障害者クレーマーを産む3つの構造 #1

車いす利用者の伊是名夏子さんが書いたブログ記事「JRで車いすは乗車拒否されました」が広く批判されています。
それに続き「かわさきりょうた@車椅子からの言葉 」さんの記事「車椅子ユーザーはそれでも負けない 」にも批判が集まっています。
ここでは今回の経緯を概観し「障害者クレーマー」を産む構造を考えたいと思います。

また類似の事例としてバリアフリー研究所代表の木島英登さんがバニラ・エアに事前連絡なしで車いすの登場を要求したことが批判されているので、それについても判断に含めます。

(#1では「3つの構造」については触れません。飛ばして#2以降から読んでください。)

そもそも正しかったのか

既に批判が多くされていますが、それでも実際に「伊是名夏子さん」の行動が本当に誤りだったか、JR側の対応が正しかったかを判断しなければなりません。
インターネット上の議論は感情論も多く、流れに逆らい辛く、必ずしも多数意見が正しいとは言えません。

伊是名夏子さんの記事を簡単に要約すれば以下のようになります。

・小田原駅で駅員に問い合わせたところ、利用者3000人以下である来宮駅では車いすの対応はできないと断られた。駅員3、4人を要求した。1時間「交渉」した。
・熱海駅では実際に4人の駅員が対応した。
・実際に対応できたのだから正当な要求だった。
・マスコミにも連絡している。取材の予定がある。

障害者差別解消法の努力義務

注意:私は法律の専門家ではありません。法的な内容に関する正確性は一切保証されません。法的なアドバイスが必要な場合は正当な免許を持った専門家に依頼してください。

今回とバニラ・エアの件に関する基本的な前提として障害者差別解消法(障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律)の規定があります。

第八条
2 事業者は、その事業を行うに当たり、障害者から現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明があった場合において、その実施に伴う負担が過重でないときは、障害者の権利利益を侵害することとならないよう、当該障害者の性別、年齢及び障害の状態に応じて、社会的障壁の除去の実施について必要かつ合理的な配慮をするように努めなければならない。

ここで注意する点は以下の三点です。

・「努めなければならない」、つまり努力義務であること。
・「実施に伴う負担が過重でないとき」に限ること。
・「必要かつ合理的な配慮」という規定。

努力義務は法的制裁のない義務(今回は作為義務)です。
遵守するか否かや達成度は当事者の判断に委ねられます。
ただし義務への違反は民事訴訟上や行政訴訟上などで不利益を受けることもあります。
規定が強制に馴染まない場合、強制は時期尚早である場合、強制が人権侵害にあたる場合などにこうした規定が置かれるようです

・参議院 2016年11月『努力義務規定 - 参議院』立法と調査 NO. 382
Wikipedia『努力義務』
・労務SEARCH 2020年11月6日『【社労士監修】「努力義務」の意味とは?対応や罰則、義務や配慮義務との違いを解説!』
・荒木尚志 (東京大学大学院法学政治学研究科) 2004年12月 『労働立法における努力義務規定の機能-日本型ソフトロー・アプローチ?-』 (荒木 2004)
(Google検索での上位4件です。)

一般に努力義務は「罰則がないから無視して良い」というものではありません。
しかし「努力義務規定は、一般に何らかの私法上の効果をもたらすものとは解されて」いません[1]。
つまりこの場合「障害者から現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明」は当然に可能だとしても、それを強制できるような性質のものではなく、そのような権利は存在しません。
努力義務の中には「法的義務にすれば表現の自由に抵触する」のような性質のものもあり、努力義務を「決して無視してはいけない」とするのは危険な考えです。

[1] 荒木 2004 6ページ
さらに注釈を引用する。
「ちなみに、年休取得労働者に「不利益な取扱いをしないようにしなければならない」として、努力義務規定よりさらに強い文言を用いている労働基準法136条の私法上の効力についても、最高裁(最二小判平成5年6月25日民集47巻6号4585頁)は「努力義務を定めたものであって・・・不利益取扱いの私法上の効果を否定するまでの効力を有するものとは解されない」としている。」

