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批判と否定(と冷笑)の違い


キッカケ

5月某日、某Facebookの某グループにて気になる投稿がありました。それは「これまで繰り返し否定的なコメントをする人に対しての不満」を表明するものでした。また、某Youtubeにて「製品のみならず、その製品を利用しているユーザーまでも否定しているようなコメントに対しての不満」を発信しているかたもいらっしゃいました。「否定的なコメント」「批判のための批判」については気持ちの良いものではないですので共感するのですが、今回のnoteは投稿の内容自体には関係ないので直接リンクを貼るのは控えます。

ビジネスにおいて「否定や批判」は「他社製品・他サービスとの差別化」をし、それによって自社サービスの優位性をアピールし、顧客に自社サービスを選択してもらって購入してもらうために使われることがあります。(まぁこの差別化戦略自体も若干古い気がするけどw)
「否定や批判」によって、A製品とB製品の違いを明らかにすること自体は問題ではなく、顧客に選択するための材料を提供することになりますので、顧客にとっては有益だったりもします。
「否定や批判は」マーケット(A製品とB製品を比較検討する場)において、必要であり適切な情報である気がしますが、今回の件は「A製品のFBグループでA製品の否定をする」という内容だったことが問題だったと思います。(もっというと一部のコメントは「冷笑」に近いものだった。)

今回はこの問題について深堀りするのではなく、「批判」と「否定」の違いについて整理しつつ、「適切な批判をする方法」や「批判のメリット」について書いていきたいと思います。

批判とは?否定とは?

批判とは

良い所、悪い所をはっきり見分け、評価・判定すること。

Oxford Languagesより

だそうです。

否定とは

(述語とそれに係る要素とで表される意味内容を)そうではないと判断し斥(しりぞ)けること。打消し。

Oxford Languagesより

だそうです。

ついでに冷笑についても調べてみましょう。

さげすみ、見くだした態度で笑うこと。あざわらい。

Oxford Languagesより

冷笑は問題外ですが、そもそも「批判」には、「良い悪いの評価・判定」があります。なので本来的には批判は大いに歓迎されるべきであり、当事者はもちろんその周囲にいる人にとっても発展的な内容になるはずです。

ただ、日本語の発音である「ヒハン」が「ヒテイ」と似ているので、なかなか活発な批判が出にくいという実態があるかもしれません。最近では「Critical Thinking(クリティカルシンキング)」と横文字にして使うことで、あえて「否定」とは違うものとして扱うことも多いような気がします。(横文字にすればいいってもんじゃない!というのもある意味で批判ですねw)

そう考えると今回問題と思われるコメントは

こんな機能も無いなんて、プププw
いまだにそんなことやってるのダサ
そんなのすごくもなんともねーから

意訳してデフォルメして強調してますw

というようなものでありそもそも批判にすらなってなく、ただの「冷笑」なんですよね。

サッカーと野球で喩えてみよう

ここまでイニシャルトーク的に某某某で書いてきましたが、さすがに分かりづらいので、サッカーと野球で喩えてみましょう笑

サッカーも野球も人気のスポーツで、実際にスポーツとして楽しむ人も多いですし、プロの試合を応援する人も多いと思います。そこで今回の状況を喩えてみるなら。。。

(野球ファンがサッカーグラウンドに行って)
「まじかよ?!まだ体一つでスポーツしてんの?ウケルww 原始人かよ」
「あちゃー、1塁とか2塁とか無いからめちゃくちゃ動くじゃん、疲れそーw」
「ボールが大きすぎるとか引くわ〜」

誰得?

