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早く気づいてよかった

 歳を重ねるごとにますます雄弁になってきたこのカラダ。そんな愛しい私のカラダとどのように付き合っていけば良いものかと考えた。

 このカラダとの付き合いは、気がつけばそれなりの年月になった。病弱なこのカラダは、20年もてばいいと言われていたらしい。生まれて数ヶ月後に腎臓に腫瘍が見つかりそれを取り除く手術をしたらしい。らしいというのは、私はまったく記憶がないからだ。その上、それを知らされたのが自分の結婚式での親戚のおじさんのスピーチだった。右脇腹にある縦20cmの傷跡はずっと「それは盲腸の手術の痕だからね」って聞かされていたのだ。

 盲腸の痕にしては大き過ぎると思ったのが大学生の頃だったが、その頃にはまぁいいかと思っていた。物心ついた時から大きな傷口はあったので水泳の時に隠すこともしなかったし、それを恥ずかしいとも思っていなかったし、その後傷跡が痛むこともなかったので気にしていなかった。

 20年もてばいいと言われたこのカラダがもうその3倍も頑張ってくれている。昨年はいよいよもうダメかと思ったが、またどうにか復活した。もう少し頑張れそうだ。あとはもう騙し騙しという言葉が似合う気がする。今までもそうだった。
強制的に運び込まれるまで、騙し騙しつかってきた。

 痛くて動かなければ、痛くないように動いた。それでも痛い時は少しでも痛くないようにした。痛くて我慢できない時にはひたすらじっとしていた。お腹が空いたら食べて、お腹いっぱいでも食べて、食べ過ぎて苦しくなったら食べるのをやめた。歩きたい時にはうんと歩いて、歩きたくない時には歩かないでじっとしていた。

 うんと動きたい時にはうんと動いた。気持ちよかった。でもまた動くと痛くなってまたじっとしていての繰り返し。

 息もしていた。鼻で吸って鼻から出して、必要なとき以外は口は閉じていた。口から吸って鼻から吐いて、鼻から吸って口から吐いてというのはどちらも合わないからいつも鼻だけで息をしていた。鼻じゃ足りなくなったら口をつかって息を吸うのでなくて、鼻だけで足りるくらいまで動きをゆっくりにした。

 心も同じで、口で息をしないといけないくらい心が激しくうごく時は、心を自分では動かせない場所にそっと置いておく。するとだんだん鼻だけで息ができるようになる。そんなことができるようになったのはつい最近のことで、それまではそれの逆のことをしていたと思う。それでもどうにかなってきたから。

 でも、「それだとちょっとキツいよ」とカラダが呟き出した。「まぁまぁそう言わずに今日だけだし」と言い訳してきた。「やっぱりキツいよ。昨日だけって言ってたじゃん」の呟きにも「明日からはちゃんとやるよ」と。「ホント無理だって」と言われても、「まだローンもあるし、教育費もかかるし、家族が生きていくためには仕方ないだろ!」って。そしてカラダは黙った。

 ある日突然。本当に突然だった。

 カラダは動いてくれなくなった。

 今はね、カラダとよくしゃべるようになったよ。もう長い付き合いだからアイツのことは私が一番よく知っていると思っていたが、全然知らなかった。きっと子供たちのこともそうなんだろうな。夫婦もそうなんだろうなって思った。わかっているつもりはただの思い込みなんだな。

 早く気づいてよかった。

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