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人はひとりでは生きていけないのだから

6月20日、大阪地裁で「婚姻の平等」を求める「結婚の自由をすべての人に」訴訟の判決が下された。

判決は、同性婚を認めていない現行法は「違憲」ではないとして、原告の請求を棄却しました。

大阪地裁は、婚姻の目的が「生殖」だとする国側の主張を認め、婚姻を「男女が子を産み育てながら共同生活を送る関係」と捉えた。

婚姻制度は、「男女が子を産み育てる関係を社会が保護する」という「合理的な目的」によって、歴史的、伝統的に社会に定着している制度なのだという。

わたしはこの判決に強い怒りを感じる。

婚姻の目的が「生殖」であるならば、子を持たない/持つことができない異性カップルさえも否定することになる。

人は、一人では生きていけないのだ。
自分では「一人で生きている」と思っている人だって、組織には属しておらずとも、社会に属し、誰かの建てた家に住み、誰かの作った食物を消費する。

誰だってなにがしかの共同体に組み込まれているものだ。
血縁に基づく家族であったり、共に暮らすパートナーであったり、近所のコミュニティや会社であったり。

人それぞれ様々な共同体に身を置き、生活しているはずだ。

政府が近年、強調する「家族」という共同体は時代と共に変化している。

例えば、「ペットも家族の一員」と考える人もいるが、自分の子供さえ家族と見做せず虐待してしまう人もいる。

「家族」という言葉が示す範囲は、幅広く人によって異なる。

血縁に基づいた家父長制を根底にした「家族」という共同体にはもう限界が来ていると感じる。

一人ひとりが心地よく安心して過ごすことのできるコミュニティや共同体が広がってゆけば良いと思う。

現政権の以前からしつこく言及される「家族」は、「伝統」や「歴史」と言った言葉に紐づけられ、政権を握る彼らの過去を賛美し、それを固辞したいというノスタルジックな「家族」でしかない。

トランプ政権の掲げたMake America Great Againを思い起こす。

それによって、「あの頃」のアメリカを取り戻せたのは、結局富裕層の白人男性で声を上げ続けた一般市民たちではない。

自民党も同じように躍起になって「あの頃の日本」を取り戻そうとしている。「あの頃」とはいつなのか、明確な指標はないまま時代の流れに逆らって市民を置き去りにしようとしているようにしか見受けられない。

「家族」や「婚姻」に困難を感じ、苦しむ人々の顔を見ようともしないその姿勢を、どうか正してほしい。

そして、その姿勢を正すことができるのは、市民であるわたし達だ。

近づく参院選でわたし達がどういう選択をするのか、一人ひとりの行動で今よりは少しでもマシな未来を選択できるように考えることをやめてはいけない。

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