2020年の日々・ステイホーム

3月30日

自粛要請によって損害を被っている各産業の従事者の方々に迅速かつ充分な補償が行われますように。
同時に、芸術がスポーツ、飲食、観光、教育、医療、販売などと同様な産業であることが認知され、互いに各産業の従事者の専門性への理解と敬意が進みますように。
自分の芸術は産業に入らないという方には、経産省でなくとも文化庁からの援助が行われますように。
経済の低下の影響で生活が困窮した方には福祉政策による保護や救済が行われますように。
同時に、萎縮した消費への対策が適切な方法と時期によって行われますように。

様々なレイヤーでの補償や援助が決断されていくことを、歯を食いしばりながら願っています。そのうえで、自助努力と自己省察を今と未来を生き抜くために自分へ課していかなければなりません。

今は、以下のような事を考えています。

私たち舞台芸術界の産業的な基盤はなんと脆弱なものだったのでしょうか。その脆弱さを知りながら、私は自分たちの業界を特別なものとみなして、見過ごしてきました。また、舞台芸術界を中央と地方に意図的に分けて、中央にはもう関わらなくていいや、勝手にやってくれ、私は自分が根を張る地域のことのみ考えるという決断をしてました。しかし、それは間違ってました。こうした国家的危機の状況になった時に、国民に産業として認められていない「舞台芸術界」の脆弱さは中央・地方に関係なく、直撃するのです。

私は、舞台芸術界の産業的基盤の確立について、芸術家として強い反省のもとに向かい合おうと思います。何をどこから手を付ければいいのか、途方に暮れますが、今まで以上に粘り強く進めなければなりません。

舞台芸術は重要だとは思われていない。舞台芸術家は専門的な職業とは思われていない。
もちろん、重要だと思っていただいている方、専門性に敬意を持っていただいている方がいらっしゃることは知っています。それを励みにこれまでやってきました。しかし、そうした方々を多く増やせなかったという歴史に向き合わねばなりません。
多数という権力性、市場や納税への貢献という経済性が無い限り、この国では重要だとは思われません。これは皮肉ではありません。確固とした事実です。その事実を前にして、国に変わってほしい、政策を変えて欲しい、教育を変えて欲しい、市民の意識を変えたいと訴えていくことは重要です。これまでも多くの先達や同輩が、尽力してきました。その訴えはこれからもやり続けていくべきでしょうが、同時に私たちがもっと変わらなければなりません。

3.11からの9年間、私は私の手の届く範囲でできることを着実にやっていこうと心に誓ってやってきました。その自分を変えていこうと思います。手の届く範囲を広げていきます。とても億劫なことだけど。

4月1日

2012年12月のブログ、7年半前の記録をあらためて読み返している。この時から、自分の手の届く範囲のことを着実にやっていこうと思って、これまでやってきたんだった。

【12月15日】
「誰を選んでも同じ」、昔そんな言葉をよく聞いた。同じではなかったではないか。「選挙なんかで何も変わらない」。悪いほうに変わってきたではないか。選挙に行かないのは自分の望む未来を放棄することだったんだ。政治家を選ぶんじゃない、自分の望む未来はこれだと声を上げにいく。

【12月16日】
社会の経済的余裕に寄生して舞台芸術を続ける時代ははっきりと去った。もしまだそれを期待してこれまでどおりの社会に続いて欲しいと思っているのだとしたら、それはあまりにも盲目的な能天気というものだ。舞台芸術家は社会に無関心なフリーターたちじゃないだろう。テレビの情報を鵜呑みするような安易な思考の持ち主たちじゃないだろう。俺たち、所詮パラサイトな甘えた連中だと思われてんだよ。甘えてる奴は戦場か原発処理か劣悪な労働で鍛えればいいと思われてるんだよ。そんなもんで鍛えなおされるか。俺たちは舞台芸術で自分を鍛え上げていくんだ。だから舞台芸術を守る。皆が演劇を、踊りを、歌を、人と集まる喜びを、人と活発に言葉を交わす喜びを、自由に味わえる場所を守る。もし舞台芸術を志している者で、今度の選挙に無関心な者がいるのなら考え直して欲しい。俺たちの大事な場所が損なわれるかもしれないんだ。

【12月17日】
これで利益第一・格差前提の社会がより推進される。「粘り強さ」よりも「切り捨て」が肯定され、「子供の未来」よりも「老人の既得」が優先され、隠蔽が要領の良さ、同調圧力が空気を読めると重宝がられ、それらに適応できないのは自己責任として糾弾される、そんな社会が多数派の選択として始まる。少数派の人間としてどう生き抜いていくか。よりタフに、よりクレバーに、そして、よりクレージーに。子ども達もそう育てよう。「生きる力」なんてもんじゃない、「生き抜く力」を身につけさせなきゃ「いのち」を守れない。

