過呼吸と地球のどこか
職場で問題が起こり、わたしは今日久しぶりにひどい過呼吸を起こした。
わたしが書いた報告書を見て、ある職員がわたしをひきづって、暴言を吐いた。
わたしは固まって、次から次へと彼女の口から出る罵詈雑言に身をすくめていた。
気づいたら頃には、床に蹲って過呼吸を起こしていた。
このまま死んでしまうのではないか、という恐怖が湧き上がっていつもの対処もままならない。
別の職員が駆けつけてわたしの口に鼻まで覆うようにしてビニール袋を押しつけた。
苦しくて苦しくて、本当に死んでしまうかもしれないとパニックになった。
尋常ではないスピードで息を吸うたびに、ビニール袋がわたしの口を塞ぐ。
苦しくて涙が止まらない。目の前の景色もよく見えない。
必死になって、頭の中に地球の果てを描いた。アラスカの鯨が飛び上がる海、パタゴニアの荒涼とした大地、清も不浄も静かに受け止めるガンジス川、山間の穏やかなタイの農村…
頭の中の光景に沈み込むようにして、現実の苦しさな抗った。
その中に様々な形をした神様の存在をわたしを確かに感じた。どんな不条理の中にあっても、神様はわたしの前に姿を現してくれた。
善意だとは分かっていながらも、わたしの呼吸を妨げるビニール袋を押し付ける手を払い退けて、吸っても吸っても苦しくなるばかりの呼吸をなんとか落ち着けた。
静養室で横になって空虚を見つめながら、この世にはただ走り続ける民族がいる。かたやガンジスのほとりで「二度とこの世に生まれ変わらない」ために祈りを捧げる人がいる。そんなことただただ考えていた。
涙も枯れて、いく当てのない心を地球の遠いどこかで暮らす見知らぬ誰かに委ねることで、わたしはようやく安心できた。
心の中に見たこともない景色、知らない誰かを住まわせることは、日常に行き詰まり心を乱された時に、わたしに安寧を与えてくれる。
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