見出し画像

言葉では言い尽くせない贈り物について神に感謝します

今、この瞬間にここに在って、息をしているということ。

わたしがわたしであって他の誰にもなれないこと。

それが、すべて、神様からの賜物であるということ。

わたしは近頃、そう思うようになった。

いつもわたしを気遣ってくれる母、河原で犬を散歩されるあの人、この前余計なことを行ってきた感じの悪いおばさん、ちょっと苦手なあの人、仲の良いあの子、大切なパートナー、まだ会ったことのない誰か。

そして、わたし。

みんな愛されていて、一人ひとりが神様の賜物である。そう思うようになった。

今、自分がいる場所。自分がどういうところの一員で、何に関心を持っていて、何を学んでいるのか。

それをきちんと説明できることは、とても重要なことだと思う。

「軽やかに自由を愛する教養に満ちた憧れのあの人のような女性になりたい」というわたしのかねてからの想いが、近頃より一層強くなった。

この想いは、大学生になって間もない頃に生まれたものだ。

「憧れのあの人のような女性」とは、どんな女性か。

それは、自分の賜物を知っていて、その賜物を磨き、活かしてゆく女性であると思う。

わたしは、他人と自分を比べて引き算して、「わたしにはあれがない、これが出来ない」と足りないものばかりを数えてしまう。

それでも、わたしに出来ないことがたくさんあるけれど、わたしにしか出来ないことが必ずある。

足りないものを数えるのではなくて、わたしの良さを探して足し算して、出来ることを数えた方が良いのではないか。

難しいことではあるけれど、ありのままのわたしを受け入れて、わたしにしか出来ない何かを輝かせることができれば、他者との違いを喜んで受け入れられるのではないか。

そして、わたしの受けた賜物を活かすことでわたしが今ここに生きている意味を知っていくことができるのではないか。

わたしは、神様から賜物を「与えられている」存在。わたしは、神様からの賜物を恵みとして受け取り、活かして生きることができる。

家族や友人、パートナーがいること、好きな音楽を聴けること、好きな本を読めること、地球に生きていること、これら全ても与えられた賜物。

ここで息をしている、呼吸が続いている、この命も与えられた賜物であり、人はみんな、賜物を与え合って、生かし生かされている。

思いやり、与え合う。これは人のあるべき姿で、神様が人々に願っている姿のはず。

そして、与え合うその賜物は、与え合っても無くらないもの、である。神様からの賜物は、与えてもなくならない、自らの中にある豊かなものなのだ。

この神様と様々な愛に満ちた世界で、与えてもなくならない、わたしだけの賜物を見つけ、磨いてゆきたい。

そして、すべての命へ感謝を持ち続けたい。

コリントの信徒への手紙二 9章15節

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?