【12月18日】
俺のできる政治参加は、市民間での建設的な議論と実社会での活動で同志を増やす、やはりこれしかないのだろう。そしてそれは俺にとっての芸術運動でもあり、レジスタンスでもある。つまりはもっともっと演劇をやるんだ。わかってはいたが三たび思い知らされた。戦い続ける限りは負けてないんだ。坂口安吾もそう言ってたよ。

4月3日

三密を避ける稽古をシミュレーションしてみた。
まず稽古場は窓全開か野外。創造舎は夜に窓を開けると虫が恐ろしいくらい入ってくるので時間は昼。
アクティングエリアと演出席を遠く離す。そして、映像配信を考えて、スマホ画面にどう映るかをチェックしながら稽古。
出演者は一人。または全員、2メートルずつ間を開けて横並び。セリフは正面を向いて発する。できる、できるな、これ。
だが、そもそも稽古場にどう来るのか問題がある。車かバイク、自転車で来られること。倉迫は自宅から自転車で行く。
しかし、上演はどうする。オンライン配信で寄付を募るもいいが…。
例えば近隣の人に野外で遠巻きに観られる場所での上演を予告、創造舎から移動も生中継。本番を観客は遠目の生とスマホの映像を比べながら観られる。料金は投げ銭箱をポツンと置いておき、皆が無言で一人ずつ近づいて入れて去っていく…。

4月4日

たちかわ創造舎から自転車での帰り道。途中に寄った根川の桜。先月から6月にかけて、国立市での公演も、子ども未来センターでのエンゲキ部も、ファーレ立川での街歩き演劇も、創造舎での謎解きよみしばいも、図書館でのワークショップも、武蔵野市での公演も、北アルプス国際芸術祭も、全部無くなったけど、こうして毎年桜は咲く。来年は皆で見れますように。

4月5日

アップリンク、支援の意味も込めて登録しました。
コロナ関連で支援するのは、王子小劇場、ゲンロンに続いて3社目。
どこも僕などは熱心なファンではなく稀に行く程度ですが、文化的な潮流を生んできた確かな「拠点」として、今後もたくさんのアーティストを支えて欲しいと願っています。
https://www.uplink.co.jp/cloud/features/2311/

「コロナ後」を考えるにあたって、思い出す小説があります。坂口安吾の『夜長姫と耳男』です。この作品、前半と後半ではかなり趣が違います。前半は展開もドラマティックで、登場人物も躍動感に溢れてます。しかし、国に疫病が流行りだした後半は物語的には停滞し、主人公の耳男の魅力もかすみ、「私の目に見える村の人々がみんなキリキリ舞いをして死んで欲しいわ」という疫病の化身のような姫の狂気のみが浮き上がってきます。最後、耳男は姫こそが厄災そのものとして殺すのですが、姫は耳男にこう告げます。
「好きなものは咒うか殺すか争うかしなければならないのよ。(中略)いつも天井に蛇を吊して、いま私を殺したように立派な仕事をして……」。
安吾はここに創造の秘密を込めたのだと思います。ギリギリの精神状態と、とてつもない心身への負荷が創造のエネルギーを生むと。耳男はその後、立派な仕事をできたのでしょうか。そして、私はできるでしょうか。

4月7日

よし、もう切り替えた。

演劇創作は、皆で集まる時間と同じくらい一人で過ごす時間が大事。身体の移動をともなう芸術活動は制限されちゃったけど、本を読む、資料映像をあさる、思索にふける、新しい技術を身につける、なんかいろいろ殴り書きするなど、この際やっておきたいことは山程ある。時間が無いって言い訳できないこんな機会はもう人生でないかもしれない。
生活の不安はあるけど、内面の芸術活動への不安は無いです。不満はあるけど(笑)。生活への不安や、環境や条件への不満からは逃れられないけど、演劇する時間を増やしていこう。知性と感性を磨く芸術活動を続けよう。

人生を豊かにしようとすることをやめない。

というわけで、家に今まで無かった自分用のゴミ箱とか折り畳み椅子とかスタンドライトとかを買いに行きます!芸術活動必需品!

