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すさみで「日々の政治」を読みました

先日の土日で和歌山県周参見(すさみ)に行って、エツィオ・マンズィーニ著「日々の政治」を読みました。

この企画は武蔵野美術大学の産学プロジェクトをキッカケに立ち上がったすさみの美術大学、通称すさびのゼミ活動としての企画です。


エツィオ・マンズィーニとは

今回の読んだ「日々の政治」の著者であるエツィオ・マンズィーニは、イタリアのデザイナー研究者で、サービスデザインやソーシャルイノベーションの分野で特に活躍されています。Amazonの著者紹介を引用します。

エツィオ・マンズィーニ
20年以上にわたり持続可能性のためのデザインの領域に携わる。近年は、持続可能な変化の主要な推進力となるソーシャルイノベーションに焦点を当てている。この観点からDESIS(http://www.desisnetwork.org)を開始し、デザインスクールの国際的なネットワーク、ソーシャルイノベーションおよび持続可能性のためのデザインの領域で活動している。
現在は、デザインとエンジニアリングの学校ELISAVA(バルセロナ)の特別教授、ミラノ工科大学の名誉教授、同済大学(上海)と江南大学(無錫)の客員教授を務めている。ミラノ工科大学では、持続可能性のためのデザインへの継続的な関与に加え、戦略的デザインやサービスデザインなどさまざまな分野でデザインの可能性を探求し、推進を続けている。
本書の前著となる『Design, When Everybody Designs. An Introductionto Design for Social Innovation』(MIT Press、2015年)は現在7カ国語に翻訳されている。

Amazonより

この本、そしてひとつ前の本「Design, When Everybody Designs」でも提示しているこちらの「デザインモードの展開」の図が有名かもしれません。

「デザインモードの展開」(サービスデザインの教科書, 武山 政直)

マンズィーニはこの図を踏まえて、誰もがデザイナーであるということ、デザインには問題解決と意味形成という役割があること、を説明しています。

日々の政治とは

今回読んだ「日々の政治」はマンズィーニの2冊目の著書で1冊目である「Design,When Everybody Designs」の内容を踏襲しつつ、さらに分かりやすくなっています。(1冊目が英語版のみだったので特に難しかったというのもあります。。。)

「日々の政治」では、「誰もがデザイナーである」を踏まえて、その「デザイン能力」や「デザイン能力を発揮する方法」、デザイン能力を発揮していない状況を「慣習モード」と位置づけ、そこからいかに脱却し自律的で自ら行動する「デザインモード」を実現するか、などが書かれています。

以下に、概要を紹介します。

誰もがデザイナーである

マンズィーニはまず「世界を僕たちの望む姿にしていくこと」をプロジェクトと呼び、そのプロジェクトを実行する能力をデザイン能力と言っています。そのうえでデザインを以下のように定義し、

デザインとは、「実用的な機能(問題解決)」と「意味(意味づけ)」の両方の観点から、ものごとのあり方を批判的に検討し、どのようになってほしいかを思い描き、その実現過程に使えるシステムとツールを身近に得ること

エツィオ・マンズィーニ. 日々の政治 

このデザイン能力は誰にも備わっていると言っています。しかし誰もがそのデザイン能力を発揮できているとは言えず、その状態を「慣習モード」と言っています。

慣習モードとは、規則に沿って行動し解釈する状態で、その規則は過去の活動によって積み重ねられたきた暗黙知です。慣習モードではその規則を疑うことはなく当然のものとして受け入れています。慣習モードにおいてはものごとは効率的・効果的に進むが、現在のVUCAの状況において人々は慣習モードを抜け出し、自分で考え、自分で行動することが必要である、すなわちデザイン能力を発揮する必要があると言っています。

全然関係ないですが、この本では「私達」のことを「ぼくたち」と訳していて、なんかいい感じです😊

ライフプロジェクトを持とう

誰もがデザイナーであり、誰もが持つデザイン能力を発揮して、自分の目的を達成しようと活動するときそれは「ライフプロジェクト」であるとマンズィーニは言っています。

しかしこのライフプロジェクトを実行できない、そもそもライフプロジェクトを実行しようとしない状況にぼくたちは置かれており、それが慣習モードであり、新自由主義によって引き起こされれています。ここでマンズィーニはドイツ在住の韓国人哲学者ハン・ビョンチョルを引用し「新自由主義の世界において私たちは、自己満足という幻想の下で、自ら進んで自分自身を惑わせ搾取している。それは自由の抑圧ではなく、むしろのその搾取が生産性と効率を最大化している」と言っています。

先に示した通り「人々が(自分自身の)ライフプロジェクトを実行できない理由は、個人の能力の欠如ではなく、他者によって提案されたライフプロジェクトを採用してしまうため」といって、新自由主義に対する権威主義的な反応を批判しています。

プロジェクト中心の民主主義

人々が自分自身のライフプロジェクトを実行していくことで、それらが重なり合って織り交ぜられることによって、プロジェクト中心の民主主義が実現します。ここでいう民主主義は「単に選挙に行って投票すること」を指すのではなく、「人々の議論と集団的な行動が結実するもの」と言っています。

ここでは「投票によって選ばれた代表者によって議論が進む代表制民主主義(間接民主主義)」ではなく、それぞれの人がそれぞれ異なる動機で集まった能動的な住民グループによって具体的な成果を生み出すことによって民主主義を支えています。

この民主主義を支えるキーワードとして「自由」と「平等」を挙げています。自由とは 皆が自分自身の考えを表現し、自分が望むような幸せを探求できることであり、 これは同時に「 人権」と 強く結びついている。 一方で、平等とは、経済的及び文化的資源の公平な分配を目指しており、ここでは同時に誰もが個人の自由の制約を認めると言うことも意味している。

自由と平等の探求は逆向きに作用し、 一方が増大すると、他方の減少が必然的に生じる。これは民主主義にとっては当然であり、政治アナリストのシャンタル・ムフは「(自由と平等の) 対立が常に白黒をはっきりさせない状態を作り出し、権力関係が常に問題にされ、最終的に行き着く勝利と言うものはない」と述べています。また、哲学者のジョン・デューイは「 民主主義とは個人の力が最もよく生かされる社会環境である。常に不安定な状態では、絶え間なく現実に適応し再解釈していくことが求められるからだ。」と述べています。

複雑な世界に向き合うためには、プロジェクト民主主義が必要である。それは公平で持続可能な生活のあり方に向けて実験できるラボであり、社会的に学びを獲得していくプロセスである。

今後

というわけで今回は「日々の政治」をざっくりとまとめてみました。自分自身でもまだまだ理解が浅いところがあるので、社内でもう一度読書会を実施したいと思っています。

また、すさみの美術大学では9月からエツィオ・マンズィーニ3冊目の著書である「近接のデザイン」を読んでいく予定です。こちらも楽しみです。

関連図書

今回の「日々の政治」に関連する本をいくつか紹介します。

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