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『グー』『チョキ』『パー』にひたすら文句を言う

ジャンケン。
日本で最も盛んな合法賭博です。


この勝敗の優劣に、給食の過剰物品の占有権や
居酒屋の負担額が左右され、
日本国に賭博罪があることが信じられなくなります。

幾人の人々が、ジャンケンの3手に
一喜一憂し
身持ちを崩していったことでしょう。

この遊戯が国家に咎められないことが
異常に思えてきます。

国会にて法案の審議で揉めた際は
きっと国会議事堂の廊下で、行われていることに
疑いの余地がありません。

今日はこのジャンケン、
もとい
『グー』『チョキ』『パー』に
ひたすら文句を言っていきます。

①グー


ジャンケンにおいて一番安易な手です

人間が暴力によって物事の解決させていた名残を
感じさせます。

世界大戦の過ちは我々の日常にすら、忍び込んでいるのです。

この『グー』
良識的に言えば、青少年に最も悪影響を与えている手、といえます

拳を握ることで勝てる勝負がある

そんな価値観を小学生、ひどいときには
幼稚園児にすら植え付けています。

万国平和を理想とする現代において
こんな思想が放置されているのです。

この価値観のもと成長した子供たちは
どうなるのでしょう

土壇場になれば
『グー』を出せば良い。
そんなことを考える、外交官が生まれてもおかしくありません。

国際関係という非常に繊細な配慮が求められる場において
『いざとなったらグーを出せばよい』

戦争必至です
ジャンケンという遊戯から
着想を得た思想が
第三次世界大戦の引き金になりかねません。

この危険性に、教育機関の大人たちが気づくどころか
作文の発表順を決めるためだけに、
端と端の生徒に争いを強要しています。

悲劇的な争いが繰り返される前に
『グー』は排斥されねばなりません。



②『チョキ』

『グー』と『パー』のキメラです

他の二つの採用が決定してから、
余りもの的に決められたことが
ハッキリとわかります。

そのことは彼のコンプレックスになっていること
疑う余地もありません。

また他の二つに比べ
手が複雑すぎます

意味が分かりません。
日常生活で作ることのないポーズです

電車で吊革に掴まるときや
マラソン選手が走るとき
手がこの形になっているのを
見たことがありません

正真正銘
ジャンケンでしか作ることのないポーズなのに

そのジャンケンにおいても
別に強い手ではありません。

勝率は
『グー』『パー』と
何ら変わりません。

こんな複雑な手を出して
勝ったのだから
2勝分くらいには扱って欲しいです。

出すだけ手間
出しても別に強いわけではない。

カードゲームの環境であれば間違いなく採用されることのない
一手です。

ただ単純に
『パー』に対するメタ、としてしか機能していません。

彼自身もそのことを理解してか




チョキの手で親指を立てると特殊勝利する』という
小学生時分に流行した世迷言に
いつまでも幻想を頂いています。

いい加減大人になりましょう。


③パー

ドラえもんという国民的人気キャラクターを
迫害する罪深い一手です。

ジャンケンという勝負の場を
自分の手相の発表会と勘違いしています。

生命線がいくら長かろうと、
勝負の趨勢には何ら寄与しません。

にも関わらず
こいつは手相を見せつけてきます。

完全に場違いです。
あまつさえ、そんなノリであるのに
『グー』から勝利をもぎ取ります。

この手に負けた時は
異種格闘技戦で自分の種目のルールで戦ったにも関わらず
敗北した以上の屈辱を味わいます

彼にジャンケンの何たるかを
教え込まなくてはなりません。

また
一見すると握手のようにも見えるのが
よりタチが悪いです。

パーを出したやつは
『いや?これ勝負前の握手だから』と
あったはずの勝負をなかったことにしてきそうです。

自分が1人勝ちをしていた時などは
周囲もその意見に同調し
少数派の無力さを実感します。

この経験から民主主義の構造的欠陥に気づいた少年が
将来、武力革命を起こすことだけは避けねばなりません。





グー、チョキ、パー
それぞれが取り繕いようもない欠点を抱えています。

1人でも多くの人々が
この事実に気づき、

明日からジャンケンの3手を
蛇、蛙、ナメクジに変える、という
動物愛護に基づいた運動が起こることを期待しております。


以上です。
争いで物事を解決するのはやめましょう。
ありがとうございました。













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