2020年の日々・半年ぶりのリアル上演

7月31日

倉迫が企画し、Theatre Ort名義で提出した「アートにエールを!」動画、公開されました。これで自粛期間中に考えた「もし自分の演劇を動画にするのなら」の3種類を製作、公開したことになります。どれも測ったように25分弱、その時間感覚が身についているんだなあ。次は、謎解き演劇と映像の融合を考えます。

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江戸川乱歩『人 間 椅 子』

江戸川乱歩の『人間椅子』を原作にした25分の短編演劇。撮影は廃校を活用した施設で行い、オープニングのみ廊下で撮影。本編は一教室のエリアを分割して、二人の俳優の演技と生演奏を「演劇」として上演し、iPhone4台とコンデンサーマイク1台を固定した一発録りで撮影を行った。

企画製作:Theatre Ort(シアターオルト)
参加アーティスト:伊藤 馨(照明)、岩倉真彩(出演)、倉迫康史(演出)、小林 至(出演)、平 佐喜子(出演)、ヤストミフルタ(演奏)、るう(ビジュアル)

演劇動画(映像芸術ではない)を3本創ってみて学んだのは、観客(視聴体験を超えた想像をして欲しいので、あえて視聴者とは呼ばず)の認知能力や身体感覚に訴えかけるには、その分野のテクノロジーを使いこなさなければいけないってことだ。それは新しければいいってものでもなくて、古い技術から新しい技術まで、引き出しの中からフィットした選択ができるかということ。その選択に、舞台での上演ほど動画での配信には当たり前だが自信持てない。ましてや映像芸術の世界、奥が深すぎて怖い。

まあ、だからYouTubeの「歌ってみた」「踊ってみた」みたいなもんで「動画にしてみた」ぐらいな感じで、演劇動画を作ればいいじゃんって思ってる。ただ、俳優の技術は本物よ、舞台であれ動画であれ。そのうえで、動画で舞台の面白さをどう出すかの実験をみんなでしているこの状況、俺はちょっと稀有で面白いと思ってる。「動画じゃ出ない!」というのも実験結果の一つだし、「舞台とは違う面白さを発見した!」も実験結果の一つ。

8月1日

ゼロリスクはありえないと頭ではわかってる人も、心の中ではゼロリスクを望んでる人は、行動の基準が無意識のうちにゼロリスク志向になってることが多いと思う。
普段から、いつ自分が刺されるかもしれない、事故にあうかもしれない、病気で倒れるかもしれない、突然死ぬかもしれない、脳が逝くかもしれないというようなリスクに僕らはさらされているけど、それを確率10%以下、万が一のことだと無意識に信じることで僕らは行動できている。本当のところ、何%なのかはぼかされている。
リスクマネージメントとは、この無意識の意識化から始まる。今、自分のリスクはどのくらいなのか、リスク何%なら自分は行動できるタイプの人間なのか。リスク100%を80%、70%、60%と下げていく努力はする、ではどこまで下げれば自分は行動に踏み切れるのか。一か八か、丁か半か、五分五分か、七三か、90%安全か。
PCR検査は、このリスク判断には有効だ。「ゼロか100か」思考の人は万能でない完璧でないと言うが、要は積み上げの問題なのだ。自己責任を言うのなら、リスク引き下げの自己判断の選択肢を持たせろということだ。
リスクを前にした時、セフティ志向、アクティブ志向、スリル志向など様々なスタンスの人がいるし、その中にも濃淡がある。セフティ志向の人にはアクティブ志向の人は疎ましいだろうし、ましてやスリル志向の人は許せないという感じだろう。
さて、今が社会全体の危機、国家的な危機だとして、そうした各人のリスクに対する志向は全て無視するべきだろうか。「安心安全」という旗印のもとには全ての人が従うのは当然だろうか。私たちの社会はリスク何%なら、そのリスクを容認するだろうか。
それらの答えもまたゼロか100かではない。「難しいね」と言いながら、対処療法的にその場その場を乗り越えていくしかない。だから、対処療法的に乗り越えていくために、各人に選択のための手がかりを持たせて欲しいと思う。自分のリスクとそれに対する志向を自覚する以外に、行動の選択ができないからだ。

8月2日

明日月曜日から、大阪の追手門学院大学社会学部の学生に、3日間の集中講義を朝から夕方までオンラインで行う。昨年は、大学近くの「子ども食堂」の子どもたちに15分の「よみしばい」を3日目に観せるという、なかなかハードなミッションだった(そのために事前講義も行った)。今年度は時節柄、オンラインで行うことを選択し、別の意味でハードなミッションになるが、せっかくのオンラインなので各日、遠方かつ強力なゲスト講師との対談を講義に取り入れることにした。僕が今、ぜひ話を聴いてみたいお三方に連絡したところ、なんと全員が快諾。3日間を貫くテーマはど直球に「コロナ禍における社会と演劇」。炎上、クラウドファンディング、文化行政による支援、オンラインによるアウトリーチ活動など、この数ヶ月の動きを自分なりに俯瞰したい。

