見出し画像

テレビの質の低下から見るマスメディアの瓦解

日本のテレビが終焉を迎えつつあるというのはもう10年以上前から言われてきたことだが、2021年の大晦日に改めてその言葉が現実味を帯びてきているのを実感した。

2021年の大晦日はテレビに呆れ、落胆した人が多かったのではないだろうか。
それほど、年末年始のテレビ番組が面白くなかった。
というより興味をそそられなかったという方が正しいのかもしれない。

以前は年末年始の特番を楽しみにしていたものだが、同じ顔ぶれのテンプレート化された番組構成に飽きてしまい、テレビを見たいという感情が全く掻き立てられなかった。

なぜここまでテレビが凋落してしまったのか。
それはメディアのビジネスモデルやテレビの成り立ちを紐解いていくと原因を垣間見ることができる。


日本のメディアのビジネスモデル

フジサンケイグループや読売新聞グループを例にとればわかりやすいが、テレビを含む日本のメディアは、新聞、テレビ、ラジオ、雑誌を縦軸、そして、この縦系列の各メディアグループを芸能事務所と広告代理店が横糸で繋いだ護送船団方式で成り立っている。(この横糸はNHKまで入り込んでいる)
これが日本の大手メディアのビジネスモデルだ。

そして、新聞社を起源として各種メディアが連結し、地方局までネットワークを広げ、日本中を支配している。

メディアは本来、相互監視が原則だ。
あるメディアが誤った主張を発信すれば他のメディアが叩くという相互監視機能があるべきだが、記者クラブに見るように主要な新聞、テレビが一堂に会し、よろしくやっていてこの機能が働いていないのが日本のメディアの実態だ。

テレビ局の苦しい台所事情

昨年11月、フジテレビが早期退職者を募集したことがネットニュースを騒がせた。

早期退職者を募集するフジテレビ 会社としての「体力」に余裕ない状態か - ライブドアニュース (livedoor.com)

フジHDの社員平均年収、2015年には1447万円だったのが2019年には1168万円にまで下落。さらには2020年は803万円まで落ち込んでいる。
昔は年収2000万、いまや700万 どん底に落ちたフジテレビ社員たちの肉声

華々しい業界のイメージがあったが、ここにテレビ局の凋落ぶりが表れている。

これはテレビ業界に身を置く人なら誰もが感じていることだが、かつてテレビの登場によりラジオが衰退の一途を辿ったように、インターネットメディアの登場によりテレビも同じ道を辿っている。

今のテレビには無線LANひとつでネットに接続することができるYoutubeボタン、Netflixボタンが付いているため、これらがチャンネルの一つとなり、ボタン一つで簡単に無限に広がるコンテンツの海に接続できる。

そして、テレビにネットをつないでいなかった世代がコロナ禍で孫を預かっている間にテレビをネットに接続し、YoutubeやNetflixに接続されるようになり、地上波を見ていた世代ですらネットの世界に飛び込んでくるようになった。

HDDレコーダーの登場でインターネットメディアに取って代わられる時間を少し遅らせることが出来たものの、今までテレビを見ていた世代のネットへの接続とリアルタイムでしか見られないテレビは見たい時に見たいものを視聴してきたYoutubeやNetflix世代の成長とコンテンツの拡大により、当たり前のように娯楽の中心に君臨していたテレビがYoutubeやNetflixの台頭でその地位が脅かされた。

在宅時間が増えてテレビの視聴率が増えているように見えるが、モニターの前に座る時間が増えただけだ。視聴率はコロナ報道にうんざりした視聴者の激増により低迷の一途を辿っている。

広告主側から見ればコロナで消費が弱くなったのでCMを高額なテレビに入れる費用対効果が弱まり、テレビ局の主たる収入である広告料が入らなくなり、その台所事情が厳しくなった。

想像以上に厳しい新聞社の今

かつてはメディア界の頂点にいた新聞社はテレビより厳しい。
客観的に見れば新聞社は消滅への道を歩んでいると言っても良いレベルまで来ている。それくらいの勢いで新聞購読者が激減している。

