アメリカドライブ西部・西海岸1周の旅〜砂漠で遭遇したトラブル
海外に長期滞在するときの役得であり、楽しみなことは、滞在国内やその近隣国への旅行です。1992年〜1993年に米国滞在中、シカゴの市街地に住む知り合いの日本人駐在員の家族は、フロリダのディズニー・ワールドやカリブ海の島々、あるいはヨーロッパ方面に出かける人が多くいました。しかし我が家は、4歳、3歳、0歳の3人の子どもを抱えていましたので、飛行機の利用やレストランでの外食がなかなか、ままならない状況でした。病院のボランティアだった大学生のデレック君(画像・右)に相談すると、周りを気にしないでマイペースで旅行する方法として、車で旅行したらよいと言われました。彼曰く、「飛行機だとアメリカを点でしか知ることができないが、車だったら小さな町を訪れて、本当のアメリカを体験できるよ」、「アメリカは幹線道路沿いにモーテルが多数あって、安全に安く泊まれるよ」とのことでした。
そこで夏休みに1カ月かけて家族で、アメリカ西部と西海岸をめぐるドライブを計画しました。用意した資料は、旅のバイブル「地球の歩き方・アメリカ、アメリカ・ドライブ」、「アメリカ・ロード・マップ」、「AAA(トリプル・エー;アメリカ自動車協会;日本のJAFに相当)のモーテル案内」です。
旅のバイブル・地球の歩き方(ダイヤモンド社)
レンタカーは、デレック君おすすめの中堅レンタカー会社で、排気量3800ccの大型セダン、フォード・リンカーン・コンチネンタルを1カ月間、10万円ほどで、格安で借りることができました。大型乗用車は、室内空間が広く快適なだけでなく、トランクが広いので、白米や炊飯器、食器、着替え、ベビーカー、おむつなどたくさんの“家財道具”を積むことが出来ます。トイザラスでチャイルド・シートも購入し、1993年6月25日にシカゴを発ち西に向かいました。
大平原を一日に500km〜800km、ひたすら走行します。宿泊は、日が暮れてからルート沿いにモーテルを探します。「AAAのモーテル案内」は、★の数で格付けがしてあり、設備と宿泊料金が事前にわかります。料金は、一家5人で素泊まりして、多くが5000円程度でした。モーテルに着くと、“家財道具”を部屋に搬入し、私が子ども達3人を風呂に入れ、家内は持ち込んだ炊飯器で白米を炊いて、食事の準備をします。余分に炊いた御飯は、おにぎりにして、翌日の食事にします。食事は、このようにしてほとんど自炊か、ファースト・フード店でまかないました。
6月27日には山頂が雪に覆われたロッキー山脈に突き当たりました。翌6月28日、末っ子の長男がロッキー山中で1歳の誕生日を迎えました。老夫婦が経営する山小屋風のモーテル、レッド・マウンテン・インに泊まり、スーパーでプレーンのケーキを買い求め、赤いプラスチックのスプーンに紙を巻いて一本のロウソクに見立てて、家族で祝いました。
ロッキー山中のモーテルで息子の1歳の誕生日を祝う。
レッド・マウンテン・イン
ロッキー山脈の西側は乾燥地帯で、広大なアリゾナの砂漠をさらに西へと向かい、7月3日にはメキシコ国境に近い太平洋岸の都市、サンディエゴに到着しました。そこから今度は西海岸を北上します。ロサンゼルスを過ぎ、風光明媚なモンテレー海岸を経由して、ルート101をサンフランシスコへ向かっていました。1993年7月7日のことでした。砂漠地帯を走行中に、車体の底に衝撃音がありました。間もなくエンジンがオーバーヒートしたことを示すランプが点滅し、警告音が鳴り響きました。道路脇に車を停車しましたが、周りは360°砂漠です(今、グーグル・マップで確認すると、そこは山脈に挟まれ、谷になった乾燥地帯でした)。交通はまばらで、通りすがりのドライバーに救援を求めても、安全かどうか判りません。とにかく、シカゴのレンタカー会社に電話連絡して救援を呼ばないといけません。炎天下に家族を車に残して、徒歩で道路沿いに北へ向かい、ガソリンスタンドを探すことにしました。救いはすぐにやってきました。