見出し画像

うつ病寛解までの覚え書き


経緯

これまで、こまめにしか呟いてこなかったので、まとまった形で書いてなかったなと思ったので、一度メモしておきます。

始まり

元々、ゲーム開発系の仕事をしていた為、入社直後から、月の残業時間100時間や300時間近くは頻繁に続いたりもしており、正直健康面はボロボロでした。とはいえ(今となっては昔話ですが)、そんな中で十年以上やり抜いていましたが、調子がおかしいなとなったが、2011年でした。多分、忙しいだけなら気づかなかったんだと思います。当時、ちょうど、振られた仕事について、行き詰まりを感じていました。立てた目標を実現する手段がなかなか思いつけず、下調べも進まず。そうこうしているうちに、気分もペースも低調になり、負のスパイラルという形に。

2つのきっかけ

低調のさなかに、まず、2011年3月11日、これは覚えている人も多いと思いますが、東日本大震災です。その時、東京のオフィスで仕事していたのですが、機材倒れないかを抑えようとしたもののそれどころじゃなくなって、机の下に逃げました。が、一旦揺れた落ち着いたところで、ビルの外に全員で逃げる羽目になりました。その際、廊下や外壁を見たら、ひび割れが目に付きました。もはや仕事どころではなく、会社から徒歩圏内だったので、そのまま業務は解散になって帰りましたが、大きな揺れはその後もずっと続いていて、精神的に不安だらけの状況でした。しかも、原発事故もあって電力不足も重なり、それからしばらく仕事は一切完全に止まりました。在宅勤務なんてものもないし(あったとしても電力不足なのでどのみち駄目だったと思われる)、時折揺れる中、ずっと家の中にいる日々が続きました。仕事の苦労とは別の心配でメンタルが弱る羽目に。
しかし、これがある程度おちついて出社、仕事が再開されても不調は続くし、仕事で行き詰まっていた問題も何も解決しないしで、ここで更に追い打ちが重なりました。ちょうど、2011年4月末に、父方の祖母が亡くなりました。急ぎ帰郷しお葬式をあげて骨を拾い、関東に戻っては来ましたが、低調に重ねて気持ちも沈んだまま。4月末にはちょうど音楽系同人イベントのM3があったのですが当然欠席、加えて、当時作ろうとしていた曲も仕事同様に全然進まず。戻ってきてからも、やはりそちらも全く意欲もアイデアも無し。仕事だけならともかく、趣味も含めてこれはさすがにおかしいな、と気づきました。これまでは、どんなに大変でもしんどくても、趣味の方は嘘みたいなペースで作業が出来ていたのに、それが全くできなくなったのでした。

診断と休職、療養

意欲がゼロ、アイデアがゼロ、そもそも頭が全く働かない、ネガティブなループになってしまう。さすがにこれはおかしいなとなり、自分で色々調べたりした結果、これは心療内科にかかるべきだと、病院を探して通勤の足を止めてすぐ病院に向かいました。
無事(?)、うつ病の診断を受けて、薬での治療をしつつ、会社は、長期休職することになりました。休職までの流れは産業医含めて話がスムーズに進んだものの、おくすりについては少し試行錯誤がありました。うつ病の薬もくつかあるのですが、種類や症状によって、合う人合わない人もあります。
私の場合、最初に処方されたのは、トレドミンでした。
副作用は大きなのが2つ。1つ目が性欲減退、なんなら不能レベル。2つ目が、異常なほどまでのカフェインとの相性の悪さ。効果継続中(実質一日中)、コーヒーを少し飲んだだけで、カフェイン酔いをひどくしたような、ものすごいめまいと吐き気で駄目。さりとて、コーヒー飲まなければいいのかというと、日中まともに動けないレベルの眠気。正直きついなということで、先生に相談した結果、トレドミンは辞めることになり、続いて次に処方されたのがパキシル。10mgから始めました。こちらも副作用はあったものの、まだ日常生活送れる範囲の眠気と、寝付きが少し悪くなる手足のむずがゆさ。後者はパキシルの量が増えていったらきつくなってきたので、40mgの時には、別途副作用を抑える別の薬と併用しました。
基本的にはうつ治療は長期戦なので、薬を飲みつつ、そもそもは規則正しい生活(夜は早く寝て朝はきちんと起きる、食事も時間通り食べる、仕事の事は忘れて外を歩くようにする等)、休職中は他にできることはありませんでした。最初、仕事人間だったのが何もしないでいるというのは、落ち着かないというか、余計な焦りを感じがちだったのが少ししんどかった思い出。しかし、焦ったからといって治るものでもないので、療養生活に慣らしつつ、あとは頭の回復を待つしかないです。

