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休止期間明けの所感。

ご無沙汰しております。活動休止中のクラカノコです。
なんやかんやで今年初めてのnote投稿です。
ずーっと体調が悪かったんですがようやく落ち着いてきたので、明日から本格的に活動再開しようと思います。
そして、この2週間と少しの休止期間で、様々な気づきや発見があったので、ざっくばらんに綴っていこうと思います。
メモをまとめた感なので接続詞など曖昧で読みづらいかもしれませんが、以下よろしゅう〜。

まず、NFTを初めてからというもの、こんなにまとめておやすみしたのは初めてです。
一昨年の11月から、毎日Twitterを更新して作品を制作して、新しいコレクションを制作したり、あっという間に駆け抜けました。
休止に至ったのは持病の片頭痛の慢性化により断薬が必要になった為(ほぼ寝たきり生活)ですが、せっかくの機会なので、頭が痛くない時もあえてTwitterから離れるということをしてみました。
自分には絵しかないし絵を描かないと死んでしまうような人間だからこそ、離れて見えてくるものは、真意のような気がしたから。

初めの頃は、

初めは絵が描けない焦り、常につきまとう痛みに対するストレス、起き上がることもできず生活思考ともに廃人化していました。
ですが徐々に病状が安定し冷静になってきた時に、私は最近すごく狭い世界に閉じこもっていたのだと気がつきました。

界隈の価値基準が全てだと思うこと。長いものに巻かれること。私には絵しかないのだからしがみついてでも離してはダメだという強迫観念。
どの世界も需要と供給で成り立っていると言いつつ、NFTは投資側面もありその辺はちょっと難しいし、なんとなく、無責任に流行に身を任せるべきだと思って動いてしまう時があって。
それが良いとか悪いとかの話ではなくても、ともかく作家としては、あまりにも思想がつまらない保守的方向へ傾倒しすぎているなぁ〜なんて漠然と気が付いたり。
問題はそれに気がついていなかったり見て見ぬふりをしていたこと。
絵を描いている意味がすり替わってしまいそうで、絵を描いているのに後悔する人生を歩んでしまいかけているような錯覚に陥って、そっと怖くなった。

私の絵を描く理由は、もっと単純明快で、なのに薄紙をはげばはぐほど、どろどろと厄介なものであったはずなのに。
汚れた悲しみを圧倒的な美しさで塗り固めた、紛い物のように扱われる圧倒的本物なのに。
最近は、制作が作業になってしまっている時間が増えている気がする。
私はもっと私の作品の精神性に責任を持っていたはずなのに。
対価としてお金を貰う行為に慣れてなくて、勢いと想いの強さと頑固さで突き進んできたけれど、NFTで生活できるようになれればなれるほど、自分がお金の為にNFTをやるようになるんじゃないかと、自分自身が怖くなる。
ちゃんと、行き当たりばったりで進んできていることをもっと自覚しなければ。
ブロックチェーンに刻むところから、世界中の人間の脳内に私の絵を刻めるくらい、BIGになってやるという野望とか。
なんとなくなんかで生きて、野心を捨てたらやっぱりきっと後悔する。
この世の正攻法をなぞるのなんてとっくにやめて引きこもってるくせに、綺麗なままでいられるわけないのに。

Twitterへの気付き、

1週間ぶりに、久々にTwitterを見た。
たくさんの作品があって、仲良くして貰っているクリエイターさんの新作がたくさんある。みんなそれぞれの思いを抱えて頑張っている。TLは混沌としてるけど、概ね全てが美しい。
既に懐かしいと思ってしまうのは、界隈の流行が早いからだろうか。それとも自分自身の焦りが無くなるくらい、そこから離れてしまったからだろうか。
わからないけれど、とにかくキラキラしていて、私にはとっても眩しかった。
手放した瞬間に見えるものってやっぱり真意だな。

