泳ぐ姿を想像する理由▶︎チャーリー
イメージ・トレーニング と呼ばれるものがある。
自分の目標となるもの、理想的な状態に自分があるところを想像することで、実際に自分がそうできるようにするものだ。
もっとシンプルに言えば、回転寿司を食べに行く時、どうせ回転寿司だからと思って行くより、これから銀座の高級寿司店で店のネタを全部食べ尽くしてやると想像して回転寿司に行った方が、何割か美味しさが増すだろうということだ。(ちょっと違うかも)
確かにそうかもしれない。しかし、しかし、しかし、果たして泳げない人が泳げるようになったところを想像すれば、その人は泳げるようになるだろうか?
高橋秀美 「はい、泳げません」 (新潮文庫)
は、小学校四年生の夏、「本来、誰でも泳げるはず」というおじさんの言葉を真に受けて大人用プールで溺れて救急車で運ばれたという経験を持つ筆者が40代になって初めてスイミングレッスンを受けて、泳げるようになるまでを綴ったノンフィクションだ。
この本が面白いのはこの筆者がとことん水が怖く、泳ぐ、泳げるという事に懐疑的だからだ。
筆者は水泳の教本を何冊も読破し、それらの本は(当たり前だが)「泳げる人」の書いた本、「泳げる人」の視点でしか書かれていない本であることを喝破する。「人間は水に浮く」ということは充分にわかっていても、それでも「水が怖い」のだ、ということを理解できない人たちが書いた、上から目線の本に過ぎないと切り捨てる。
筆者は泳げるようになるためにある女性がコーチをする水泳教室に通い始める。
この女性コーチの使う言葉がまた特徴的だ。
「泳がないでください」
「水をかこうとしないでください」
「水を押さえて、体重移動で進むんです」
「伸びるだけです」
などなど。
筆者は身体を動かす前に考えるタイプなので、水泳のレッスンで「泳がないでください」と言われてその矛盾に困惑する。がしかし、その次にはその矛盾の真の意味を理解しようと考え始めるのだ。
果たして筆者はページが尽きるまでに泳げるようになるのだろうかと心配になる(幸いにその心配は杞憂に終わる。)
小さい頃から水泳が得意だった人には、それまで考えたこともなかったような「泳げる」ことの特別さを感じるだろう。
泳ぎが苦手だった人には共感を得られる作品かもしれない。
そして、今も泳げない人はこの本を読めば泳げるようになった自分を想像して、実際泳げるようになっているかもしれない。
残念ながら先日、2024年11月13日に高橋秀美さんは62歳で亡くなられた。
こんな柔らかで、深いノンフィクションを書かれる才能を失ったことは非常に残念だ。
高橋氏が三途の川を無事に泳ぎ切ったところを想像しながら、今日は筆を置きたいと思う。
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投稿者▶︎チャーリー