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幸せも不幸も人生の「味」でしかない

「何故自分は生まれてきたんだろう」という疑問は誰もが一度は持ったことがあるのではないでしょうか。私たち人間は生まれてきた意味を考え続けてきました。しかし、誰もその答えは知りません。極端に言ってしまえば、私たちは「よくわからないけど生まれたから生きている」ということになります。

そして生き物の命は終わります。今後ips細胞など科学技術が進歩することで、その前提が覆る可能性があるとも言われていますが、重要なのは「生き物は死を本能的に恐れている」ということです。

当然ですがみんな「生きていたい」と考えているはずですから、そこには何か目的があるようにも感じます。それでも私たちには何もわかりません。想像することはできますが、わからないのです。生きることや死ぬことの理由を定義付けする宗教も「そんな気がする」という想像が大きくなっただけです。私は宗教への信仰心を否定する気はありません。あまりにも恐ろしいことがあって(死ぬこと)、その恐怖を和らげるためのものなら意味はあると思っています。

私が言いたいのは「人はよくわからないが、恐ろしく感じるものに近付いている」ということです。そしてこの恐怖は残念ながら、完全に克服することは不可能でしょう。生き物としては、それが正常だからです。
中には「人生が楽しくない」と思っていて「生きているのが辛い」とくるしんでいる方もいるかもしれません。そんな状態の人でも死ぬのは恐いのです。
つまり始めたからには簡単には下りることのできないゲームを、半ば無理矢理開始されたような心境の方もいるかもしれませんね。

ネガティブな話になってしまいましたが、もちろん「生まれてきてよかった」と感じるような幸福感を体験することもできるため「生まれてきたことが不幸」ということではありません。

肝心なのは「どのように生きているのか」ということです。我慢ばかりしていて毎日大変な思いをしていれば「自分は何のために生きているんだろう」となりますし、自分のやりたいことをやって幸福感に満ちていれば「何で生きているんだろう」なんてネガティブになるはずがありません。

人生は少しでも「自分の意思」に沿って生きていくべきです。働くのが普通だとしても、自分が心から働きたくないの思うなら、ニートになっても良いのです。学校のクラスメートとの付き合いが辛ければ、関係を切っても良いのです。
しかし、それが簡単にはできません。周囲の反応や孤立が恐いからです。

20代後半くらいになれば、働いていないと「あの人なにやってるの」と白い目で見られますし、クラスで孤立すればイジメの対象になってしまうかもしれません。
どうしても「自分の意思を妨げようとする」環境が誰にでもあるでしょう。

どうすれば「周囲は関係なく自分の意思」のままに生きていくことができるでしょうか。
それは「私たちの生まれたから意味」を考えると少しだけわかります。前述のとおり、私たちは自分が生まれた意味がわかりません。
それならば「周囲を気にする理由」とは一体何なのでしょう。恐らく「周りと一緒じゃないと不安」というところでしょう。

みんなと同じでないと不安という心理は理解はできますが、どうせいつか終わってしまうというのなら過度に不安になる必要もありません。開き直って「どうせ何で生きてるのか理由なんてわからないんだから、不安になる理由もない」と、自分が生まれた意味がわからないということを逆に利用するのです。

この「どうせ生まれた理由なんてわからない」という考えは、様々なところで自分を支えてくれます。
重要な仕事を抱えていて失敗ができないとプレッシャーを感じても「失敗しても成功しても同じ」と精神的にバランスを保ちやすくなります。もちろん仕事などの場合は集中力は求められるでしょう。
開き直るということは、失敗することを肯定するのではなく、失敗も成功も人生の一部でしかなく、私たちが「生きる」ということとは関係がないということです。
私たちは失敗しても成功しても生きるしかないのです。

もしも「生きるのが辛い」と人生を悲観している人がいるとしたら、きっと理由があるはずです。
「人付き合いが苦手」とか「家庭環境が劣悪」という人もいるかもしれません。そういったことさえも、大したことではなく、人生の「ちょっとした味」のようなものです。

人生の良し悪しではないのです。みんないずれは終わるのです。どのような道(人生)を歩むのかは個人差はあっても、終着点は同じなのです。
そう考えれば、自分が悩んだり苦しんだりしていることが「意味のないこと」と思えてくるのではないでしょうか。
悩む意味なんてないとわかるはずです。

これは非常に抽象的な話で理解が難しいと思う方もいるかもしれませんね。ただ「生まれた理由」がわからないなら、人生で起こる出来事の理由だってわかりません。
わからないことに、あれこれ悩むのではなく、自分の意思に耳を傾けて、少しでも「自分らしく」生きることが生まれた意味だと私は思います。

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