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電車で席を譲ったときの感情、そして正しいことは行うべきという結論

電車で帰宅中、降りるひとつ前の駅で杖をついたお婆さんが乗ってきました。車内は混雑しており、そのお婆さんは人をかき分けながら私が座る席の前にやってきました。

条件反射で席を譲らなくてはと思い、立ち上がってお婆さんに声をかけました。

「どうぞ座ってください」
「次で降りるんで大丈夫ですよ」
「私も次で降りるので、どうぞ座ってください」
「そうですか、ありがとうございます」

お婆さんは座りながら「ありがとう」ともう一度言い、電車はゆっくりと動き始めました。私はお婆さんの前に立つ形となり、時折お婆さんと目があって笑顔の会釈をしました。

ここまでの話だと、お婆さんに席を譲った良い話ですが、そのとき私の中では何かモヤモヤしたものが渦巻いていました。

席を譲った後から、やたら周りの視線が気になるようになっていました。なぜだかわかりませんが、席を譲ったという行為が車内の人にどう捉えられているのか気になってしまったようです。

若い頃は席を譲ったらそれでおしまい、特に特別な感情はなく当たり前のことをした、ということしか感じませんでした。しかし、歳を重ねたせいなのか、妙に周りの目が気になるようになったようです。

電車内は基本無関心で溢れているので、その中で関心事(関心事とするのは大袈裟かもしれませんが)ができ、かつその関心事の中心が自分であるという事実も、周りの視線が気になる原因のひとつかもしれません。

電車が止まり、お婆さんは立ちながら「ありがとうございました」ともう一度私に伝え、ゆっくりと電車を降りてゆきました。私もその後に降りて駅の改札へと向かい、お互い帰るべきところに帰りました。

帰ってからモヤモヤの解消方法や感情の落とし所を探しましたが、コレというものをなかなか見つけることはできません。しかし、ひとつはっきりしていることは、席を必要としている人に席を譲ることは正しいことだということです。

自分にモヤモヤが生まれても、正しいことは行うべきですね。

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