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『空海の風景』第3章

まずは、読書会当日に配布した資料を、例によって、PDFファイルにてダウンロードできるように、以下に、リンクを貼っておきます。

続いて、引用箇所を以下に列挙致します。

空海は大学の学生(がくしょう)であることを捨てる。

『空海の風景』第3章より

空海は、血族の威信を背負っての、当時のエリートコースである、大学の明経科を止めて、私渡僧(※自称「僧侶」といったところ…国家により承認された僧侶ではない)になった。

このあと、作家、司馬遼太郎は、まだ空海が血気盛んな若者…である、という接点から、なかば強引に、般若理趣経の話題を持ち出しはじめる。
これは、かなり唐突であり、はたして、真言密教とは「女犯」を、どのように考えている宗門なのか?と、疑問を持たれる方も多いであろうことを十分承知の上で、司馬遼太郎の筆跡を追ってゆくことにする。

性欲は普遍的に存在している。空海にもある。というよりは、若者のころのこの人物は人一倍それが強かったに違いなく、その衝動に堪(た)えかねて喘(あえ)ぐような日もあったと考えてやらねばならない。

『空海の風景』3章より

まず、司馬遼太郎は、青年空海の、性欲への横溢を案じているかのような素振りをしながら、次の本題に切り込んでいく。

空海のような地方豪族の子弟の場合は、色を鬻(ひさ)ぐ家の軒をくぐらざるを得ないが、宇宙の真理や人間の生理と精神と生命の不可知なものについてずぬけて好奇心の旺盛な空海が、そういう家に行って性の秘密を知ろうとする自分の衝動にどのように堪(た)えたのであろう。あるいは堪(た)えなかったかったかもしれない。堪(た)えよという拘束の希薄な社会である以上、自分の中の倫理的悲鳴を聴くわずらわしさなしにそういう家へゆき、自分の皮膚をもって異性の粘膜に接したときに悶々として光彩のかがやく生命の時間を知ったに違いない。その時間が去ったときに不意に暗転し、底のない井戸に転落してゆくような暗黒の感覚も、この若者は知ったはずであるかと思われる。のちの空海の思想にあってはその暗黒を他の仏教のように儚(はかな)さとも虚(むな)しさともうけとらず、のちの空海が尊重した『理趣経』における愛適(性交)もまた真理であり、同時に、愛適の時間の駆け過ぎたあとの虚脱もまた真理であり、さらには愛適が虚脱に裏打ちされているからこそ宇宙的真実たり得、逆もそうであり、かつまた絶対的矛盾世界の合一のなかにこそ宇宙の秘密の呼吸があると見たことは、あるいは空海の体験がたねになっているかのようである。

『空海の風景』3章より

作家、司馬遼太郎が、空海が、後に、32歳のときに中国は、当の長安にて出会った、ひとつの経典、『理趣経』を、殊更に重んじたのは、この若かりし頃の空海における実体験に裏打ちされたものがあるのではないか?と、推量してみせるのである。

司馬遼太郎の筆は、さらに走ってゆく。

話が先へ走るようだが、三十二歳、大唐の長安で『理趣経』を得たとき、この年齢のころ、空海はすでに性欲はいやしむべきものであるという地上の泥をはなれてはるかに飛翔してしまっている。それどころか、性欲そのものもまたきらきらと光彩を放つ仏であるという、釈迦がきけば驚倒(きょうとう)したかもしれない次元にまで転ずるにいたるのである。

『空海の風景』第3章より

理趣経(般若波羅蜜多理趣品)というのはのちの空海の体系における根本経典ともいうべきものであった。他の経典に多い詩的粉飾などはなく、その冒頭のくだりにおいていきなりあられもないほどの率直さで本質をえぐり出している。

