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空海の風景「1章」

カバー画像は、高野山、金剛峯寺の画像データを「tae 1813」さまより拝借させて頂きました。しばらくは、こちらの画像にて、私の「マガジン」である「『空海の風景』を読む」は、投稿させて頂くことになると思われます。

まずは、画像提供者である「tae 1813」様に、この場を借りて、感謝を申し上げます。ありがとうございますm(__)m

さて、本題に入ります。

こちらは、東京都あきる野市にある「東部エル図書館」を会場として、毎月、営まれている「花陽読書会」…

そちらの分科会である「司馬遼太郎を語る会」(※毎月第四火曜日開催)にて、わたくしが、司馬遼太郎作『空海の風景』を用いて、1章づつ、これを読後発表してゆく、その内容に即しまして、こちら「note」に投稿させて頂く「かたち」を取りたいと思っております。

『空海の風景』に関しては、こちらから、ご確認くださいませ...。

ちなみに『司馬遼太郎全集』では「第39巻」に収録されております。

さて…今回は、本書の「第1章」から、わたくしが、皆さまと「分ち合い」を行いたい箇所を『空海の風景』、その本文から、直接、引用を致しまして、進めてゆきたいと思います。

まずは、読書会当日に配布した資料を、PDFファイルにて、こちらでも共有させて頂きます。

以下『空海の風景』、第1章から、わたくしが引用した箇所になります。

僧空海(くうかい)がうまれた讃岐(さぬき)のくにというのは、茅渟(ちぬ)の海をへだてて畿内(きない)に接している。野がひろく、山がとびきりひくい。野のあちこちに物でも撒(ま)いたように円錐形の丘が散在しており、野がひろいせいか、海明かりのする空がひどく開闊(かいかつ)に見え、瀬戸内に湧(わ)く雲がさまざまに変化して、人の夢想(むそう)を育てるにはかっこうの自然といえるかもしれない。

※茅渟(ちぬ):大阪湾の東部、和泉国(大阪府南部)の沿岸の古称。現在の堺市から岸和田市を経て泉南郡までの一帯にあたる。千沼・血沼・血渟・珍努などとも表記された
※開闊(かいかつ):広々とした。朗(ほが)らかな。

『空海の風景』第1章より

こちらは、ちょうど『空海の風景』という小説の、一番最初、書き出し部分です。文芸作品、特に「小説」に関しては、書き出しは重要な位置を占めるので、こうして書き抜いておきました。

続いて、次の文章に参ります。

筆者は、空海において、ごくばく然と天才の成立ということを考えている。

『空海の風景』第1章より

こちらは、作者である司馬遼太郎が、日本屈指の高僧であった「空海」という存在に向けて抱いている、『空海の風景』が目指す、1つの目標といってもいいかもしれないが、もしも空海という「天才の成立」が紐解くことが、小説という表現形式において適うのであれば、たしかに、本書『空海の風景』、その価値は大きかろう…というものである。

さて、次の文章に参ります。

人間も犬もいま吹いている風も自然の一表現という点では寸分かわらないということを知ったのは大乗仏教であったが、空海はさらにぬけ出し、密教という非釈迦的な世界を確立した。密教は釈迦の思想は包括しはているが、しかし他の仏教のように釈迦を教祖とすることをしなかった。大日という宇宙の原理に人間のかたちをあたえてそれを教祖としているのである。そしてその原理に参加‐法によって‐しさえすれば風になることも犬になることも、まして生きたまま原理そのものに‐愛欲の情念ぐるみに‐なることもできるという可能性を断定し、空海はこのおどろくべき体系によってかれの同時代人を驚倒させた。

『空海の風景』第1章より

この箇所は、作家である司馬遼太郎の仕方で「密教」という、インドで成立した当初の「原始仏教」からは遠く離れた、仏教における、当時、最先端の「教え」が、空海によって体系化されたとき「かれの同時代人を驚倒させた」と書いている、とても興味深い箇所である。
空海によって開かれた、体系化された「密教」は「かれの同時代人」だけではなく、ひいては現代人をも驚倒させるのではないか?と、私個人は感じており、その中には、これを知った当初の、司馬遼太郎本人も含まれているのではないか?と推察する。
では、果たして、そうであろうか?
これは、次章以降を読み進めることによって、明らかとなってゆくであろう。

また、司馬遼太郎氏は、このように空海を称している。

すでに普遍的世界を知ってしまった空海には、それが日本であれ唐であれ、国家というものは指の腹にのせるほどにちっぽけな存在になってしまっていた。かれにとって国家は使用すべきものであり、追い使うべきものであった。日本史の規模からみてこのような男は空海以外にいないのではないか。

『空海の風景』1章より

「日本史の規模からみてこのような男は空海以外にないのではないか」とは、著者である司馬遼太郎からの賛辞であると同時に、驚愕でもある。空海という男は、日本人という枠をはみ出してしまっている…いや、今でいうところの単なる「国際人」でもない、仏教で云うところの「三千世界」の1つに過ぎない「この世」を思うとき、国家(それが「唐」であれ「日本」であれ…)は、空海にとっては「指の腹にのせるほどにちっぽけな存在になってしまっていた。」とは、さすが司馬遼太郎、白眉という他はない。


以上が『空海の風景』、第1章からの発表箇所でした。

次回は、同じく『空海の風景』から、第2章を取り扱います。

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