【臨時休館延長のお知らせ/5月6日まで(予定)】
新型コロナウィルス感染拡大に伴う緊急事態宣言の発令を受けての立川市からの要請により、5月6日(水・祝)まで臨時休館を延長させていただきます。来館をご予定されていた方々にはご迷惑をおかけしますが、ご理解、ご協力をお願いいたします。5/7以降の予定につきましては、あらためてお知らせいたします。

4月10日

ステイホーム3日目。今、かつてないくらい家にいる。
いや、きっと多くの人がそうなのだろうから、言い直そう。
かつてないくらい夜、食卓にいる。

多くの演劇人がそうであるように、
私もまた夜に稽古を行うことが圧倒的に多い。
そして、私はこの20年、一年のほとんどを夜は稽古場で過ごしている。
つまり、夜に家族で食卓を囲むのは年に数度しかなかった。
おそらく5/6までに、ここ数年を合わせた回数を超えるだろう。
なんてこった。家庭人としての自分は本当にかたわである。

思えば、子ども時代もそうだった。
家族で食卓を囲むのが苦手な子どもだった。
塾に行けば家にいなくていいと気づいた小6の夏、
「これだ!」と中学受験を決意したほどだった。
毎日、授業が無い日は自習しに、塾によろこんで通ったため、
第一志望の寮のある、縁もゆかりも無い四国の私立校に入学できた。
寮生活は気楽だった。食堂での一人の夕食は全く苦ではなかった。
しかし、いろいろあり自主退学をし、家に戻ることになった。
部活にも入らず、塾にも通わない、暗黒の中学時代が去り、
高校は毎日夜遅くまで練習する運動部に入った。
引退した後は図書室か教室に居残った。
そして、大学進学で上京してから、
家族の食卓という日常は縁のないものとなった。
脱出できた、と感じた。

こう書くと、よっぽど家庭環境が悪かったと思われるかもしれないが、
家族の名誉のために言うと、それは無い。
家庭で苦労した方々に申し訳ないくらい、何も無い。
つまりは、ひたすら私自身の内面の問題なのだ。

なぜ、私はかくのようにあるのか。
子ども時代に格闘し、そして上京と共に忘却していったこの問題に、
30年以上ぶりに向き合うことになりそうだ。
しかし、考えるヒントはある。
それは私の二人の娘だ。高校卒業したばかりと小学6年生。
この数日で気付いたのだが、どうやら彼女たちの中にも、何かが蠢いている。
おそらく、なんらかの違和感を「今ここにいること」に対して持っている。
それは私もまたそうだったように、家族への悪感情や反抗にはつながっていない。

私は今まで持ったことのない目で彼女たちを観察している。

4月11日

ステイホーム4日目。メルケル首相の国民への語りかけ、こういう言葉に触れると気持ちが落ち着きますね。他の国の民をも感動させる語りのできる政治家と、自国の民にすら言葉を届かせることのできない政治家の違い。知性、人間力、想像力、優しさ、透明性、私たちは政治家の能力というものをもっと厳しく見定める必要があります。それは国政でも、県政市政でも同じです。言葉を伝えようとすることは心を通じ合わせようとすること、言葉を磨くことは知性を磨くこと、想像力を育むことは他者への優しさを育むこと。これは、政治家の文化的態度(言葉、知性、想像力のあり方)を問うということです。

世襲、既得権益、学友、付き合い、外見など、私たち有権者(権利を有する者たち)はそれらの指標で政治家を選ぶことが、私たちの暮らしに大きな危機をもたらすことを知りました。私たちに安心安全を与えてくれないことを知りました。ここ数年の自然災害の被災者への態度で私たちはそのことを薄々と感じていました。しかし、それを楽観的に見過ごしてきた結果が、今です。私たち有権者の、政治家の文化的態度への無関心が原因です。
もちろん、一方でアジテーションやプロパガンダへの警戒心を持たねばなりません。が、それも私たちが政治家の言葉、知性、想像力のあり方を厳しく見定めようとしていれば、防げる可能性は高いです。

こういった民からの指摘をわずらわしく思ったり、めんどくさいと思う政治家もいるでしょう。しかし、そうした方々は我が身を振り返って欲しいのです。「自分はなぜ政治家になろうと思ったんだっけ」と。権力が欲しかったからですか、親の地盤を無自覚に受け継いだからですか、お金になると思ったからですか。もし、それだけが理由ならば、あまり期待はできません。できればやめていただきたいですが、きっとやめないでしょう。でも、もし、そうした動機ではなく、人のために生きたい、社会のために尽くしたい、という想いが出発点にあるのなら、日本の国政を地方自治を、今のままでなく、より文化的なものにアップデートしていきたい、していかなければ、していこう、という使命感を今こそ持つのではないかと期待しています。その使命感を応援したい。

同時に、私たち有権者は今、感じている不満や怒り、そして後悔を、「今度こそ応援できる政治家をきちんと選ぶ」という行動に持っていかないと、何も変わりません。苦手な人は声高に叫ぶ必要はありません。傷つく人はSNSに溢れる感情的な文章を見なくても構いません。でも、政治家という人間を見つめましょう。彼らの、人としての言葉、知性、想像力のあり方を見つめましょう。ポスターの顔写真の奥にある、彼らの頭の中に触れましょう。政治家を舞台に立たせて、その文化的態度を論評することができるようになりましょう。その結果、応援できる人を選ぶことを一種の娯楽として楽しめるように、成熟していきましょう。

