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【雑学】11月23日は元々勤労感謝の日ではなかった⁉︎

勤労感謝の日とは「勤労を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝し合う日」とされているが、もともとは「新嘗祭(にいなめさい)」というお祭りの日とされていた。

1945年の敗戦後、日本を占領下においたGHQは国家神道の色が強い新嘗祭という名前の祭日を勤労感謝の日に変更した。

この新嘗祭の起源は「天孫降臨」という神話に記されている。

日本全国を守っている総氏神(そううじがみ)である天照大御神(あまてらすおおみかみ)は孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を天界から地上に降して、葦原中国(あしはらのなかつくに)を治めさせようとした。

その際に天照大神(あまてらすおおみかみ)は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に三種の神器(八咫鏡・草薙剣・八坂瓊勾玉)と稲穂を持たせ、天上の清らかな稲を地上で作るようにと命じた。

その際に天照大神(あまてらすおおみかみ)はこうも伝えた。
「地上が豊かになったら、自分のおかげでそうなったと傲慢になる。だから鏡を私だと思って毎日自分の姿を写しなさい。もし、その鏡に民を苦しめるような自我があったなら取り除きなさい。」と。

そして瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は地上に降りた後、稲を育て国中の村から村へ稲を届けた。
すると国は豊かになった。

そして瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)はこの稲に”天地万物を産み成す霊妙な神霊”という意味をもつ産霊(むすひ)という名を付けた。

そして産霊(むすひ)からなるものをコメと名付け、八方に命が広がるという意味を込めて「米」という漢字をあてがった(諸説あり)

日本では古来から男の子のことを産霊彦(むすびひこ)、女の子のことを産霊姫(むすびひめ)と呼び、この産霊彦と産霊姫の一番最後の文字を取るとコメとなる。
(昔は“おにぎり”も“おむすび”と呼ばれていた)
つまり、人々の命は稲により結ばれ、産み出されているとされていた。

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)はこの稲が収穫されるとまず民に分け与えた。
そしてその一か月後、天照大神(あまてらすおおみかみ)として毎日自身の姿を写した鏡と共に新米を食べた。

つまり、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は民に米が行き渡ったのを見届けてから、一番最後に米を食べていたのだ。
そしてその慣習は親から子へ、子から孫へと引き継がれた。

天皇陛下はこの瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の子孫である。
つまり、この慣習は126代もの間、引き継がれ、2681年たった今も続いているのだ。

天皇陛下は今もなお、11月23日に宮中三殿にて八咫鑑(やたのかがみ)と一緒に新米を召上る。

新米は9月下旬から10月初旬にかけて収穫され、人々は10月には新米を楽しむが、天皇陛下はこの日まで新米を召上らず、11月23日から新米を頂き始めるのだ。

このように天皇陛下は国民を古くから見守ってくださっている。
鏡(かがみ)から我(が)を取ると神(かみ)になり、八咫鑑は我を抜いて神になるための神器ともいわれている。

我々は天の恵みに生かされている。
そして我々は代々命を引き継いで今ここにいる。

天皇陛下が望むことは国民が平和裏に暮らすことだ。
皇室が一年のうちで一番大事にされている儀式が「新嘗祭」であるとも言われている。

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