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ロイヤル好きの私が抱える矛盾〜〜令和で終わりでOK

こんにちは。今日は意を決して、ここ数年常に感じて来た矛盾を告白しようと思います。真面目、かつ、もしかしたら不快になる人もいるかもしれない内容です。

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私は政治的思想がリベラルだと自認しています。
(ですので、「オフィスの机の上に皇室カレンダーを置くなんて、どんだけ右翼なのかと思ってた」とある同僚から言われたときには驚きました。)

で、私は

人類みな平等
職業に貴賎なし
差別反対

といった価値観(というかこれを人権というのでしょうか?もしかしてリベラルとか関係ないですか…?恥ずかしい)で生きていきたいと思っているのですが、趣味であるロイヤルウォッチをしているとこの価値観との矛盾によくぶち当たります。

というかこの趣味自体が上記のモットーと矛盾しているのだと思います。

もちろん現実の世界は上記のモットーは理想であり、実現などできていないのはわかっていますが、「皇室制度」「王室制度」というのは

人類の中で「皇族」「王族」は生まれた時から特別であり、「一般市民」とは異なる、敬うべき=上位の存在


であることを強制的に認めさせる(させられる)制度であり、皇族や王族とそれ以外の人々は違う、という前提のもとに成り立っている制度なんじゃないかと思うのですが、それって

人類みな平等
職業に貴賎なし
差別反対

(再掲)

と相容れないのではないかと。。。

「血」が皇族、という理由だけで、身の丈宮にも「さま」をつけなきゃいけないし(自主的にやめましたけど)、30にもなって自分がどれだけ恵まれてるかに無自覚なお嬢さんにも「さま」をつけなきゃいけないし(こちらは敬称をどんにしました)。

「血」で何かを定義することは、本人の努力では変えることが不可能な条件を基に人を判断することにつながり、まさにこれを差別と言うのだと思うのですが、「皇族」「王族」って、「血がすべて」の権化なわけで、、、

そして、裏返すと、天皇や皇族には人権がない、もしくは制限されている。天皇陛下は職業選べないし、皇族に参政権はない。

こんな記事ありました


誤解を恐れずにまとめると

皇族や王族にフルの人権を与えないことと引き換えに「一般人」から無理やりの敬意を搾取する制度

これって誰得なんでしょうか。
(あ、、、ライトなロイヤルファッション好き=つまり…❓とそれはさておき)

私は、今上陛下や雅子さま、愛子さまには自然と「さま」を付けてしまいますが、それは彼らの「血」が皇族だからじゃなくて、人格や振る舞いに敬意を抱くからであります。もちろん、メディアを通じてしか知りませんが。

(「血+振る舞い」の結果かもしれません。普通に知り合ったら人格的に尊敬していてもメールの冒頭以外でさまって言いませんしね)

翻って身の丈宮家。

宮内庁長官は自分の言うことを聞くのが当たり前だと思っている
実名を出して他人をディスり、自分たちの行いを正当化する
ルールに違反して他人の著作をコピペした作文出して「指摘に感謝」するだけで応募も受賞も取り下げようとしない
応援してても敵扱い

こういう人たちを、なぜ敬わなければいけないのだろうか。

人類みな平等なのに。

と、どうしても思ってしまうわけです。


これまで、特に好きでも嫌いでもない皇族方に「さま」付けすることに引っかかりはありませんでした。生まれた時から皇室があったし、そういうものかと思ってただけです。

ここまでの疑問を持つようになったのは、やはり上記の身の丈家の振る舞いがきっかけです。

「一般人」だとしてもお付き合いを避けたくなるような振る舞いが、メディアの記事じゃなくてご自身たちの発信で明らかになり

だったら令和で終わりで良いわ!

と、短絡的に考えるのがわたしです。
(このブログも終わりになっちゃいますが、仕方ない)

ちなみに、、、
マコムロ問題の時、当時の論調としてはかなり変化球で、友人から「これ確かになと思うんだよね」という趣旨のメッセージとともに送られてきた記事がこれ。

婚約者の小室圭さんの家庭の事情に関して、バッシングともいえる報道が続けられている。憂慮されるのは、一連の報道が「皇族の結婚相手としてふさわしくない家柄」というレッテルを貼る空気を助長することだ。

「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する」と憲法は保障している。これ以外の要件は何もない。もし、「家柄」や「経済力」などへの懸念、批判が圧力になったとしたら、民主主義国家として恥であろう。そして、今後の皇族の結婚に禍根を残すことにもなる。

日本経済新聞電子版2018年2月6日

つまり、「小室圭さんを、その家柄で判断することは間違っている」と言っているんだと思います。

この頃はまだ「つべこべいう前に借金返しなよ💢」と思っていて、この論考の趣旨に反発する自分がいたことを思い出しますが、今は同意します。

経済力はともかく、家柄って自分ではどうもできない。親も先祖も選べませんからね。

だから、雅子さまについても「小室家と比べて小和田家はこんなにいい家柄で、皇室にふさわしい」「雅子さまのご先祖はこんなに地位の高かった方々」という理由で肯定する論調にも私は違和感があります。
雅子さまご自身が素晴らしいから好きなのであって、家柄が良いからじゃないです。もちろん素敵なご両親や親戚の中で育ったから素晴らしい人格になったんだと思いますが。

同じ理由で、旧宮家の皇族復帰案については反対です。それこそ血しか見てないと思うので、対象の方々に失礼とすら思います。

ここまで書いてきて、逆になぜ私は皇室が好きなのか疑問になってきますね笑

しみじみ皇室制度について考え、書こうと思ったのは、週末、話題のHarry&Meghanを見たからであります。
王室って何だろう…何のためにあるんだろう…と考えさせられます。

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