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モノへの執着心の加速

“モノを持たない暮らし”にちょっと興味があって、自分の持ってるモノが本当に必要なモノかどうか、なくても困らないモノなのではないか、ということを最近よく考えます。

高校の頃のジャージ。


これは絶対にいらないと思う。運動するときに着るんだとか、避難所生活で着るんだとか、自分の中ではそういう理由で未だに捨てずにいる。けれど、運動するときっていっても、同僚とバドミントンするときの数回しか着てないし、たとえばジョギングするときに高校のジャージを着て走ろうと思うかを想像すると、それはやだなーと思う。ちょっとかっこいいやつ買って、モチベーションあげたいじゃんね。

避難所生活というのも突拍子もなくておもしろい。滅多にないことだろうし(そうであってほしい)、避難所生活で高校のジャージ着てたらそれはなんだか恥ずかしいと思う。おそらく、「体育館と言えばジャージ」というイメージからきてるんだろうな。


“モノを持たない暮らし”のゴールの1つには、「モノへの執着心を無くす」ということがあるように思っている。けれど、“モノを持たない暮らし”を目指すことで、今持っているモノが必要かどうか、手放すかどうかを考えることは、「モノへの執着心を無くす」というよりむしろ「モノへの執着心を加速させている」のではないかと思う。



“モノを持たない暮らし”までの道のりはまだまだ遠いな



くらむぼん

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