2020年に始まったコロナウィルス感染拡大に伴い、人々の生活習慣が変わり、新聞社を奈落の底に突き落とした。

購読者減少の原因は様々あるとして、そもそも若い世代は新聞を読まない。
スマホがある今、わざわざ新聞を買うことはないし、まして定期購読なんてもってのほか。

以前は家庭に新聞があるのが当たり前で、親が朝、新聞を読んでいた景色が家庭にあったが、それが消滅したので若い世代が独立して一人世帯になったとしても新聞を取ろうという機運が生まれない。
社会人になったら新聞を読むという、空気や価値観は今の若い世代には無い。

そして購読者の中心であったサラリーマンも通勤が無くなったので、通勤途中に新聞を読む必要もなくなった。
タブロイド紙は駅で買うものだが新聞が売れないので駅での取り扱いも激減している。

さらに、新聞購読者の維持・向上のためには営業活動が重要で、以前は野球のチケットや洗剤などを使って飛び込み営業に力を入れていたが、都市部はオートロック化が進み、新聞の飛び込み営業もできなくなった。

オートロック世帯は一度解約した人を再び契約することも難しいし、そもそもオートロック世帯は玄関まで新聞を持ってきてもらえない。そうなると自分でポストまで取りに行く手間をとってまで新聞を購読しようという人もいなくなった。

オートロックの家庭が少ない地方はどうかというと、過疎化が広がり、習慣的に新聞を契約してくれている年寄りも時間の経過とともに減っていく。このように様々な要因によりマーケットが急速に縮小しているのが新聞のマーケットである。

現在の新聞社の収益の柱はバブル時代に取得した不動産で、都心に多くの不動産を保有している朝日新聞社なんかはメインの新聞事業で垂れ流している赤字を不動産管理業で補填しているような状態だ。

ボランティアで新聞を出している会社と揶揄されているのも納得感がある。
報道・情報発信のニーズは変わらないものの、新聞という媒体は最早、社会から不要なものとされつつある。

テレビ離れが始まった芸能界

縦糸のメディアが崩壊の一途を辿るのに合わせ、横糸の広告代理店・芸能事務所も思うように仕事を取ることが出来なくなってきた。

元々、芸能事務所のビジネスモデルは、安く纏め売りで所属芸能人をテレビに露出させ、知名度を上げ、営業や舞台で稼がせるというものであったが、コロナ禍で営業の仕事が消失した。

テレビが魅力ある媒体であった時はともかく、芸能事務所に押込む力が無くなり、安くなったギャラを事務所にピンハネされるとなると、自分で稼ぐ力のある芸能人が事務所を飛び出し、独立する現状は理解できる。

スポンサー離れに伴う急激な予算削減が追い打ちとなり、テレビは設備や小道具を抑えた「ひな壇番組」に急速にシフトしたが、コロナ化を経て今まで作れたような、芸能人をたくさん並べて芸人の知名度を売るひな壇番組すら思うように作れなくなってきた。

一つの画面で20人くらい出せていた番組も出演者数が激減、今や出演者4~5人という番組が増えて芸能事務所が所属タレントを押し込むことが出来なくなった。

そうなると、テレビでよく見かける一流芸能人はともかく、二流、三流芸人がテレビから排除され、テレビには出られず、営業もできないという地獄のような状態となっている。

営業ができないため、芸能人は生きるために必死に魅力的なコンテンツをYoutubeで作る。そうすることによりYoutubeのコンテンツが充実し、魅力的なものになってくる。

勿論今でも芸能事務所の存在意義は大きいし、テレビの影響力もまだまだ巨大ではあるがテレビに出れなくても、Youtubeで地道に営業を続ければ収入を得ることが出来るようになった現在は芸能事務所の存在意義が相対的に小さくなってきている。

同じことが言えるのが広告代理店で、大手広告代理店はプライムタイムやゴールデンタイムといったテレビの中で若い層、つまり購買層が最も視聴する一番メインの時間帯を”帯”という形で抑えてきた。

広告主側からすれば、購買層が最も視聴している良い時間帯に広告を入れるためには広告代理店と付き合わなければならなかったが、テレビの価値が落ちてゴールデンタイムの視聴率が落ちてしまった。そうなると広告主は代理店と付き合う必要が無くなり、ゴールデンタイムの枠自体に競争力が無くなってきた。

タレントが芸能事務所に所属していた一番の理由がテレビに押し込んでくれる(=仕事を取ってきてくれる)ことだったが、その力が弱まると芸能人の事務所離れの力が働くようになる。

