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長い眠りから覚めたもの〜一乗谷遺構とNさんの生き方

2019年2月2日放送のNHK教養バラエティ番組「ブラタモリ」で、福井県の「一乗谷朝倉氏遺構」がテーマになっていました。国の特別史跡「一乗谷朝倉氏遺構」は、福井市街からだいぶ離れた、川幅の狭い一乗谷川の谷間にあります。天然の要害であり、かつ狭いながらも平地が確保されたことから、戦国大名の名門、朝倉氏が館を構えて、計画的な町割が整備され、最盛期には1万人以上が居住して栄えた中世都市です。

町は1573年に織田信長によって灰燼に帰しますが、その後再興されることなく、土地は田畑になったので、ちょうど表層の土壌でコーティングされる形で、意図せずして中世の遺構がそのまま保存されました。そのために、450年あまりの時を経て、町割や石垣・庭石、あるいは金属や陶器のみならず、普通なら朽ちて失われてしまうような木製の遺物も多く発掘されました。この遺跡だけで唯一発見された遺物も多数出土したとのことです。そうして、すべての面で、あまりに稀少価値が高いので、国の特別史跡になったということです。

意図せずに為されたことが、長い潜伏期間を経て、後に非常な価値をもつに至った一乗谷の出来事を知って、職員のNさんのことが思い浮かびました。Nさんは現在、介護サービス部門で、助手と事務の仕事を担ってくれています。部門新設に伴い、つい、数ヶ月前から配属になりました。それまでは、10年余り、病院のサプライ部門に所属し、一人で医療器具の滅菌業務に従事していました。

当職場とのご縁は、3人のお子さんがいらっしゃって、末のお子さんが幼稚園に上がって、昼間手が離れたので、派遣社員として医療事務部門に採用されたのがきっかけとのことです。しかし、その時、たまたま滅菌をする人員がいなかったために、滅菌に従事することになり、そのまま10年過ぎたということでした。

介護サービス部門に配属されてから、Nさんは利用者さん達を楽しませるために、季節の行事をモチーフにした作品を展示してくれるようになりました。驚かされたのは、そのクオリティが非常に高いことでした。いわゆる、「きれい」や「上手」といった水準を超えて、アート作品になっているのです。作品は、オリジナリティがある一方で、奇をてらうことなく、遊び心に溢れています。

例えば、図案化された模様の繰り返しや、草花に通じる色調や、色彩のグラデーションとポップな変化、あるいは余白の使い方は、日本美術と通底するものがあります。

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Nさんの作品(部分)

これらの作品は、華道芸術作品のように、毎月更新されて、一瞬のきらめきを放っては、滅して行きます。お手本はなく、季節の事物に触発されて、自らの内部から湧き上がってくるイメージを具体化しているのだそうです。

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Nさん作品(製作途中)

それまで、滅菌部門で毎日黙々と、もの言わぬ金属器具に向かう仕事をしていた人が、突然、表現者になったのが不思議に思えたので、若い頃の経歴を尋ねてみました。

Nさんは、ご両親が中国山地の谷間(たにあい)にある町で、理容店を営んでいました。3歳の頃からお店の片隅で、教材用の頭髪モデルを相手に、見よう見まねで髪を結ったり、カールを巻いたりして、遊んでいました。18歳の時に家業を継ぐために、美容師を目指し、岡山市内の美容院に住み込みで働きながら、資格を取得するための通信教育を受けていました。そんな修業時代から、岡山県内の技能コンペで何度も優勝するなど、優れたセンスと技能をもった、美容業界の期待の新人であったようです。

美容師は髪を扱うだけでなく、女性を輝かせるトータル・コーディネーターですから、美術的センスが要求されます。だから、Nさんが製作した作品群は、その当時培われた美容師としての卓越したセンスと技能から生み出されものなのだ、と了解しました。

Nさんは、美容師の資格を取得後すぐに、20歳でご結婚なさって、嫁ぎ先の家業に従事します。同時に、3人の子供の子育てをされたのちに、私たちとご縁があったということです。ですから、20歳から今日までの26年間、美容師としての「手続き記憶」が封印され、潜伏していたことになります。

Nさんの作品が、華やかである一方で、どこかノスタルジックで、哀しみを帯びているのは、Nさんの「手続き記憶」が、一乗谷の遺構のように、あとから新たな経験が加わらずに、26年前の当時そのままに、保存されたからだったのです。

一乗谷の遺構が保存されたのは、歴史の偶然のなりゆきだったのですが、Nさんの場合は、状況に素直に従う、しなやかな生き方がそうさせたのでした。それまで長年かかって積み上げたものを捨て去るのは、普通の感覚では「もったいない」と感じて、なかなか思い切れないことです。とりわけ、理容師であった実父は、非常に惜しんだそうです。でもそれが後に、介護サービスの利用者さんやその家族のみならず、職員や来訪者まで、幅広い年代の人達を惹きつける特別な価値を持ちました。

その価値は、熟成したヴィンテージ・ワインとも、富士山の湧き水とも違います。何も加わったり、引いたりされていない、琥珀に閉じ込められた太古の水のような魔力を秘めた価値です。

(2019年2月5日)

追伸:Nさんの最新作です。

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(2021年6月3日)


番外編

Nさんの青春探訪

Nさんが生れ育った町は、天然の鮎が泳ぐ清流が市街の中心を流れています。夏には、よく、川で泳いで、岸辺の露店でかき氷を食べたとのことです。夜には蛍も舞うそうです。

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町には、ショッピングセンターがあって、その当時、ファンシー・ショップが入居していました。高校生だったNさんは、毎日のように学校の帰りに立ち寄って、センスがよい文房具や雑貨に魅了されたのだとか。

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ショッピングセンターには、女子憧れのスイーツ店がありました。お店の製菓工房がアーチ橋の向こうにあり、Nさんは、そこでアルバイトをしていました。それが、自宅で本格的なお菓子作りをする契機になったのだそうです。

この谷あいの、自然豊で、文化のほのかな香りがする町は、Nさんの才能を育んだ孵卵器なのでした。

(2021年6月28日)


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