妙適清浄の句、是(これ)菩薩の位(くらい)なり
欲箭(よくせん)清浄の句、是菩薩の位なり
触(しょく)清浄の句、是菩薩の位なり
愛縛清浄の句、是菩薩の位なり
妙適とは唐語においては男女が混媾(こんこう)して恍惚の境に入ることを言う。インド原文では surata という性交の一境地をあらわす語の訳語であるということは、高野山大学内密教研究所から発行された栂尾祥雲(つがおしょううん)博士の大著『理趣経の研究』以来、定説化された。筆者もそれにしたがう。インド人は古代から現代にいたるまで物事の現実の夾雑性(こうざつせい)をきらい、現実から純粋観念を抽出するというほとんど本能的な志向をもっているが、しかしこの語は性交の経典である『愛経(カーマ・スートラ)』においても媾合(こうごう)として使われているというから卑語、隠語ではなくごく通常の用語として使われていたのであろう。これが長安に入って唐語に訳されたときに、妙適という文字があてられた。妙適は長安の口語ではあるまい。あるいは読者がとりいそぎこういう造語をつくったのかもしれない。なぜなら性交の各段階に関する分類や言葉はインドにおいてこそそれが明晰で、ほとんどいちいち成分を抽出して結晶化してみせるほどに厳密であったが、インドにくらべて言語における明晰性のとぼし中国にあっては造語するしか仕方なかったかとも思われる。

妙適清浄の句とは、文章の句のことではなく、ごく軽く事というほどの意味であろう。「男女混媾の恍惚の境地は本質として清浄であり、とりもなおさずそのまま菩薩の位である」という意味である。以下、しつこく、似たような文章がならんでゆく。インド的執拗さと厳密さというものであろう。以下の各句は、性交の各段階をいちいち克明に「その段階も菩薩の位である」と言いかえてゆくのである。第二句の、「欲箭(よくせん)」とは、男女が会い、互いに相手を欲し、欲するのあまり欲するのあまり本能にむかって箭(や)の飛ぶように気ぜわしく妙適の世界に入ろうとあがくことをさす。この「欲箭(よくせん)」たるや宇宙の原理の一表現である以上、その生理的衝動のなかに宇宙が動き、宇宙がうごく以上清浄でないはずがなく、そして清浄と観じた以上は菩薩の位である...。ついでながら、この経典における性的運動を説く順序が逆になっている。「欲箭(よくせん)」の前段階が「触」である。「触」とは、男女が肉体を触れ合うこと。それもまた菩薩の位である。次いで、「愛縛」の行為がある。仏教経典における愛という語はキリスト教におけるそれではなく、性欲をさす。愛縛とは、形而上的な何かを指すのではなく、形而下的姿態(したい)をさす。インドのブンデルカンドの曠野(こうや)にある廃都カジュラホの、そこに遺(のこ)っているおびただしい数の愛の石像彫刻こそ愛縛という字義のすざましさを物語るであろう。理趣経はいう。男女がたがいに四肢をもって離れがたく縛りあっていることも清浄であり、菩薩の位であると断ずるのである。この経典の華麗さはどうであろう。さらに理趣経は「一切自在主清浄の句、是菩薩の位なり」という。その一切自在の「自在」とは後世の禅家がじきりに説く自在ではなく、生理に根ざした生理的愉悦の堺を言うのであろう。男女が相擁(そうよう)していうときは人事のわずらわしさも心にかかることもなにごともなく、いわば一個の人事的真空状態が生じ、あるいは宇宙のぬしもしくは宇宙そのものといった気分が生じ、要するに一切自在の気分が縹渺(ひょうびょう)として生ずる。それも、菩薩の位である、というのである。

『空海の風景』3章より

人間の抱える、いわゆる「3大欲求」として、食欲、睡眠欲、性欲…この3つともども、仏教は「行(※修行のこと)」を通じて、これに振り回されないよう、悪戦苦闘を重ねた、長い歴史を持っているのだが、それを空海は、さらっと、とび越えてしまうのである。食事は、時として「欲」であり(※これを徹底して肉を食べない、禅宗などでは「精進料理」が有名)、また、睡眠欲も、時として「欲」であり(※不眠不休により、睡魔を克服しようとする過酷な「行」が、比叡山には残っている)、では、無論のこと「欲」として扱われてきた「性欲」に、空海が出した、ひとつの「答え」が『理趣経』のなかには眠っている。

