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即決、実家へUターン

病院で霊柩車を待っている間に、父がポツリと「これからどうやって生活すればいいんだろ」と。
背中をさすりながら「私が帰ってくるから大丈夫だよ」と、なんの迷いもなく口をついて出た。
父はすぐに「お父さんは大丈夫だよ、お前は東京で好きなことを続ければいい」と、言った。

これまで、家のことは全て母がやっていた。
何もかも。
父は靴下のありかもわからないような人。
炊飯器でごはんを炊くこともできない。
母は、これまでほとんど家をあけることがなかった。
そして、とても明るい人だったから。
静かになりすぎた家に父を1人にしたら、もともと天然ボケの父が本格的にボケてしまう。
離れて暮らして、火の元とか戸締りとかいちいち心配になるぐらいなら、目が届く方が私の精神的にも楽。

私はひとりっ子だし、両親の介護は自分でやりたいと思っていたので、前々から両親が元気なうちに地元に帰りたいって思ってはいた。
何度か両親に切り出したことがあったけれど、その度に2人は口を揃えて「結婚して帰ってくるならまだしも、一人で帰って来たら負け犬だぞ、近所になんて説明するんだよ」って大反対されて。
ぐうの音も出ず、ズルズルと20年も東京にいたけれど。
母が亡くなった今なら、近所にだって説明がつく。
父は「帰ってきたって…こんな何もないところ。絶対東京にいた方がいい。お父さんのせいでお前の将来を奪いたくない」と言い、その時は、私もそれ以上説得する気力もわかなくて。

やがて霊柩車が来て、タクシーと2台で分乗し自宅へ。
家の近くに来ると、ご近所の方が数人表に出ていた。
父が救急車を呼んだので、何かあったのかと気にかけてくれていたんだと思う。
霊柩車なのだから一目瞭然で。空気が張り詰める。
驚いた表情をされた近所の方々に、驚かせてしまい申し訳ないなという感情がわいた。
家をどう片付けて、どうやって母を運び入れたかは忘れてしまったけれど。
葬儀社さんが今後のことを説明してくれて帰ったあと、ご近所の方が来てくれて。
父が、その日に起きたことを順に説明していた。
その時は気も張っていて冷静に受け答えできたと思うのだけれど、誰とどんな話をしたかはよく覚えていない。
ただひとつ。
誰かが「旦那さん、これからどうするの」と言ったら、父が「娘が帰ってきてくれるって言うから大丈夫」と、少し明るい声になった。
「あれ…さっきと違う」と思ったけれど、近所の方も安堵したようで。
私が「実家に戻る」ということを、許されたんだなと思った。

けれど、母が亡くなった直後の転居というのは、思っていたよりもずっと大変で。

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