いかがでしょうか?こんな人がいたら「野球場に行って野球見たらいかがですか?」って言いたくなりますね。また、こういった「冷笑」は大抵ブーメランになって自分に返ってきます。(「まじかよ?!スポーツするのにバットとか道具使うの?ウケルww 野蛮人かよ」のように、簡単に同じ構図で冷笑することができますよね😅)

つまり「冷笑」なんてのはよっぽどのことがない限り、誰の得にもならないものであり、そもそも「批判」でも「否定」にもなっていないのです。

改めて”適切に”批判してみよう

では、先程の喩えを批判的思考で組み立て直してみましょう。

(スポーツ文化をより広めるため、野球ファンがサッカーグラウンドに行って)
「足がぶつかり合うのに足が露出しているのはリスクだ」
「グラウンドが大きいと高齢者の参加は難しい」
「サッカーボールは野球のホームランボールのように気軽にプレゼントできない」

批判的思考

このような批判であれば、それに対してアイデアを出して「スポーツ文化の拡大」に寄与できるかもしれません。例えば

  • 「足がぶつかり合うのに足が露出しているのはリスクだ」

    • 足首から膝まで守れて動きやすいサポーターの開発

  • 「グラウンドが大きいと高齢者の参加は難しい」

    • グラウンドを小さくし塁をおいたキックベースボールの開発

  • 「サッカーボールは野球のホームランボールのように気軽にプレゼントできない」

    • 傷がついてしまったサッカーボールを分解して記念品としてプレゼント

などが考えられるかもしれません。

本来的な批判は、今の現状をちゃんと分析して「ここは良い」「ここは悪い」と評価することです。そうすることで新しいアイデアが出たり、もしくはその批判に対しての反論も正しくできるはずです。

”適切な”批判によるメリット

適切な批判は、物事や考えを前に進めることができます。

批判は、複数の異なる視点が衝突することにより深く進む取り組みである。衝突することで、崩壊を招いたり、誰が正しく、誰が間違っているといった勝敗を決めたりする意見の戦いではない。より豊かでより強固な解釈を深めるために衝突をするのである。

ロベルト・ベルガンティ. 突破するデザイン

過去の歴史(芸術、技術、哲学、経営学、デザイン学、etc)はすべてこういった適切な批判を繰り返しながら発展してきましたし、これからもそうあるべきだと考えています。

「適切な批判による発展」の流れがよく分かる本を紹介したいと思います。

この本では、芸術を時代背景や技術の進化と合わせて批判的に捉えることで新しいムーブメントがおきたり、人々の認識を広げてきていることがよく分かります。ぜひとも紙の本で読んでいただきたいです。

ここまで読んで

さて、ここまで読んで「なるほど批判的思考は重要なんだな!」「批判をするにはこうすれば良いのか」「明日からバンバン批判していくぞ!」と共感してくださった方も多いと思います。

がしかし、「批判的思考を持つ」のであれば、このnoteの内容に対しても批判をしていくべきではないでしょうか。(トラップみたいですいませんw)
例えば、「ここまでは共感できるけど、ここはイマイチ共感できない。なぜなら〜」や「こういうシーンでは批判ではなく否定の方が良いのでは?」や「批判でも否定でもない意見表明ってどんなのがあるだろう・・・?」と考えてみるのも良いかもしれません。それこそがクリティカルシンキングであり、議論の発展につながるのではないかと思います。

まとめ

最後に自分なりにこのnoteに批判的思考でツッコミを入れたいと思います。

そもそも批判的思考における価値基準は正しく共有されているのか?価値基準が異なる可能性も考えるべきではないのだろうか?

わたし

先ほどサッカーと野球の喩えの中で「スポーツ文化を広げるため」という前提を置きましたが、この前提は正しいのでしょうか?この前提は相手に共有されているのでしょうか?
例えば「スポーツ文化は本当に広げるべきなのか?」「スポーツ文化は広げるのではなく、深めるものではないのか?」「そもそもスポーツを文化として広げることはできるのか?」といった批判もできそうです。

日々の仕事やコミュニティ活動の中で「なんか話が噛み合わないんだよな・・・。」とか「なんかしっくりこないなぁ」と感じることがあれば、そこに存在する当たり前や前提を批判的思考で捉えてみることも良いかもしれません。

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