ワイドショーはまだまだ続く

テレビ局にとってワイドショーは重要で最も力を入れているコンテンツだ。
だが、ワイドショーはギャラの高い有名タレントを使ったり、中継を繋いだり、とにかくコストがかかる。

また、ワイドショーはワンタイムでしか使用できないコンテンツなので再放送もできない。なので、コンテンツとしてはコスパが非常に悪い。
だが、テレビ局はワイドショー(≒報道)を捨てることはしない。

なぜならテレビ局は報道番組を持つことでスポンサーを獲得する手法(報道にスポンサードしてくれれば御社の悪口は言いませんよ、もみ消しますよという手法)に頼っているからだ。

なので如何にコストが合わないとしても報道を切り離すことはできない。なので、高コストタレント起用から局アナに切り替える動きが加速している。

インターネットの台頭からじわじわと崩壊しかけたメディアに追い打ちをかけたのがコロナ報道だ。
これは、テレビ業界に勤める人たちの多く、特に若手世代は皆認めているところだが、テレビ、特にワイドショーはコロナをあおりすぎた。

視聴者の不安をあおることで視聴率を取る手法に溺れ、目先の視聴率を取るためにコロナ報道をあおりにあおった結果、経済が低迷しスポンサーの体力を削ぎ落とし、視聴者を辟易させた。

テレビがつまらなくなった理由

テレビ局では高齢の社員と若手の社員で軋轢が生まれている。上の世代はあと数年で引退のいわゆる逃切り世代と言われていて、いつでも早期退職できるから自分の好きなことをやりたいと考えているが、若い世代はそうはいかない。

生き残るため、テレビを再び魅力的なコンテンツにするために様々なアイディアを試そうとするが、高齢の社員がテレビ全盛期に作り上げた過去のテレビ界の常識で古びれたテンプレートやメソッドを使い続けるため、自分達が作りたい作品が作れなくなった。

こうして、若手の優秀でやる気のある社員は皆YoutubeやNetflixに現在の給料より遥かに高い給料で引き抜かれ、人材という面でもネットメディアに後塵を拝するようになってきた。

Netflixの予算はテレビの10倍、予算は会員が増えれば増えるほど潤沢となり、かつ視聴者は世界中。今やネットメディアは予算も視聴者も人材も日本のメディアをはるかに凌駕する存在となり、勝負にならなくなった。

元々、テレビ局は学生運動があった時代にまともな企業に就職できなかった学生の受け皿となっていた背景がある。 

当時新聞社はメディアの中で一番強く、優秀な人材が集まったのが新聞社でテレビ局はその中でも最下層にあり、新聞社に落ちた人材が入社していたという時代があった。

だが、テレビがつまらなくなった理由は予算だけの問題では無い。
テレビは興行で、ある意味芸能界と表裏一体という感じであった。

芸能界は学歴というより芸で食べていく世界である一方、報道は膨大な知識や基礎学力が求められる世界であるため、異なる才能が表裏一体となって化学反応を起こしていたというのがテレビの世界であった。

この化学反応が魅力的な時代があったが、ネットメディアが台頭してきた今、この化学反応が通用しない時代が到来したのではないだろうか。


まとめ

このように、縦糸横糸が瓦解し始めているのがメディアの現状だ。
ネットメディアという黒船の到来により護送船団も崩壊しかけている。人材も予算もタレントもテレビから離れつつある。

芸能界には人を楽しませる魅力ある才能がたくさん集まってくるが、それを活かし、輝かせることのできない単なるコンテンツになってしまうのであればテレビには存在価値が無い。

テレビ局はもともと、超が付くほどの究極ブラック業界だった。殴る蹴るは当たり前、奴隷のように扱われるディレクターが上に怒られないために必死になって制作に取り組んでクオリティの高い番組を作り続けてきた。

今やテレビ局の過去の働き方をすればパワハラ・コンプラの問題になってしまう。
時代が変わり、働き方が変わってしまった今、様々な環境要因で過去のようなテレビ番組はもう見れなくなってしまったのかと考えると、改めてこういう部分にも日本の国力低下が表れているのかもしれない。

だが、いまだテレビというコンテンツの持つ力は強大だ。誤った方向に進んでいるものを修正し、視聴率第一主義でスポンサーの顔色ばかり窺っているテレビを視聴者は楽しんで見ることはできない。

テレビを見て育った世代である身とすれば、再び魅力的でクオリティの高いコンテンツとして復権することを切に願う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?