1キロほど歩いたところで、親切なヒスパニック(メキシコや中南米からの移民)の二人連れの若者が乗る車に声をかけてもらい、ガソリンスタンドまでピック・アップしてもらえました。ガソリンスタンドでは、防弾ガラス張りのボックスで店番をしていた無表情な従業員に住所を聞いて、公衆電話からレンタカー会社に連絡することができました。親切な二人連れの若者は、給油の予定はなかったのにも関わらず、立ち寄ったので、1ガロンだけ給油して去って行きました。待っていると、レンタカー会社から救援の車両が到着して、そこから家族のもとに向かいました。2時間ほどの出来事でした。子ども達は、家内一人に任せていたのですが、幸い、モンテレーで買ったお寿司を食べて機嫌良く過ごしてくれたとのことでした。
救援の車両でレンタカー会社の営業所に着くと、代替の車を貸してもらい、修理が終わるまでその町に滞在することになりました。その町がギルロイという町でした。ギルロイは人口が5万人ほどの町で、ニンニクの産地でした。ニンニクを満載したトラックが道路を行き交い、町中にニンニクの匂いが漂っていました。あの匂いは今でも鮮明に思い出します。
故障はエンジンの冷却システムのファン・ベルトが切れたためでした。衝撃音は切れたファン・ベルトが車体の底を打った音だったのでした。エンジン本体も損傷していたので、すぐには修理が終わらないとのことで、期日が判らないまま、見知らぬ土地で足止めされて待ち続けることになりました。結局、1週間して車の修理が完了し、7月13日、サンフランシスコに向けて、ギルロイの町を脱出することができました。
それからずっと旅は順調でした。サンフランシスコから北は森林地帯で、緑豊かなオレゴン・コーストを抜けて、7月17日にはカナダ国境に近い都市、シアトルに到着しました。そこから東に向けて、復路となる大平原をひた走ります。7月23日には、ミシシッピー河畔に到着し、河を望む丘陵に「ローラの家」の表示を見つけました。日本でも人気があったアメリカ開拓時代のドラマ「大草原の小さな家」のローラ・インガルス・一家が住んだ家です。ミシシッピー河を渡るとシカゴの我が家はもうすぐです。7月24日の夕方には平原の向こうにシカゴの摩天楼の明かりが見えてきました。その夜にシカゴのアパートの駐車場に辿り着き、翌日の7月25日、契約期間の1カ月ぴったりにレンタカーを返却することができました。
途中のギルロイでトラブルに遭い、家族を危険に晒してしまいましたので、今後はこのような無謀な試みはするべきではないと思いました。帰国後、日本のカー・ディーラーで訊いたところ、40℃を越える高温の中を高速で走行すれば、そのようなトラブルが起こり得るとのことでした。車のトラブルは、決して運が悪かったわけではなかったのです。それにしてもあの時は随分と、神様、あるいは、「偉大なる何か」に甘やかされたなあと思うのです。
追伸:通過した州は13州で、旅の途中に立ち寄った主な訪問先は、
ロッキー・マウンテン グレンウッド・スプリングス(世界最大の温水プール) ユーレイ シルバートン モニュメント・バレー グランド・キャニオン シーワールド(サンディエゴ) アメリカ海軍基地 ソルバング(デンマーク村) ランポック修道院 モンテレー・カーメレー サンフランシスコ市街 フィッシャーマンズ・ワーフ ゴールデン・ゲイト・ブリッジ サンタクルーズ ヨセミテ国立公園 セコイア国立公園 オレゴン・コースト シアトル市街 マウント・レニエー デビルス・タワー マウント・ラッシュモア ミシシッピー河 ・・でした。
走行距離は18000キロでした。
ロッキー山脈のお花畑(コロラド州)
モニュメント・バレー(アリゾナ州)
セコイア国立公園(カリフォルニア州)
マウント・レニエー(ワシントン州)
マウント・ラッシュモア(サウス・ダコタ州)
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