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追想、鳥山明先生。ドラゴンボールをめぐる雑感。

漫画界のレジェンド、鳥山明先生がお亡くなりになりました。ここでは代表作、ドラゴンボールに関して思うことをつづっていきます。

ドラゴンボールはもともとカンフー映画に触発されてつくられたので、格闘の描写が多いのですが、作品の前半までは登場人物は地上で戦う描写が多かったのですが、やがて、空中戦の場面が増えていきます。

こうした一連の動きは鳥山先生がモデラー(模型師)、メカ好き、だったことによるのでしょう。鳥山先生の作品や絵には4輪車はもとより、飛行機がよく登場し、丁寧に描かれます。

とりわけ、飛行機が宙に浮かぶ、飛ぶ、縦横に動く。そうした、動きを頭のなかでいつも、思い浮かべることができる。そうした動きを人の動き、格闘の場面に応用していったのでしょう。

また、戦車による砲撃のシーンも鳥山先生の頭のなかにいつもあったのでしょう。それもまた、格闘のシーンに応用されていきます。

ドラゴンボール以降、いくつかの超人バトル漫画は現れましたが、ドラゴンボールを超えるものが、現れなかった要因の一つには、鳥山先生がメカの動きを想像し、描写する力が群を抜いていたからなのでしょう。

ドラゴンボールの連載時期は北斗の拳、キン肉マン、聖闘士星矢のようなレジェンド級の作品の連載時期でもありました。鳥山先生はそうしたライバルの才能をおそらくは時に妬み、また、影響されながら、ジャンプ黄金期の代表作、ドラゴンボールを生みだします。

鳥山先生は愛知県出身、在住で、高校卒業後、地元のデザイン会社に勤めるも遅刻が多く、給与を減らされ続け、やがて、その会社を辞めます。

デザインのバイトの仕事もあったけど、それだけでは食べていけない。そうした頃、喫茶店で見た漫画誌の新人賞募集を見て、漫画家になることを決めたそうです。当初、当たるわけないと思っていたので、本名のまま、連載を始め、後で後悔したそうですが。

鳥山先生を語るうえで外せないのが編集者の鳥島和彦氏。学生の頃は活字の本ばかり読んでいて、漫画をちゃんと読んでこなかったと。集英社の入社試験でも面接ではプレイボーイ誌への配属を希望していたのに、なぜか、少年ジャンプへ配属されてしまったそうです。

最初から漫画家を目指していたわけではない漫画家と、最初から漫画の編集者を目指していたわけではない編集者の2人がいくつもの偶然を経て、組むことになり、そこからDrスランプやドラゴンボールが生まれていきます。

Drスランプの場合、連載開始から3カ月で鳥山先生は「やめたい」と話をして、しかし、連載開始から間もなく、アニメ化も決まるなど、高評価の作品を終わらせるわけにはいかないので、編集鳥島氏はネタを出していくことで単行本で18巻、3年半余り、連載は続きます。

Drスランプを連載しながら、その間、「次の作品を」ということで、読み切りを書き続ける。いくら、描けども、読者の反応は薄い。そして、ある時、カンフーものを描いて、それが評価され、これが後のドラゴンボールになります。

ドラゴンボールの連載も順調にいくのですが、3年ほどして、もうやめたい、と思ったのでしょう。やることはやり切った、これ以上は話を広げられないと。主人公が成長し、結婚し、作者も、これで終わりだと。思ったのか「あと、ちょっとで終わるんじゃ」というセリフをいれます。

しかし、ちょっとでは終わらなかった、むしろ、ここからが本番というべきか。主人公が自分の子供を連れてくるあたりから人気にさらに火がついて、ジャンプの看板作品として、黄金期を代表する作品になっていきます。

鳥山先生からすれば、「できれば早く終わらせたい」という思いがあったのでしょう。だから、惑星ベジータは破壊されてる、サイヤ人は主人公も含め4人しかいない、と釘を打つわけです。これ以上、話を拡大されてはかなわないから、と。それで4人のうちの2人、ナッパやラディッツも惜しげもなく殺してしまう。

しかし、同作の人気は急上昇、ジャンプの発行部数は増え続け、それに伴い、映画化やゲーム化など関連企画も相次ぎ、ステイクホルダーが増えていく、編集部はもとより、集英社上層部にしても、ドラゴンボールを終わらせてはくれなかったでしょう。

実際、ジャンプの発行部数は1995年、大手の新聞を含む、全ての紙の発行媒体で1位を記録し、同年、ドラゴンボールの連載が終わると同時に、発行部数は減少に転じます。

漫画の週刊連載は過酷な作業とされてます。2,3日連続の徹夜は当たり前、時に5,6日連続、徹夜の場合もあるとか。そうした働き方は20代や30代でないとできなかったでしょう。果たして、ドラゴンボールの連載が終わった時、鳥山先生はまだ40歳でした。

その年に最も稼いだ漫画家を若干28歳で達成し、以降、この記録を更新し続けたであろう伝説の漫画家。90年代、日本のアニメ漫画が世界に本格的に進出していくことになった時期、その役割に大きく貢献した方でした。

アメリカ発のマクドナルドやケンタッキーが世界を席巻したように、日本からはドラゴンボールやポケモンといったサブカルが世界に拡散していったのです。日本にはジョブズやビルゲイツはいなくても、ミヤザキやトリヤマがいる、そのことを同時代に生きる日本人として幸運なことだと思い、あらためて、鳥山先生のご冥福をお祈りします。

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