8050問題の先にあるものを考える
リンク先の記事を読んで思うことを買いてみる。
葬儀は「面倒くさい」親の死を「迷惑」と思う子が増加
高校生を対象に行なった調査結果がなんとも言えないな…
自分にはまだしばらく先のことのような気もするが、子に面倒を見てもらわないつもりでいる。
しかしこの先妻に先立たれたのち認知症になることもあり得るので難しい問題だと感じる。
無縁社会で思い出すのは、例えばエレベーター無し2階以上の賃貸住宅に住む高齢者。体力の衰えにより外出が億劫になり他人との関わりが減る人がいる。
最悪はゴミ屋敷になってしまう方もいるが、何も支援が入らなければ行く末は孤独死の可能性がある。
これはら実際に起きていることであり他人事ではない。
このような方には、住まいを3階から1階に移したり、必要に応じて社会資源に繋げるなど個々の課題に応じて暮らしを最適化する必要があるが、たとえ支援者に繋がっている方であっても身体や心の課題にばかり目が行っていると気付かない視点。実際、本質的な解決に至ってない例もよく見る。
住環境まで含めて改善を行おうとすると費用の課題に直面する。理由はお金のない方が多いからだが、この分野にリンクする行政の支援策や社会資源の知識、不動産分野の商習慣にも精通していると負担を限りなく少なく実現できるし、わが社の得意分野でもある。
ひきこもりや8050問題の先には孤独が待っているだろう。その先には孤独死が待っているかもしれない。10年前、空き家問題に取り組もうと考えたのは、自分の子どもたちの世代に負担をかける恐れのある活動(郊外で新築を建て続けること)から手を引きたいと思ったからだが、無縁社会も結局は増税などで若い世代に負担がかかる。空き家問題も無縁社会のような福祉的課題も子どもたちが生きる時代に課題を残しかねない。それはどう考えても良くないと考えてしまう。
うちの会社は看護師など専門性のある社員が在籍しているが、専門性はときに近視眼的になりやすくなる。社員には本質的な問題の解決を意識するよう伝えつつ、対象者の暮らしの最適化を実現できたらと思う。そして出来る限りスピードを上げていきたい。
※ちなみに「くらしケア」という社名は暮らしを包括的に最適化するとの思いを込めている。
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