《日付のある文章》想像する立場と選択

2021年5月11日。曇り。草刈り機の音が聞こえる。

今日、国民投票法改正案が衆議院本会議にて賛成多数で可決された。次は、参議院に送られて審議される。第204回、国会、議事日程によれば第六、「日本国憲法の改正手続に関する法律の一部を改正する法律案(第百九十六回国会、逢沢一郎君外五名提出)」にて審議されたもの。

次のような報道があった。

愛知県西尾市の副市長がスギホールディングス(以下、スギHDとする)の会長(70歳)とその妻(67歳)に対して、優先的に新型コロナウィルスのワクチン接種ができるように便宜を図った。その後、報道があり優先接種は取りやめになった。市に対してスギHD側から優先接種させてほしいと依頼があったという。市側は強い圧力を感じたと主張し、スギHD側は連絡したことは認めつつ、圧力をかけてはいないと主張している。

主張が対立しているので、どちらが事実なのか、ということはわからない。「圧力があったに違いない」と思い込むことは可能だが、それは思い込みである。実際にあった行動について注目したい。さらにいえば具体的な人物ではなく、抽象化してみたい。なぜなら腹立ちや怒りではなく、人間はある特定の場面でどのような選択をするのか、を考えたいからだ。

・Z市(どこかにある15万人〜20万人が住んでいる地域。そのうち5万人は高齢者である)
・Z市の医療リソースをコントロールできる政治家、Aさん
・Z市の名士、Bさん。税金を多く払っているし、Z市に対していろいろな支援をしてきた。つまり、地域貢献をしてきた人物。高齢。

さて。このZ市に病気が流行している。この病気は高齢であるほど重症化しやすく、マスクや手洗いなどの対策をしていても罹ってしまう可能性のある病気である。

Aさんは、Z市の高齢者が病気に懸かり、亡くなっていく状況に為す術がない。元よりすべての人を助けることはできないとわかっている。もしZ市立病院がなければ、もっとひどい状況になっていたかもしれない。Z市立病院、そこで働く人たちの頑張りに感謝している。

Bさんは、自分が病気に罹ったら、どうなるだろう、と考えているとする。自然に推察すれば、情報によると高齢であるほど死ぬ可能性が高いので、病気に罹ったら自分は死ぬかもしれない、と思うだろう。一般的に死ぬのは怖いので、Bさんは死の恐怖を感じている。

そんな時、病気に有効なワクチンが開発された。しかし、そのワクチンは希少で、まだ全員が接種できる数はない。

AさんはZ市の高齢者に対してワクチン接種ができれば、この状況を改善できると考える。しかし、全員が接種できる数はないし、強制もできない。接種希望者の予約を受け付けて、順番に接種せざるをえない。数に限りがあるので、希望者全員が接種できるとは限らない。なので、どこかで順番と人数を区切らなければいけない。

Bさんはワクチンの情報を聞いた。ワクチンを接種すれば、死ぬ可能性を低くすることができる。人間は誰しも死の恐怖から逃れたいはずだ。Aさんに頼めば優先的にワクチン接種ができるかもしれない。もし接種できる可能性があるなら? 行動する? しない?

ところで私たちは普段、「他人」をどこまで意識しているだろうか。距離でいえば数メートルの範囲? たとえば、イスラエルとパレスチナでロケットなどが飛び交い、死んでいる人がいるがその人たちは普段、私たちの意識の中で「他人」として存在しているだろうか? 外国とまで言わなくても、他県や2、3駅先の人たちは意識の中で「他人」として存在しているだろうか? 何を言いたいかというと、「他人」はほとんど意識されていないし、存在していないのではないか、ということ。だから「他人」なのではないか?

Bさんは少しでも早く安心を得たい。当然、人間ならそう思う。そして、Aさんに頼めばそれが可能になるかもしれない。それに、Z市立病院の設立時に寄付をしたのはBさんだ。Bさんにはその自負がある。この地域の医療を支えていたことにもなるのだ、私は。

Bさんは、Aさんに電話をかけた。「ワクチンの優先接種をさせてほしい。私はこれまでZ市に貢献してきた。ワクチンの数が足りないことはわかっている。しかし、それは時間が経てばまた供給が増えて解決されるものでしょう。たった一人分、いや妻も含めてたった二人分、あなたの決定で私たちに優先接種させることは可能でしょう? これまでの私のZ市の貢献も考えていただいて、さらにこれからもZ市に貢献することを約束するし、どうか、優先接種させてほしい」

AさんはBさんとその妻、二人に対して優先接種させることに問題があることはわかっている。それは平等性という観点からだ。しかし、BさんがZ市に貢献してきたことは事実だ。たった二人分の枠を空けるだけである。断れば、今後、Bさんの協力を得られなくなるかもしれない。Z市にとっては、そのほうが悪いことではないか。それにBさんは高齢者である。いずれワクチン接種の対象者だ。それが遅いのか、早いのかだけだ。そもそも平等性というのはどこまで有効なのか。

Aさんは、Bさんとその妻に対して、ワクチンを優先接種させることを決めた。

もちろん、これは想像の出来事で、実際であったかどうかはわからない。しかし、私が想像した内容では、Aさんの行動もBさんの行動も、なぜそのように行動したのかわかる。ある状況で、ある選択肢があり、その中から選択し、行動した。その行動は、少なくとも理解できないようなものではない。

私ならどのように行動したか? そのように考えるようにしたい。私はAさんでもBさんでもなく、たまたまそのような選択をする立場にいなかっただけだ。そして、正しく行動したいと思うが、つまりAさんであれば「断る」であるし、Bさんであれば「他人と等しく接種順番を争う」ということだが、それは選択を迫られていない今の私が考えているものだ。選択できる立場になったとき、どのように行動するのか、本当のところ、その時まではわからない。

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