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私がそうだったから

車で家を出てすぐの道で、同じアパートに住むご家族を見つけた。

私に気付いたお母さんが手を振ってくれて、2歳の男の子にも「ほら、カナさんだよ~」という感じでバイバイを促してくれていた。

私は窓を開けながらゆっくりと車を停め (人も車もいない田舎道ならでは)、手を振って「行ってくるね~!」と再び走り出すと

「まて~~~!」と2歳の子が走って追いかけて来た。

バックミラー越しに遠くなってゆく可愛い姿はたまらなくて、
お母さんにハザードで「ありがとう」を伝えながら、後ろ髪を引かれるような気持ちで和菓子屋に向かった。

一生忘れたくない、幸せな瞬間。

私には子供はいないけれど、子供が可愛くてたまらない気持ちは、幼い頃や仕事で子供に接していた頃とちっとも変わらない。ふと目にする皆さんの赤ちゃんや子供の写真にも、あたたかさ、匂い、肌や髪の手触りまでもが一瞬で蘇ってくる。

「我が子」という形では子育てに関われなかったけれど、一昔前の日本のように、地域で育てるような感覚で人手となれたらと思ってきた。
私の二十歳離れた妹は、それはそれは可愛くてたまらなかったが、それでも一対一でそのエネルギーを受け止め続けるのは難しい。
「10分でいいから横になりたい。」
「10回、20回、延々同じ遊びはしんどい。」
「ちょっと静かにしていて~」と思うことも多々あった。可愛いのと自分の電池が切れるのは別問題だ。

そんな時、昔のような気軽さで「ちょっと見てて~!」「見てようか~?」なんて声を掛け合える、そんな関係性を作れたら幸せだなと思っていた。


先日は上の階に住むお母さんから、思いがけずうちに迷惑を掛けてしまったと真剣な表情で声を掛けられた。
そのこと自体は全く大したことではなかったのだが、お母さんの目は本当に申し訳ない・・という苦しさを感じてしまうほどで胸が傷んだ。
これで子供達がその遊びをやめるなんてことになれば、そっちの方が悲しい。でも「本当に気にしないでね。」という言葉だけでは上滑りしてしまう気がして、私の気持ちを書いてポストに入れることにした。かしこまったレターセットだと重いかな?なんて思い、さっとレポート用紙に書いて(軽過ぎたか?)投函した。

本当に気にならないこと。自分の経験。お母さんの大変さを思うと力になりたい気持ちはあること。だけどお節介になるといけないので、好きなように楽しく暮らしてもらうことが私達に出来ることだと思っていること。だから思いっきり遊ばせてあげてね。と書いた。

私も子供時代は猿の様に活発で、野山はもちろん、お店でも近所でも縦横無尽に、今では考えられないほど自由に遊んでいた。今思えばその自由は、社会や人々の寛容さのお陰だった。店内でも、民家でも、工場や倉庫までも!子供達が好奇心のままに生きることを温かい眼差しで受け入れてくれていたのだ。

私がそうしてもらったように、今度は自分が子供の毎日を受け入れることが出来る大人でいたい。

大切なお子さんだからこそ、信頼出来る人間かどうか警戒されて当たり前だし、関わりを持ちたくないと思う人もいるだろう。ましてや子供のいないアラフォー夫婦の私達の姿は、それだけで気を遣わせてしまうかもしれない。
だからこそ、少しずつ距離を縮め、笑顔で手を振り合えるようになれた、今の暮らしがとても好きだ。
出会えたご家族と、ここでの距離感を大事に暮らして行きたい。


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