見出し画像

オーブンレンジ問題をやりすごす。

3年前、引っ越しを機に買ったオーブンレンジが最近壊れてしまった。
普通に使っていたつもりだけど3年で故障。ちょっと早すぎる気がする。
修理できないか調べると3万円で買ったオーブンレンジの修理に3万円かかるという。高くない?そんなもん?3年で壊れるのが嫌ならもっと高いものを買えということだろうか。しかし20-30年前の家電でも現役で動いているものもあるし、それらは高級なものばかりではないはず。高機能じゃなくていいから、長く使える壊れないものが欲しい。
修理も検討したが急いでいたのもあり、新しいものを買うことに。見た目はまだ全然綺麗だし何とかすれば使えそうなのに、無駄にゴミを出してしまう感じが、なんだかやりきれない。なんでこうなってしまうのだろう。

ともあれスマホで検索してオーブンレンジを探した。
特に料理にこだわりがあるわけでもないから何でもいい。が、
何でもいいからこそ適当なものが見つからない。
新品で買って3年で壊れるようなものは適当ではない。(ないでしょ?)
インターネットを検索すれば、メーカーも商品もたくさんあって、ワイワイキラキラガヤガヤしているように見えるのに、いざ探し始めると全然納得いくものに辿り着けない。
自動メニューがたくさん!高機能センサー搭載!スタイリッシュ!とか、どのメーカーも似たような売り文句が並んでいるだけでよく分からない。
シンプル!頑丈!壊れない!って書いてあったら買うんだけどな…
これだけ世の中でSDGsだエコだ色んなこと言ってるのに、シンプルで長持ちするものが一つも見当たらないのは一体どういうことなのだろうか。

同じ価格帯で色々な商品を見比べているうちに、この機種は値段の割には機能が優秀、このメーカーはレンジは強いがオーブンが弱いなど、何でもよかったはずのことに詳しくなってしまった。膨大な時間を費やして膨大な情報の中から、オーブンレンジについて詳しくなる必要があるのだろうか。そんなことをしたいわけじゃないはずなのに、調べ考えてしまう。


オーブンレンジ以外でもそんなことが日常の中にたくさん潜んでいて、時々ふと自分は選んでいるのか選ばされているのか、分からなくなってしまう。何でもいいからこそ決め手に欠けて選びきれず、ダラダラと回り道をして余計な時間と体力を使って消耗する。
スマートフォン、テレビ、SNS、誰かのおすすめ、コスパ、タイパ… 元々何でもなかったはずのものがいつの間にか中心に居座っていて、そこにあったはずの目的や意味が何処かにいって、そもそも何が大事だったんだっけと見失う感覚。何かが必要以上に奪われているような不毛さ。


団地や商店街にいる時、そういう感覚になることはあまりない。それは多分そこで起こっている現実やそこにいる人が優先される小さなサイクルの中で世界が回っているからだ。誰が言った、どう思った、何をしたい、これをやってる。そういうことが目の前で展開され、波のように次々と打ち寄せてくることで、常に現実の方が先んじる自然に近い状態が保たれているのだと思う。そう、団地は自然に近い。生きていることに近い。そういう居心地の良さがある。

上につらつらと書き連ねたオーブンレンジを取り巻く色々は自然じゃない感じがするのだ。なぜ新品のオーブンレンジが3年で壊れるのか、どうすればそうじゃないものが手に入るのか、生活の話をしていたはずなのに全然目的に辿り着けない。過剰な情報だけが流れ込んできて追いきれなくなって、モヤモヤだけが残る。


モヤモヤしたままシティボーイズのラジオを聴いていたら、マルクスのコントをした後に「でも資本主義はいきすぎてるよねー」という話をしていた。このおじさんたちはいつも変わらずくだらない話をしていて楽しそうだ。
真面目なこともくだらないし、くだらないことにも真面目だ。とても良い。
俺も今すぐ団地にいって、誰かと楽しく、くだらない話をしてやりすごそう。近所にそういう場所があるのが、本当に嬉しいし、ありがたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?