見出し画像

人間の本質という穴を掘る

近代から現代の文学は、人間の本質という穴を掘っている気がする。

人の心の機微、うつろいを通して人間の本質を掘り進めているような感じ。

でも、もうそれもだいぶ頭打ちである程度掘られた穴の底で大きな岩にぶち当たっているような感覚。

近年の社会の不均衡を描きながら、先人たちが掘り進めてきた穴の周辺を様々な手法を使ってぐるぐる回っているような。

これが人間が人間を知る限界なのだろうか。

わたしは人間を知るために、人間の可能性を信じるために本を読む。

わたしは馬鹿だから熱心に本を読む。

最近の文学作品には、そこはかとなく表層的な感覚を覚える。共感を求め、弱者を主人公に置く多くの近代文学には、人間の本質よりもこの社会に対する憤懣や改革を求めつつも、窮状に喘ぐ人々の姿が見られる。

それはそれで面白いのだけれど、人間の本質、在るべき姿、時代の波に流されながら幸福を実現せんとする人々の姿はないように思える。

人間が掘り進められる、人間の姿はもうすでに既成のものとなり、より深いところを探ろうにも探れない、ある種の壁が立ちはだかっているのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?