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寂寥

うちの家族はとにかくよく書く家系で
リビングには大量の紙とペンがそこかしこにおいてあった。
一番それを使っていたのは文学者である曾祖父だった。
曾祖父はふっと思いついたイメージをとりとめなく書きあさり、
チラシの裏紙に詩を書いた。
満足に削られて居ない鉛筆で走り書いたそれが本になるので、お弟子さんたちが悲鳴を上げていたのを覚えている。
曽祖父の作品は大体がチラシの裏紙だ。
丁寧に書いた原稿用紙なんてほぼみたことがない気がする。

とにかく書けといわれていた。
そして疑問はすぐに解消しろと、
解消できないなら書けともいわれたので、家族たちがやむを得ずその場で調べられなかったことはどこかのチラシの裏にメモされた。

余談だが、この「疑問はその場で調べる」という行動、あまり一般的ではなかったらしい。入り婿だった父はこれが嫌で嫌でしょうがなかったといった。
なにか疑問があると食事中だろうが、すぐに百科事典を取りに走るのが
異様に見えたとぼやいていた。
いまだに父は私が会話の途中に疑問があればスマホで調べるのを渋い顔で見ている。

この前、納戸を整理していたら
そんな頃のメモが1枚でてきた。
「寂りょう」とひらがなで書かれていた。
恐らく「寥」の漢字が思い出せなくて書いたメモなんだろう
一緒に「せきりょう」とすごくデカく、寂寥とは思えないほどの元気な字のメモがでてきた。たぶん、小さい頃の私の字だと思う。
一体何の話をして、それが出てきたのか思い出せないが曽祖父があまりにも元気な「せきりょう」をとっておきたいとおもったのだろう。文箱にわざわざはいっていた。

祖父は寂寥をちゃんと調べただろうか。
小さなわたしは寂寥がなんだかわかったのだろうか?
そんなことをふと思ったので書き留めておく。


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