今回の場合、無人駅に4人支援することが「実施に伴う負担が過重で」あり、「必要かつ合理的な配慮」を上回っているという駅員の判断が尊重されるべきです。
客観的に見ても「過重で非合理」であることは明らかでしょう。
普通に考えて4人は多いですし、一定の危険を伴い、タクシーの利用を促すか近隣駅で我慢してもらうのが合理的です。

またこれとは別にバリアフリー法(高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律)がありますが、同じく努力義務であり、「基本方針」における対象は利用客3000人以上で今回の場合は対象外です。

可能である≠過重ではない/合理的

伊是名夏子さんは結果的に介助を受けられたことを理由に「どうして急に熱海駅の対応が変わったのか」などと問うています。
しかし明らかなことですが、「実際に可能である」ということは「過重ではない」ことも「合理的である」ことも意味しません。
実際には過重で、駅員にとって大きなリスクがあり、通常行わないサービスだとしても、「一時間駅員が拘束されるよりマシ」だから特別扱いしただけの話で説明できます。

この点には注意してください。

加えて駅員は鉄道の安全かつ円滑な運行に対して大なり小なり貢献しており、その拘束は最悪の場合には鉄道事故や遅延にまで繋がりかねない点も補足します。

異なる論点

しかし法的な正当性が存在しないことは、障害者がサービスを要求することを禁じるものではありません。
逆に仮に法的義務があり駅員の誤解で拒否していた場合を想定しても、何をしてもいいわけではありません。
以下の論点は全く別の独立した議論です。

・JR側の行動に法的な問題はなかったか(なかった)。
・JR側の行動に改善の余地はあるか(あるかもしれない)。
・伊是名夏子さんの行動に問題はあるか(ある)。
・駅員は同情に値するか(する)。
・現行の障害者差別解消法に問題がないか(不十分/行き過ぎ)。

一般にあらゆるサービスも商品も何らかの改善の余地はあるものです。
情報提供はそうした意味で意義はあります。
しかしJR側に改善の余地があったからと言って伊是名夏子さんの行動が全て正当化されるわけではありませんし、法的な問題があったと仮定しても駅員に同情するのが倫理に反するわけではありません。

伊是名夏子さんの行動に問題はなかったか

さて法的な問題が存在しなかったことは明らかですが、伊是名夏子さんの行動に問題がなかったか別に議論しなければなりません。
記事から伊是名夏子さんはJR側の対応が障害者差別解消法に違反するか、そうでなくとも改めるべきだと強く認識していたことは疑えません。
行動は悪意によるものではなく、(自分以外の)障害者にとってより良い環境を実現するという善意であるようにさえ見えます。

だとしても以下の点は問題です。

・「対応しかねる」という駅員に対し1時間も「交渉」したこと。
・「障害者差別解消法があり、エレベーターがない駅は、合理的配慮としてほかの手段で対応していただく法律があります。(中略)エレベーターがないならば、それ以外方法で対応する義務があります」という虚偽の/誤解を招く説明をしたこと(おそらく誤解による)。
・「記録を撮ったり、メディアに連絡したり」とマスメディアを利用した脅迫行為をしていること(「私もここまでしたくありません」と攻撃性を認識している)。
・反省や感謝がなく、正当だと認識していること。

特にインターネットユーザーが反応したのは最後の点でしょう。
彼らは「このような行為が正当である」とされてしまうことに恐怖したように見えます。

補足:仮に駅員を長期間拘束するような行き過ぎがなければ、正当な権利の要求は認められなければならないという点は強調しておきます。
多数意見への抵抗が難しいインターネット上の議論では、多くの人が「仕方がない」と思っている権利の要求も攻撃されることがあります。
例えば法に明確な規定がある「職務質問の拒否」がインターネット上に限らずマスメディアによっても攻撃されることがありますが、これは議論の余地がなく不当な批判であり、警察による人権侵害/犯罪行為の惹起になります。
今回の場合は法に規定のある「現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明」までは当然の行動です。

#2 構造1:「社会への貢献」という幻想 >

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