療養中、復職

最初の休職はだいたい二ヶ月くらい続きました。
はじめのうちは、そもそも、夜寝付けないのが厳しかったです。これは時間をかけて落ち着いていきました。焦りと不安感については、これも、最初の一ヶ月くらいで落ち着いてきた感じでした。とはいえ、頭はまだ全然働かず。何も出来ない訳ではないけど、仕事に関する事は全く駄目だし、同人・創作に関する事も全くできないまま。とはいえ、外歩いたり、身体を動かすことはしないとな、ということで、スポーツ苦手な人間なので、近場含めておでかけしてカバーすることに。でかける次いでに、今も続くカメラ趣味はこの頃に始まりました。これはいい気分転換になりました。
夏過ぎに、労働時間規制に加えて、リハビリがてらに本業と違う慣らし運転的な成果要求の少ない作業をしつつの復職を始めました。しかし、仕事は全然まともに進まない状態なので、あくまでリハビリなのでのんびり。そうこうして、年末を過ぎて、労働時間制限もとりあえずは外れました。
とはいえ、その間も薬は継続。
やれる範囲の仕事をしつつ、2012年はどうにかやり過ごしました。

再度の休職

本調子には全く戻れなかったので、結局、次の仕事の山場、行き詰まりにぶつかったせいで、すぐにまた駄目になってしまいました。2013年春から、またもや休職する羽目になりました。
最初、一ヶ月で様子を見てだったけど、二度の診察結果での延長を重ねて、三ヶ月ちょっとの休職。
こうなると、また復職しても、しばらくはヘルプ業務と慣らしの為の成果を重視しないサポート業務くらいしか出来ません。デバッグ要因だったり、補助ツール作るとか。頭働かないけど、ここから今度は時間長めのリカバリ業務をやってもらえたので、どうにかまた元の仕事に戻れるようになりました。
なお、この間、二度の休職とリハビリ業務で成果がほとんど無かったので、課長代理くらいのポジから平社員に戻りました。それはそう。

長く続く治療と、終わり

仕事できるようになったとはいえ、不安定ではある事もあり、そもそも、SSRI等のうつの薬はすぐにやめられるものではない。離脱症状(断薬することでいらぬ副作用的な症状が現れる)もあり、徐々に減らしていく必要があります。
最大、40mgあった薬は、時間をかけて、10mgまで減らしました。ここまで来ると、副作用を抑える薬(手足のむずがゆさで眠れないやつ)も不要になるので、これは助かりました。
で、そうしたら終わりかと思いきや、一度ぶり返しをしている事もあり、この10mgの投薬が途切れず、以後長年続く事になりました。
結果として、正解だったのかなと。その後、普通の仕事をやっていっても、再度潰れることはなく。とはいえ、この10mg投薬がやたら長すぎた気はする。最終的に、担当医が3度変わったあとに、ようやくそこからの減薬が始まり、結局、2022年末に、ようやく投薬治療継続も終わり、一応は寛解という形になりました。2011年から始まった、うつ病との戦い、実に11年。長いのか短いのかは何ともいえないですね、人にも症状にもよるので。

仕事は人に振ろう、困ったらすぐ相談する

もともと、すぐ自分ひとりで抱えがちだったのが駄目でしたね。仕事をするのは自分ひとりではないので、会社なら、上長や同僚がいるので、仕事の中身、作業量、相談で解決することは多いので。何より、無理だと思ったらすぐ無理と言わないと駄目ですね。
今はすぐ言えるようになったのでマシになったと思います。今後も気をつけたいと思います。
が、仕事はさておき、趣味の同人、作曲、お絵描きについては、これは相変わらず全くできないのですが。35歳までに出来ることを使い果たしてしまった感じです。仕事ばりばりやりながら同人活動やっている人も多々いますが、無理をしすぎるとこうなるので、皆さんもお気をつけて。人生何事もほどほど。
……といいつつ、この後、時折、また仕事で昔ほどじゃないけど、残業しまくったり無茶をして酷いことになっているのですが。それはまた別の話。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?