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伊勢金比羅参宮日記(7) 桑名・おばた宿


2月17日(20日目) 桑名


 晴天だが少々雲がある。佐屋を朝六つ(午前6時)に出発。舟の中は寒風が甚だしく、私たち一行で1艘の舟を買い切り、448文なり。もっともそのうち148文は舟玉(航海安全の守り神)であった。五つ半時(午前9時)桑名に着船した。


桑名



 桑名の湊(港)には太神宮(伊勢神宮)の一の鳥居があった。今日は桑名弁当にて、オランダ人に出会った。桑名を出て四日市までの半ばあたりのところで出会う。行装は見事であり、オランダ人2人、一人は輿に乗り、もう一人は歩いている。私と肩を比べて見ると3寸(9センチほど)ばかり高い。容姿や衣服は絵に描いた通りである。


 四日市は良いところである。太神宮へ宿を過ぎてしばらく行くと追分がある。ここでまた今度は大坂の宿引がいた。先日の京都の宿引に答えた通りに答えること。


四日市

 ここからは平地といえども、9尺(2.7mほど)ほどの道であり、田んぼ道が多い。参詣人がいつもよりかなり少なく、神戸のご城下(鈴鹿市神戸城)を過ぎて、白子(鈴鹿市白子)に至っては雨が降って来たため、大黒屋九郎衛門にて泊まることにする。

 夜になって益々雨は降り続いた。

 佐屋のご番所は尾州侯から出仕しているので、佐屋舟は450文で一艘買い切るに限る。その上に少々酒代も遣ってやるがいい。200文ほど遣わすがいい。もっとネダって来たならば100文ずつ増やしてやること。一度にたくさん遣わすと、またもっともっととネダッてくる。

 他、乗合舟は20文である。30文で一人前として済むが、16人乗りと言って20人位乗せ、舟に水が入り込むように、わざと舟をゆすって、人が多く混み合っているので大きな舟に乗り替えてくれ、と言って、あらかじめ舟を自分で用意しておいて乗替えさせる。また大きな舟になると人夫が多く必要になるからと言って、一人前150文位から200文ほど上手にゆすり取っていく。

 舟を一艘貸し切ってしまえばそういった心配はなく、また舟に乗る前、宿屋まで人が送り迎えまでしてくれる。その時に船頭に、船賃は宿屋に渡してあるからそちらから受け取ってくれと、ちょっとことわりおくこと。念のためである。心得べし。

 桑名を出て、少し行ったところの村で、焼き蛤(はまぐり)を商っている茶屋がある。名物ということで客を引き込んでいるが、ここで休んではいけない。真の本家名物は、四日市と桑名のちょうど中頃にある冨田というところ(桑名より一里半ほど行ったところ)に、ここよりも良い茶屋が2軒ほどあり、蛤を商っている。吾妻屋定右衛門という家は綺麗でけっこうだが、焼き蛤は2、3個を限度としてたくさん食べ過ぎないように。味噌煮にし、うしほ煮は妙なり、命ずべし。

2月18日(21日目) 津

 朝、曇っていたが四つ頃(午前10時)から晴れて来た。少々肌寒い。

 白子宿には安産の観世音(子安観音:白子山観音寺)がある、参詣すべし。そこには不断桜(一年中葉と花をつける不思議な桜:現存)がある。

 ここから津の御城下である。良いところだ。

 ぼらばな(意味不明)にて茶漬けを食べる。大黒屋藤兵衛は名茶屋である。

 ここから雲出まで2里。しかし、思ったより近い。雲津川があり、宿をさし挟んでいる。

 北雲津までは半道ばかりである。駕篭などを頼む時は、南雲津までいくらかと決めることだ。

 月本六軒茶屋、ここに大和屋という店がある。

 松坂に到着する。この松坂宿は紀州の領土であり、紀州侯の御陣屋があってとても賑やかである。

 七つ(午後4時)到着し、大石屋喜兵衛に泊まる。

2月19日(22日目) おばた宿


  天気良し。松坂出発して、今田、櫛田川がある。舟渡りし、その先の新茶屋の柳屋にて休憩する。良い茶屋である。

 そこから先におばた宿(現伊勢市:伊勢参宮街道の最後の宿場)本陣がある。諸侯はこの御本陣にお泊まりあそばされ御参詣し、また御立返り、この宿にお泊まりあそばさたということを聞いた。

 これより宮川舟渡し、そこから少し行って山田である。八つ時(午後2時)到着。


 御師(おし)は、三日市太夫次郎手代井村助太郎である。櫛田川を渡って神領(神社の領地)に入る。ここで人足に出会い、旅人の出身地を聞いて来る。「私は三日市からお迎えにあがりましたので、これから御案内します」と言う。

 御師とは、伊勢神宮神職で、年末に暦や御祓を配り、また参詣者の案内や宿泊を生業とした者。伊勢では「おんし」という。この制度は明治4年7月には廃止されている。伊勢講やら神明講やらの集団が背景にあるお伊勢参り。その集団を取りまとめるのがそれぞれの御師であったらしい。


 私は最初、これはまた宿引きの類いではないかと気をつけていたが、これはすべて神領の百姓らのお役目であって、いずれかの御師のところまで旅人を連れて行けば、一日のお役目が終わるというものであった。しかし、彼等の様子では少しの酒代はもらいたがっている様子であった。


 まずはじめは案内は必要ないと、一通りは断った方がいい。それでも必ず付いて来る。それでも構うことはない。


 三日市太夫次郎も八軒ある。気をつけておくことだ。もし、迎えの者が来てくれない時は、三日市太夫次郎御用達と印のある家に立ち寄って、いろいろ聞いたら良い。であるから、山田到着は少々早い方が良いだろう。


 御師の家の玄関で、取り次ぎの者へ、姓名、出身地を申して取次いでもらい、その上で座敷に通り、しばらく待っていたら使用人が来る。その時に、国処、姓名が書かれ印の押してある手札を遣わす。その後、井村助太郎が来た。
 その時に、奉金はいくらくらい差し上げたらよいのか、また宜しくお取計らい願い入ること申したら良い。


 名札出方
 酒井志摩守内上州佐位郡
 伊勢崎住居 栗原元泉

 と、書き記して遣わした。


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