大人になってからADHDだとわかった当事者のこれまでの経緯

中年ですが、つい最近、ADHDだとわかりました。

それまでは、発達障害のイメージって、うつむき加減でぶつぶつ言ってたり、頭ガンガン壁にぶつけてたり、体の一部をずっと動かしていたり、すぐに怒鳴ってきたり、なんていうか、なんでそうするのかよくわからない行動をとる人たち、というイメージをもっていました。

実は、私はブラック会社で体調を崩してからずっと不眠症や神経痛に悩まされいます。けど、同期で心が折れて辞めていった人はもう次の就職先で元気に働いている人がほとんど。私はとても不思議でした。なぜ、いつまで経っても、不眠症や神経痛が治らないのだろうか、と。

当然、疲れマックスの時は、希死念慮もありました。それを友人に言うと、「自殺なんて、一番思いやりのない行為だし、甘え病だよ」と言われた以来、どん底に落ちていても、誰にも心のうちを話せなくなっていきました。

簡単に言ってしまえば、これが二次障害というものだったのですね。

いったん疲れてしまうと、普通は間違えないようなミスをどんどん起こします。「ケアレスミスが多い」と職場で改善レポートを書かされたことも何度もありました。当時ライターをしていた私は、何度確認しても必ず誤植があるので、確認にも時間がかかります。

記事作成にかかる遅いといわれて焦って書いて、見直しをしても必ずミスがある。上司に原稿を投げつけられて、誤植があるから見つけろと言われても、どうしても見つけられない。どんどん時間は過ぎていく。周りの同僚に気の毒そうな目で見られるのが哀れで、毎日トイレで泣いていました。

どんなに簡単な作業でも、どんなに短い文章でも、どんなに簡単な記事でも、必ずどこかに不備がある。完璧にできない。

私は無能なんだ、何をしてもできないんだ、もともと低い自己肯定感もさらに低くなっていきました。

そんなある日、眠剤を処方してもらうためにメンタルクリニックに行った時のこと。

医師に「ケアレスミスがなおらないんです、私の能力不足なんですけど…」と言ったら、医師はカルテに入力する手を止めて、「…え?それって初めて聞いたけど、いつからなの?」と聞かれて、「え?みんなケアレスミスはしますよね…?」と答えましたが、どうやらそんなことはないようです。

人生で一番驚いたといっても過言ではない出来事でした。

この出来事をきっかけに私は自分の幼少期をさかのぼりました。授業中は座っていられない、先生の言葉が頭の中に入ってこない、腹が立つと物を壊さないと気が済まない、廊下では走ってしまう、宿題をやらずに先生に怒られてもどうも思わない、絵具カバンからゴキブリが出てくるほど物の管理がでいない、等々。ADHDに当てはまる傾向がたくさんありました。

先生によると、多動性は大人になるにつれて薄れていくそうですが、注意欠陥は残ることが多いようです。

発達障害の診断には、医師による診察をはじめとして、WAISなどによる知能検査、内田クレペリン精神作業検査、ロールシャッハ・テスト等が用いられますが、医師による診察時間はだいたい5分から10分ですから、いちいち幼少期のことを話さないですし、そもそも本人には自覚がないことも多いです。

また、検査をするにも、それぞれの検査結果を正確に判定できる心理士がお世話になっている精神科に在籍していない場合も多く、IQが高いと、発達障害の診断から漏れてしまうこともあります。発達障害と確実に診断されるのは重度の方や幼少期に親御さんによる早期発見による場合が多いのでしょう。

つまり、大人になってからの発達障害に気づくには、自分の弱点を見つけて、それを受け止め(ここが大事です)、専門の人に相談する、支援を求めるしかないのです。

逆に、気づかなくてよい人もいます。周りの理解があり、自己肯定感が高く、自分に合った環境で自立した生活ができている人は発達障害があっても、福祉に頼る必要はないのですから。

生きづらさを感じている方は、自分の幼少期を振り返って、自分はどんな人間だったのか、また、どんな環境だと働きやすいのか、を深く考えて、自分に合った生き方を、一度立ち止まって考えなおすのもいいかもしれませんね。





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