童話の英雄を超えるもの『衛府の七忍』8巻

先月、衛府の七忍の単行本8巻が発売された。

この作品と言えば江戸時代に巨大ロボットが存在する大馬鹿日本史であり「誤チェスト」を始めとした大いなる薩摩への風評被害などの濃すぎるネタで定期的にバズっているので頭のおかしいギャグ漫画のように見られることも多いと思う。

事実そういう側面はある。否定できるかクソッタレ。

しかしシグルイ、エグゾスカル零で培われたストーリーテリングがビシビシ活きており、単なるネタ漫画に留まらない勢いと繊細さを併せ持つ中々読み応えのある作品となっている。

そして今回の8巻、怨身忍者の対を為す幕府の鬼狩りを描く魔剣豪鬼譚の第二幕・沖田編が完結する。

そも江戸時代初期に沖田総司がタイムスリップしてくること自体ぶっ飛んでいるのだが、そのインパクトすら霞む作中最強の個人、吉備津彦命――神州無敵・桃太郎卿の鬼退治がひたすら印象深い。というかバズった。

しかし個人的にはその桃太郎の活躍以上に沖田総司の身命を賭した鬼退治が何より輝いて見えた。

元よりアクションの描写、構図、アイデアに優れた山口先生である。如何に沖田が刀一本で戦う剣士であってもその技術・駆け引きは圧倒的迫力で描かれる。相手の霓鬼こと谷衛成の剣鬼ぶりもそれをグングン盛り上げてくれた。

そしてもう一つ、沖田対谷は実力と同じく互いの信条・正義のバランス感覚が秀逸なのである。

覇府に迫害されるまつろわぬ民達の惨状は目を覆いたくなるばかりで大義を掲げながら大悪を為す徳川に対するヘイトは高いのだけど、だからといって怨身達が正義であるかと言えば覇府と同じく虐殺者であることが特に魔剣豪鬼譚では重視して描かれている。

武蔵が邪教と断じたキリスト教を崇める明石全登がそのまま悪党かと言えば決してそんなことはなく、この世に生きる同胞の為に鬼を斬ると決めた武蔵は己の為した悪行を否定しないがために自身が悪鬼羅刹となる道を往った。

無辜の民の敵討ちを誓った沖田もまた無辜の民をそうと知りながら斬った身でありそれを武士と定義し、対する谷は人道を慮る高潔ながら罪ありとはいえ旗本奴を無惨に斬殺し続けた。

彼らの掲げているものは正義ではない。正しいから殺すことが許されるなんてことはない。怨身の戦いは覇府とそれに従う民兵の暴虐と差なんてないのだ。

そうして比較しようのない善悪を比べても意味はなく、結局はどちらの武勇知啓が優れているかを比べ勝敗を決するしかない。

この虚しさこそ衛府の七忍の読みごたえを支えるバランス感覚なのだと思う。

分かり易い正義こそ暴力性を覆い隠す都合のいいカーテンとなって久しいこのご時世、ある意味当たり前であるからこそ却って描写しづらい善悪のバランスを極上のエンタメ性で彩る本作は平成、令和と連なり混迷する正義という概念を問う怪作として個人的には大いに評価したい。

山口作品に興味がある方、グロ描写やツッコミの入らない笑いに耐性のある方は是非お試しあれ。


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