見出し画像

人生の薄さって努力でカバーしていいんだ。【M-1アナザーストーリー】

M-1アナザーストーリー見ました?

放送日はちょうど東京にいて初めて知ったんだけど、今年は関西だけで放送してたのね。なんでやねん。全世界で放送しなさいよ。

内容の濃さとか感動がどうとかの話は、方々でいろんな人がしていて同意する部分があったりなかったりするな~って思うので特に僕が言うべきことはないんですが、個人的に刺さったのはここ。

人生が薄いからみんなと違って
まぁ薄くても 漫才やってる間だけは おもしろいでいいじゃんか

高比良くるま氏 18:50あたりの字幕

あと、本人としては当たり前にやっていたことが、周りから見れば途方もなく『努力』だったという趣旨の事も言っていて、努力の本質ってそこかもと思ったりとかして。

僕に限らず、自分はつまらない人間だと感じる事って、誰にでもあることだと思う。

無意識に、それって人生経験を積むことでしか補っちゃいけない事だと思い込んでたんだけど、意外とそうでもないかもと思った。

ヤンチャしてた頃の話とか、変なバイトの経験とか、良くないんだけど家庭環境が不遇だったとか、そういう昔話ってもう今からじゃ体験できないし捏造もしちゃいけないものだし、後になってからそういうチャレンジとか身を滅ぼしかねないことってなかなかできない。

というかそんなこと敢えてするもんでもない。いや、してもいいんだけど『経験値のための経験』を自分のものにするのってそれこそセンスがいることだと思う。

だから、そういう良くも悪くも積み上げがある人には真っ向勝負しても絶対勝てない。
それは事実として、絶対勝てない。そこは意識すべきだとは思う。

それはそれとして、じゃあその経験値の『値の比べ合い』で負けたらそのまま負けってことでいいのか?という。

そこについて僕はずっと「お前の経験値の方が上?じゃあ負けだわ」という人生観でいたから、比べる基準を常に過去の自分だけに絞って自己肯定感を保っていたんだけど、別にそこだけで勝負する必要もないんだ、という気付きをこの場面で得たように思う。

まあ当たり前っちゃ当たり前の事なんだと思うけど、自己肯定感が低いとこういう志向に陥りがちというか、「なんて僕は薄っぺらい人間なんだ」みたいなことを思いがちなんじゃないかなと思う。

インタビュー記事か何かで「自分は自己肯定感が低い」とも言っていたけど、謙遜でもなく本当にそう思っているんだろうなという変な確信がある。

何が言いたいかというと、なんとも言語化できてないままだけど、端的に言えば勇気づけられたというか、負けたままじゃなくていいと言ってもらえたような感じがしたというか、そんな気持ちになった。

自分は面白い人間ではないし、面白いエピソードもないけど、面白いことをしたい時に頑張って面白くあろうとする姿勢は取ってもいいんだ、と肯定してもらえた気に、勝手になりました、という話でした。
まとまってなくてすみません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?