というのは、空海は、自分の体の中に満ちてきた性欲という、この厄介で甘美で、しかも結局は生命そのものである自然力を、自己と同一化して懊悩(おうのう)したり陶酔したりすることなく、「これはなんだろう」と、自分以外の他者として観察するという奇妙な精神構造を持っていた。この一事で空海は他の若者とまったくちがう何者かとして奈良の大学に存在した。元来、性欲とはおのれに密着したものであり、ときにおのれそのものであり、性欲にもまたおのれの固有名詞が冠せられ、あたりまえのことながらおのれの戸籍に属し、その性欲の動くところ、ときに人を傷つけることがあればおのれの所業として指弾され、ときにそれによって姦し、殺せばおのれが刑殺される。である以上、性欲はあくまで特定の個人に属し、その個人そのものでありながら、しかし性欲は普遍そのもので何人(なんぴと)の性欲も性欲であることにおいては姿もにおいも味も成分も寸分かわりがない。それは万人に共通している。普遍的である以上なぜ性欲という客観物として、それを一箇(いっこ)の物体として万人の観察する場に放り出せないのであろうか。
空海の関心と懊悩(おうのう)はそれであったにちがいない。

『空海の風景』第3章より

作家、司馬遼太郎は、当の長安で、32歳のときに空海が『理趣経』を見出す以前に、自らの性欲に光を当てて「空海は、自分の体の中に満ちてきた性欲という、この厄介で甘美で、しかも結局は生命そのものである自然力を、自己と同一化して懊悩(おうのう)したり陶酔したりすることなく、「これはなんだろう」と、自分以外の他者として観察するという奇妙な精神構造を持っていた」と解釈している。

そのような青年、空海がなくば、理趣経(般若波羅蜜多理趣品)を、真言宗という宗門において、あれほど「重き」を置かなかったであろうことを推察している…その鍵は、若き日の空海にあるに、違いない…と。

その推察はさておき、たしかに、理趣経という経典が、大正期を境として、ここ日本では、性欲を扱った記述の含まれる経典である…ということで、世俗的な注目があつまったが、大乗仏教の教理にある、龍樹(ナーガール・ジュナ)が説いた「空」の教えであったり、また『維摩経(ゆいまきょう)』に見える「不二の法門」という境地の先には、たしかに、この『理趣経』が説く「性欲」もまた「清浄」であり「菩薩の位なり」という終着地点は、想像にかなくないところがある。

空海は、大乗仏教、そのなかでも、宗教史的には後半部分に属する「密教」を「体系化」した、傑出した、日本における、稀有の人物であるから、一般信徒、さらには仏教には門外漢の人々にとっては、『理趣経』とは、性的な興味の対象に過ぎないかも知れないが、少なくとも、司馬遼太郎は、青年期の空海が、性欲を、どう捉えていたか?において、その鍵を開こうとしている。あらためて、以下、引用しておこう。

元来、性欲とはおのれに密着したものであり、ときにおのれそのものであり、性欲にもまたおのれの固有名詞が冠せられ、あたりまえのことながらおのれの戸籍に属し、その性欲の動くところ、ときに人を傷つけることがあればおのれの所業として指弾され、ときにそれによって姦し、殺せばおのれが刑殺される。である以上、性欲はあくまで特定の個人に属し、その個人そのものでありながら、しかし性欲は普遍そのもので何人(なんぴと)の性欲も性欲であることにおいては姿もにおいも味も成分も寸分かわりがない。それは万人に共通している。普遍的である以上なぜ性欲という客観物として、それを一箇(いっこ)の物体として万人の観察する場に放り出せないのであろうか。空海の関心と懊悩(おうのう)はそれであったにちがいない。

『空海の風景』第3章より

こうした、若かりし空海あってこそ、今日の、真言宗における『理趣経』がある…と、作家、司馬遼太郎は、見ているのである。

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