一日目は山田裕幸さん(劇団ユニークポイント代表/白子ノ劇場芸術監督・静岡)、二日目は鳴海康平さん(劇団第七劇場/Théâtre de Belleville芸術監督・三重)、三日目は詩森ろばさん(Serialnumber主宰・東京)にゲスト講師として各2時間ずつ参加していただける。各回の進行を決め(一日7時間!)、映像資料を一気に見た。

山田裕幸さん
https://youtu.be/PMWGgItGATc
鳴海康平さん
https://youtu.be/F6haSOryZbk
詩森ろばさん
https://youtu.be/IGwrouGjuBc

演劇界のすべての動きを追っていたわけでないので欠けていたことが、だいぶ補完された。その上で、明日からの三日間、この2~7月の半年間で演劇と社会との関わりが露わになった「著名演劇人のSNSでの炎上、多様なクラウドファンディング、文化行政による支援、オンラインを活用したアウトリーチ」の四つの側面についてゲスト講師と対談し、「人々が集まれない状況において、人と人、人と地域とのつながりを維持するために舞台芸術には何が可能か?」を、集中的に考えてみたい。

8月7日

数的拡大、量的拡大でない評価軸が必要と言葉でうったえても、そもそもそれしか知らない人たちには通じない。質を深めるという体験をした上で、初めてその言葉は力を持つ。しかし、質を深める体験とは。
数は力、力は正義、つまり正義は多数と大量。この価値観を当たり前とする人たちは、私が考えるよりずっと多いし、もっと多くの若者たちに浸透しているようだ。

8月8日

極端な話、コロナ禍の影響によって、今の自分の状況を全部失うかもしれない。でも、この今ある状況がいつまで続くかわからない、全て失う可能性があるというのは、コロナ以前から、日本の経済が体感としてどんどん悪くなっている数年前から感じていたので、別に目新しい危機という感じでも無い。基本的に僕は悲観主義者で、悲観的予測を楽観的思考で乗り切るというライフハックを駆使して生き延びてきたという自覚はある。てか、社会の情勢を肌で感じていたフリーランスの多くはそうじゃないだろうか。なので、いよいよその時が来ちゃったなあ、それにしても一気に来ちゃったなあと寂しくはあるが、じゃあ個々に生き残ろうぜ解散また会おうと、いつかは言うだろうと思っていた台詞を言う時が来ただけかもしれない。平和な時代は過ぎ去り、3年ぐらいは忍耐の時間になるんだろう。3年ぐらいはこの社会の未来は暗いと悲観しておく。その先、明るくなる保証は全く無いが(苦笑)、少しはマシになるといいね。だから、今は個々の心の明るさを保つのがライフハック。余計な心理的負担を沈みそうな船からはボンボンと投げ捨て軽くする。

8月14日

演劇で収入を得ている人はおそらく感じていると思いますが、このままだと本当に大変になるのは来年度からです。官民問わず、今年度の各予算はコロナ禍の前に決定していました。しかし、来年度はあらゆる締め付けが予算編成の段階でなされるでしょう。そして、今年度は緊急避難的に持続化給付金や特別給付金、各助成金、補助金がありましたが、来年度あるでしょうか。あったら助かりますが、僕は無いと思っています。民間もがっちり守りに入るでしょう。そうなると、今年度後半は、来年度以降の対応への準備期間です。できる範囲での「継続」あるいはいつかの「再生」のために、これからの半年や1年で身につけておくべきことは何か。危機をやり過ごす(乗り越えるではなく)ための3ヶ年計画、5ヶ年計画が必要です。そんな計画が杞憂に終わるといいなと思っています。しかし、オロオロしながらも、暗雲から目を離さずにいます。

なぜ緊急避難的な給付金や補助金が出ないと推測するかと言うと、今年度のコロナ流行は「非日常」でしたが、それを「日常」にしようという強い意図を感じるからです。新しい日常、新しい生活、withコロナなどがそれです。本来、気持ちの持ちようを示した言葉が、なし崩し的に社会ルール化され、だからもう緊急事態じゃないよねという詭弁を正当化すると推測しているからです。

8月16日

演劇を上演するというのはパブリックな行為だけど、観劇をするというのはプライベートな行為。つまり、演劇人にとって演劇はパブリックだけど、観客にとって演劇はプライベートなもの。だから、観劇をするもしないも「気持ち」が大事だし、観るとなったら他の人と一緒に過ごすんだから「思いやり」が大事。「気持ち」や「思い」といった、抽象的なフワッとしたものを大事にしているのが観客の「心情」であり、僕らはそういう「心」と舞台を通して向き合っている。
極論すれば、演劇のパブリック性なんて観客の皆さんには二の次で構わないわけで、皆さんの今の気持ちや思いにフィットしたなら観に来て欲しい。演劇のパブリック性を主張し過ぎると、ともすれば観劇のプライベート性に圧力をかけることになる、それは自戒すべきこと。
同様に、俳優が演劇に出演するということは、パブリック性だけでは説明がつかない、気持ちや思いといったプライベート性の強い動機に支えられていることも重要だ。僕自身はそのプライベート性に圧力をかけることを避けるために、出演におけるプライベート性をどう扱うかは俳優自身の判断に委ねている。俳優の気持ちや思いを尊重しつつ、上演のパブリック性を堅守するには、そのスタンスが良いと、この10年くらいで学んだのである。

