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自責の念にとらわれるな

お久しぶりです。

なんと前回更新したのは、2020年1月。

就活に嫌気が指して、こんな突拍子もない話題を勢いで載せたのが懐かしいです。

今回のテーマに入る前に、前回更新した2020年1月から現在2020年9月までの約8ヶ月間でどのような人生を過ごしてきたか、ざっくりだけどまとめてみたいと思います。

1月:母が入院の準備へ
2月:母入院、病院と自宅を行き来する37日間を過ごす
3月:母退院、ここらへんからコロナがいよいよ日本へ広がってきたが、送別会などで楽しくやっていた記憶あり
4月:自宅にこもりっきり、公務員試験を2ヶ月後に控え、勉強とZOOM面談をこなす
5月:引き続き自粛、1日に動く範囲が自宅から5kmくらいになってくる
6月:民間就活に失敗、公務員試験を控え精神が不安定になり非定型うつ病にかかる(不安障害の側面が強いけどね)
7月:なんとか持ち直し、公務員試験受験を続ける
8月:唐突にIDOLiSH7にハマり、新たな精神安定剤を発見
9月:公務員試験は続く

ということで、実はひっそりと途中で様々な要因から非定型うつ病を患ってしまったわけですが、あまり重大なものにはならず、なんとかここまで生きてきた所存です。元々色々と思い悩んでしまうことが多い幼少期を過ごしていたので、自分ともう21年も一緒にいますから、あ〜こうなるよな〜というのは理解出来ており、今回患ってしまった時にもああこれが私だなと腑に落ちた部分もありました。

さて、非定型うつ病に関してはまた今後じっくりと書くとして、今回はちょっとこれに関連した話、「自責の念」について書いてみたいなとふと思いました。

★過去から今を振り返る

先程ちらっと書いたように、幼少期から思い悩みやすい性格を持つ私は、自責の念を人よりも数倍感じやすい人生を歩んできました。
小学生の時、学校の先生に怒られたらひどく落ち込み、それが自分自身を否定されているわけではないのに、自分自身を否定され拒絶されたような気持ちになっていました。こんなことをしてしまうなんて、自分はなんてひどく醜い人間なんだろう…と。

幼少期に形成された人格は、大人になってからも引きずるものです。先日3年前に書いた日記を発見しました。3年前の9月、私はバイト先の研修期間中とんでもないミスを犯し、恐怖に震えていました。ミスを犯したのは自分であり、反省しなくてはいけない気持ちを持っているからこそ、なんて自分はひどいことをしてしまったんだろうと、とにかく自分を責めて責めて責めるのです。

つい先日も、私の心無い唐突に出てしまった言葉で、友達を傷つけてしまいました。しかし、これを冷静になって客観視した時に、相手の子はそこまで深く考えていたわけではないのに、勝手に私の中で想像を膨らませ、きっとあの事で深く傷ついているんじゃないか…謝罪しないと永遠にあの子の中で私はそういうことを平気で言う人として認識されてしまうのではないか…と。自分の犯してしまったことに対する自分を責める気持ちというのが、自分の中でぐちゃぐちゃと渦巻いて大きくなって、そして私自身を潰してしまいます。

★なぜこのような性格になったのか?徹底分析

なぜ私はこのような考え込みやすい性格になったのでしょうか?その根本がわかれば、私自身を理解できるような気がします。

考えられることは1つ。
家族との関係性や、いじめられた経験から、人の顔色を伺うようになったこと。

①家族との関係性

家族との関係性を深堀りします。私が特に記憶に残っているのは母の誕生日。母の誕生日にはきまってトラブルが起きていました。
エンジン付近のネジが飛び車が動かなくなったり、時には夫婦喧嘩をしたり、兄が父と喧嘩をして家を飛び出たり。これらの経験から、私は母の誕生日になると家族に嫌なことが起こると、毎年母の誕生日が近づくと嫌な気分でいました。
こういった時は、決まって自分で家族の機嫌を取ることでトラブルを回避し、母に良い誕生日を迎えてほしいと思っていたんですよね。母が少しでも不機嫌になれば笑わせて、喧嘩になりそうな雰囲気になったら和ませて、兄の愚痴を聞いて。全然関係ないですが、兄が回転寿司に行くといつも高いお皿のお寿司を食べます。私はよく父と母が家計のことで喧嘩をしているのを知っていたので、小さな頃は「これが好きなの!」と100円しないたまごのお寿司しか食べなかった記憶があります。書いていてしんどくてちょっと涙出てきました(笑)

家族の顔色を伺い、時にピエロになり、和らげるクッションになり、プラマイ0のマイナス要員になり。そんな風に人を気遣う姿勢が小さな頃から形成されていったのだと思います。
*家族への恨みの感情は一切ありません。むしろ家族が大好きだからこそ、このような行動になってしまったのだと思います。

②いじめの経験

いじめといっても、私は2種類経験をしておりまして。1つは無視(小2~5と記憶)。もう1つは誹謗中傷(中2)です。詳細は省きますが、どちらもそれなりにストレスを多く抱えるものでしたね。無視に関しては、いつも一緒にいたグループから突如無視をされたり、映画を一緒に見に行った翌日に急に無視が始まったり。今考えれば、小さな頃は今以上にみんなわがままで、無視をすることに大きな意味は無いのだろうけど…。
自分の何が悪いのかわからず、ただただ無視される日々によって、自分の一挙一動がおかしくないか、人を傷つけていないかを気にするようになったと思います。

もう1つの誹謗中傷はもうどうすることも出来なかったことではあるのですが、あれ以降中学校のみんなが敵に見えたり、小学生の時に培われた一挙一動を気にする行為がより一層高まったように感じます。

★そろそろ自分を許したい

自分自身を許すことを知らない。そんな自分の生き方からそろそろバイバイしたいなと思い、今回このノートを書くことにしました。
例えば、今日から自責の念を感じすぎるのをやめよう!そう思ってもすぐに変えることが出来ないのは明白です。

なので今私は自分を責めすぎないトレーニングとして、毎日日記の他に今日やってしまった失敗と自分の良い行いを書くようにしています。
どんなことを失敗してしまったのかを文字で起こすと、不思議と考えすぎる必要がないものがわかったり、反省して次同じことをしないようにしよう!と思いやすくなりました。
あとは、自分の良い行いを書くのですが、これがまぁ大変で。元々自己肯定感がジェットコースターなみに上下しますし、何か良いことがあってもその後に悪いことが起きるのではないかと疑ってしまう性格なので、素直に自分の良いところを褒められるように今訓練中です。

なんとなくひん曲がってしまっている私の性格を治すにはまだまだ時間はかかりそうですし、完璧に全てを治す必要もないとも思っています。

非定型うつ病になった時、精神科の先生に「考えすぎることは悪いことではない」と自分を認めてもらいました。考え込みすぎることは、時に良いことにも繋がります。先を見越して考える行動することは仕事をする時に役にたちます。危機回避能力と言い換えることも出来ます。考え込みすぎることを「自責の念にとらわれる」という方向ではなく、「慎重に物事を考える」という方向に変えることが必要だと思っています。

これが私だ。と、そんな結論にいつも至るわけです。今日改めて自分の過去から今・どのようにこの性格が形成されたのかを言語化することで、今までよりも「これが私だ」と感じることが出来て気がします。
これから先も思い考え悩むことがあると思うけど、そんな時このノートに立ち返ってこれたらいいな、なんて思ってます。

P.S.
こんな風にスラスラと文字を書き連ねることができるのであれば、卒論も同じように頑張りなさい。(to私へ)

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