世界の政治家たちが舞台に立ち、語る姿を一観客として見ながら、そんなことを妄想しました。

4月14日

ステイホーム7日目、頭の切り替えは何日か前にできていたけど、ようやく昨日ぐらいから体(身体感覚)の切り替えができてきた。テレワーク、オンラインでの会議や講義に体がついていくかなあ(体力じゃなくて、あくまで身体感覚ね)と心配していたが、間に合ったようだ。
しかし、まだオンラインでのコミュニケーションの感覚には慣れない。自分が普段のコミュニケーションにおいて、自分の声の感触と相手の表情の微妙な変化の呼応を重視していたことを、あらためて思い知らされている。画面や音声を情報として受け渡しすることはテクノロジーによって過不足なくできるようだが、オンラインの感覚に自分の身体感覚を接続できないと、しばらくは疲労感が強いままだろう。

自由自在という言葉があるが、「自由に生きる」よりも「自在に生きる」ほうに憧れる。自在とは「心のままに」ということだが、自由の能動性に対して、自在は受動的でありながら、自らの心を柔らかく保つことで、形は変わるが実体は失われずにそこに在るという感じ。どんな状況下でも、酔狂かつ自在な老人になりたい。今はまだ修行中。

4月15日

ステイホーム8日目。オンライン講義はZOOM、クラス運営はGoogle Classroom、オンライン会議はGoogle Meet、劇団運営はBAND、さらにLINEグループにfacebookグループにメーリングリスト。コミュニケーションツールの細分化が進んでいく。

4月16日

ステイホーム9日目。家人がいる中での部屋にこもってのリモートワーク。この感覚、何かに似ていると思っていたけど、思い出した。センター試験(僕らの頃には共通一次)後の受験勉強だ。登校せず部屋にこもって、自分で時間割をつくって、机に向かっている、あの感覚。てことはアレだなと、ラジオアプリを立ち上げる。すると下の娘が部屋のふすまを開けて入ってきて「何聴いているの?」と。「ラジオ、昔、お父さんはこれの台本を書いてたんだよ」と応えると「ふーん」と言って怪訝な顔をして去っていった。そうか、知らんか。

4月17日

ステイホーム10日目。「Stay Home」とはつまり「From Home」だよなということに気づく。

もし、このままずっとこの状態が続いたら、という空想はまさにSFの世界なわけで。僕らは皆、それぞれ宇宙に散らばるカプセルの中にいる。PCデスクはコクピットで、僕らはモニター越しに意思疎通をはかる。できれば、優秀なAIを搭載したナビゲーションシステムが欲しい。いや、人間味のあるオンボロの助手ロボットでもいいや。外に出るときには装備と覚悟が必要だ。だが、ひとたび出ると、外の世界は美しい。

4月18日

ステイホーム11日目。再び、思考力の話。

グループワークの「みんなで考える」の弊害は、実は本気で調べて考えるのは数人で、残りは考えてる振り、話し合ってる振りで、評価の分け前だけはいただけちゃう場面が生じること。話し合いに参加して、相槌をうったり、他の人の意見を再確認してれば、考えてるようには見えるし、自分でもそう体感できる。そして、評価もグループ全体に対して行われると、良い評価の場合は、自分もその一員ですと胸を張れるし、良くない評価の場合は、みんなでダメだったと責任の分散ができる。それでいろんな場面を乗り越えられていくと「考える振り=実は考えてない」が、その人の「自分の考える姿勢への自己評価」として習慣化して、考える振りをしながら話し合いに参加することにがんばるという「真面目なんだけど不誠実」が正当化されていく。話し合いの態度としては「いい人」。
対処としては、考えたい、調べたいという切実なテーマを設定していくことがまずあるけど、すでに考えないことが習慣化していると、それは無意識の「考えたくない」という欲望になっていて、切実さを上回る。もう一つは、グループワークの中にそれぞれの考えを傾聴する時間を取っていくことだけど、それで考えてないことが炙り出されて、スケープゴート的になってしまうのは避けたい。

結局、グループワークとは別に「一人で考えるワーク」の経験をどれだけ積んできたかが思考力の礎なんだよなという結論に再びたどり着く。読書でも、芸術でも、スポーツでも、勉強でも、どれだけ「一人で考える楽しみ=哲学」を養ったか、それを「追求する楽しみ=学究心」を養ったかが、基礎になる。

追記:読み返してハッとしたのは、「みんなで考える」というのが、「全員の思考を育てる」という思考力育成が目的の場合と、「こういう場でうまくやっていく」という社交力育成が目的の場合があること。だとすると「話し合いの態度としてはいい人」というのは、後者ならば一つの達成といえる。

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