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だとしても、やるしかないんじゃない


結局のところ、熱量がないよね。ってはなし。
自分が思う熱量っていうのは、周りの人たちを巻き込んでいけるほどのエネルギーがあるかどうかだと思っている。

19、20歳の時は今以上の高い熱量があった。自分がプロ野球選手になる。と言ったときに、本気で動いて助けてくれる。大人が何人もいた。

この時は、自分が目指そうとする所の高さや遠さをわかってはいなかったし、自分の現在地を正しく評価することもできていなかったから、遠くから富士山を見て、あのあのでかい山に登るぞ!!と、言っているようなものだった。

実際富士山は目の前に行くとどんだけ大きいのかもわからないくらい大きいし、近づいているはずなのに、全然距離が縮まっていないように感じる瞬間もあるし、当たり前だけど、近くに行けば行くほどその大きさを目の当たりにすることになる。

だから「知らない」という事は、危険でもあるかもしれないが、その反面、強さでもあるように自分は思う。


その時の自分は、この先どれだけ辛いことや耐えがたいことが待っているか知らなかった。


独立リーグに行って、レベルの高さや理不尽さなどにさらされて挫折した。挑戦するのが怖くなった。また同じような痛い目をみたらどうしようかと怖くなった。

その恐怖に立ち向かって、自分が思い描いていたものよりもっと残酷なプロ野球選手というものに、そこまでしてなりたいのか?と自問自答するようにもなった。

今思えばこの挫折から徐々に熱量は落ちていったように思う。

滋賀にいたときは精神的にかなり追い詰められて、1人でたくさん泣いたこともあったし、福井にいたときは仕事と野球で休みはほぼ無かったのは確かに大変だった。

けど、もっと頑張れたと思う。
確かにそのとこはすごい辛かった。だとしても。

過去は美化される。だからその時の問題が今は軽く見えている。だとしても。

だとしても、もっと頑張れたと思う。

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