8月18日

洗足音大ミュージカルコース1年生によるシアトリカルリーディング、今年はグループ分けをしての発表となり、僕が担当した江戸川乱歩「人でなしの恋」クラスは上演を撮影しての動画発表でした。いろいろ技術的なトラブルに見舞われましたが、先ほど編集を終え、関係者のみに公開しました。
本当はブラックボックス型の劇場での上演を想定していたのがダンススタジオでの撮影となったり、最初の撮影予定日が前日に急遽延期になったりという状況の中、15名の学生たちはよく立て直して、モチベーションを維持してくれたと思います。選曲と演奏を担当してくれたピアニストの先生にも感謝の念は尽きません。ありがとうございました。
個人的には、江戸川乱歩を原作にした動画をこの半年で3本製作したことになります。洗足版は一般公開されてませんが、他の2本は公開されているので、よろしければご覧ください。

人間椅子
https://cheerforart.jp/detail/3367
怪人二十面相 対 名探偵明智小五郎
https://youtu.be/NTit4d8zyPA

しかし、iPhone、iPad miniは優秀だけれど、動きのある長時間撮影には向いてないこともわかってきたなあ。うーむ。

8月20日

距離を保ち、マスクをつけ、フェイスシールドをつけ、ビニールシートをかけ、映像や音声で共演者を増やし、リアル出演の俳優はダブルキャストで稽古。

画像1

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8月21日

もし今、あの頃のように時間が有り余ってた大学生だったら、きっとずっと映像を撮っては編集する日々に没頭してたんだろうな。だって、iPhoneにFiLMiC Proを入れ、パソコンにDaVinch Resolveを入れれば、信じられないような廉価で映像作家の真似事ができる時代だもの。わからない操作はYouTubeで誰かが教えてくれ、英語の解説サイトはgoogleが翻訳してくれる。今もそういう学生はきっとたくさんたくさんいて、日夜もう僕らの世代なんかじゃ思いもつかないクリエーションの実験を続けてるのだろうと思うと、クラクラする。すげえ時代だ。若くてすげえ映像クリエイターがさらにどんどん出てくるぞ。

8月22日

半年ぶりのリアル上演を終えました。久々の客前で緊張したとか、お客さんの顔を見て感無量とか、やっぱり生はいいねとかいろいろありますが、正直に一言で言うと、あんなに苦労したのにやった甲斐が全然足りないです。これはお客様のせいでも関係者のせいでもありません。私たちはこうした公演を行うことで、いくばくかの収入を得ていますが、構造上、時間や労力に見合った充分なお金をいただけているわけではありません。ある種の妥協点で手を打っています。その妥協点を想定するにあたっての、金銭には換算できない上演後のお客様の反応やコミュニケーションから受け取るものが今のコロナ下の上演では全く見合ってないと感じました。つまり、お金では無い部分の私たちへの報酬が今の状況ではほとんど受け取れないということが、よくわかりました。じゃあ、金銭的報酬を増やしてもらえばいいのかというと、それは嬉しいですけど、そういうことじゃなかったりもします。もちろんその構造を変えるための中長期的な努力はし続けますが、その前の短期的な問題として、上演前、上演中の困難は何とか知恵と工夫で乗り切ったけれど、上演後のこの精神的な困難はどうやって乗り切ろうかと、今ちょっと手立てが見つけられないでいます。

追記:リアル上演における金銭的コストのシリアスさによるリスクは可視化されやすいが、アーティストの精神的コストのシリアスさによるリスクは可視化されにくいという側面はもっと注目された方が良いと感じています。

8月23日

上演の可否を判断するには、当たり前ですが一律の判断ではなく、作品の方向性によって基準を変えるべきと僕は思います。あの公演ができたからこの公演もやるべきなんて、作品や観客層を踏まえずに決めるのはナンセンス極まりない。広い会場なのか、身体表現が主なのか、それとも言葉を使った公演なのか、会話劇なのか語り劇なのか、観客が静かに観るタイプなのか、観客とやり取りするタイプなのか、その方向性によってコストもリスクも変わります。そして、前の記事で書いたように、そのコストとリスクは経済面、精神面の双方があります。それらを含めて上演の可否を判断するのが、アーティストや観客の方への責任と作品への愛情です。そのスタンスを私たちは見極めねばなりませんね。

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