そういえば、『わからなくていいよ』と私はよく言っていた。
本当に、誰もわかってくれなくてよかった。私を護ってあげられるのは私で、私を攻撃していいのも私だけ。
そうして自分を全部自分の力で操ってしまえるのだと錯覚して、いつも殻に閉じこもる。それは私の生存戦略でもあって。
人を傷つけたくなんかなくて、傷つけるつもりなんて1mmもなくて、でも私は時に偏った思考を持って自分を護ってきたから、その拍子に傷つけてしまうんじゃないかって怖くて、Twitterスペースでも全然、当たり障りのない話しか話せなかった。
クソみたいな魂に見えるかもしれないけれど、でもクソみたいな取り繕いをしているのだから、それはもうしょうがない。
でも、そんなのって、やっぱり私が苦労してまで生きるは意味なんてなくて。
だってこんなに痛くて、毎日痛くて意識が混濁するほど耐えてまで、挙句、自らの手で自分の存在をモブにしてまで生きて、そうして人生終わるのとか、やっぱり全然割りに合わない。
私はきっと性格が悪いから人一倍人を傷つけないようにしないといけなくて、誰かを傷つけるくらいなら私は損してもいいって思って生きてきたけれど、それは私の絵に責任を持たないのと同じだ。
心中してしまう覚悟を持って絵を売る。
それはついた値段の大小より、払われた対価を払った人の意思を尊重するということ。

制作を1週間やめてみた結果、

やるべき作業や連絡ならいざ知らず、”制作のTo doリスト”とかいう愚かしいものを作っていた。
戦略もろくに練っていないのに、バレンタインがあるから描かなきゃ、とか。ここ半年くらいはずっとそうして絵を描いてきた。
生活のため、人のため、自分のため、なんて脊髄反射のような感覚で行動を決める。なんて軽い思想。
だから、休止してから少しして、制作をちゃんとやめてみた。
はじめは焦りから、ペンを持ちたくなるのを我慢した。
それも2、3日すれば、自然に半年ぶりにゲーム機を手に取っていて、なんだか涙が出てきた。
”私は持病があって人より時間がないからゲームなんてしてはいけない”と、ずっと絵を描かなければと無意識に律していた。
その頑固さはあまり褒められたものじゃない。
もちろん、何かを勝ち取るためには寝る間も惜しんで絵に没頭すべきだけど、ずっと絵を描くことで思考停止して、ただ楽をしていたという事にそっと気が付いた。
結局は私はAIみたいに、心が伴わない技術だけの絵描きになるところだった。
頭が痛いのはめちゃくちゃ嫌だけど、足を止められる環境があって、こればかりは病気に感謝したり。

作家として世界への態度、

わたしは全然真面目じゃないのに、真面目に生きてるような振る舞いをしている。
絵を見てくれる人が少なくて、せっかく見てくれる人を一人でも失いたくないって思っていたけれど、そんな風に振る舞ったって結局1mmも心と心は近づかないし、自分は綺麗なところにいるまま、何かを表現したって伝わらない。
身の保身ばかり考えて、取り繕っている。
わたしはちやほやされるために絵なんて描いてない。
ただ、絵を描く行為が好きなだけ。
本当は絵画とかよくわからなくて、芸術の真似っこで、でも絵を描いていくという競技が好きで、それを戦うって言えるのなら、私は一生闘っていくつもりでいる。
昨今、AIイラストとか出てきてるけど、私より色使いが上手い人も線画が綺麗な人も描写が緻密な人も簡略的にキャッチーに描ける人もたくさんいるけど、私の絵を1番うまく魅力的に美しく描けるのはわたしだけで、それは誰にも奪われないし奪えない。
だから、ビクビクせずに堂々と描いて描いて描き通してやろうと思う。


総括、

わたしは態度がまだまだ図々しくないので、もっと図々しく、わがままな性格なので、もっとわがままに、あと、性格悪いくせに誰も傷つけたくないとかやっぱりちょっと思っちゃってるけど、自分を曲げてまで他人を守るのはやめるとか、そういう人間として初歩的な話だけど、色々と成長してやろうと思うので、生温かい目で見守ってもらえると嬉しいです。
それから、たくさんたくさん、失敗したいです。
その分、たくさんたくさん成功してやります。絶対に。
一生に一度の大勝負も、今生では10回くらいはやりたいです。
私の手相は両手ともにマスカケ線で、いちばん波乱万丈と言われている手相なので、占いとかあまり信じてないけど割と当たってる気がするから信じています。
つまるところ、とにかく、毎日背筋を伸ばして、日々少しだけ視座を高めて、作品だけではなく、わたし自身にも真摯に生きます。
あと、痛い時は痛い。
これはもう、怒ったって喚いたって痛いものは痛い。
では。

おしまい。


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