると、周りには自分より”できる”人ばかりだった。
言語能力的にもそうだし、大学外の交流で”文学系は稼げない”問題も見えてきた。
能力が高い努力家たちがひしめき合う、一握りの人しか成功できない文学・芸術の世界で生きていくイメージが持てなかった私は、翻訳通訳エージェントとして起業することにした。

だいぶ文脈が飛んでいる気もするし、当時どこまでなにを考えていたのか…あまり深く考えていなかったのかもしれない。
文学の世界で戦う気持ちは小さくなったものの、外国語を扱う仕事を生業にしたかったし
いわゆる"起業系"グループと絡んでいる場においては
大学で手に入れた外国語ネットワークがそこそこ武器になりそうだと踏んだのだ。

翻訳通訳業界の下積みもなく飛び込んだ世界だったが、波こそあれ運良く生き延びることができてはや8年。

自社の仕事リストを見ても、出版関連の翻訳は数えられるほどだし
未だ海外小説を日本語に翻訳して出版するという仕事には携わったことがない。

そもそも、仕事を実際にするようになって分かったことだが、
出版とは壮大なプロジェクトで、翻訳家の役割なんてほんの少ししかない。
そのうえ、小説翻訳というものは、原文で出版までのプロセスを一度回したのち
そこに”翻訳”に関連するプロセスを噛ませて出版プロセスを再度回すという
ものすごく複雑で大勢の人が携わるプロジェクト。
表紙に訳者として名前が載るのは名誉なことだけど

「正直、自分で本書いて出版するほうがよっぽど簡単やない?」

と思う。

そんな小説翻訳の世界だが、翻訳業界へ憧れを持って飛び込んでくる若人は
私も含め、『赤毛のアン』の村岡花子さん、『星の王子様』の内藤濯さん、『モモ』の大島かおりさん、
そして言わずもがな『ライ麦畑で捕まえて』他多くの訳書を手掛けている村上春樹さんの翻訳に触れて育った人も多い。

子供の頃の印象というのは自分に深く刻まれている。
大人になって、灰色の時間どろぼうに追われる日々の中でも、ふと小さな私が顔を出す。

「野心を持つというのは楽しいものよ」

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「子どもの頃に読んだ『赤毛のアン』に憧れて、翻訳者を目指そうと思ったんです」

そんな学生を目の前にして「この子は翻訳者としては成功しないかもしれないな」と思う。

それでも翻訳家として、小説翻訳を目指してこの世界に飛び込むなら飛び込んでみたらいい。
稼げなくて苦労するし、途中で辞めたくなるし、お客さんにも他の翻訳者通訳者にもぼっこぼこにされて凹むから。

でもね、一生懸命やって勝つことの次にいいことは、一生懸命やって負けること。

必死にしがみついて努力する人と、私は一緒に仕事をしたいし
私自身も努力を続けて、いつか素敵な本に出会った時に自信を持って出版社にプレゼンできるように
希望を持って忙しく、この世界で生きていく。

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