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ある日の日記②

 友人が多いか、という問いには数多の大人を悩ませるものがある。

学生の頃は何となく近くにいる人や、視界に入る範囲の人たちを友人と言っておけばよかった。

ところが社会に出て、身寄りのない土地に単身生活するようになると、次第にその定義をどこに置いたらいいのかわからなくなってくる。

大人は見て見ぬふりを生活の所作として身に着けてきているものだが、それは自分の内面についても同じだ。

自分が何人の人間と縁を繋ぎ続けているか、よほどの充実した生活を送る人間でもない限り、直視をするのはできれば避けていたいものである。

 通知の切ったLINEのメッセージに偶然気づいたのは前日のことだった。

八王子に住む友人からのもので、明日秋葉原の方まで来るから会わないか、という誘いであった。

断る理由もなければ行く理由もない。

答えを返す前にそんなことを考えてしまう自分は、やはり人付き合いに向いていないんだなと返信をするほんの一瞬の間にも考えてしまう。

私の中に少なからずあった、もう少し外の世界に足を向けようという意識の高い考えが、「いいよ」と短い返信を送っていた。


 待ち合わせの3時に向かおうとしたところ、30分~1時間ほど遅れると連絡があった。

大学でできた友人は大体こんな調子だった。

きっと遅れる理由も大したものではないのだろう。

いつものことだよな、と思いながら4時につく電車を適当に調べて家を出た。

秋葉原について、まだ時間がかかるという連絡を目にした私は、古本チェーンに向かった。

秋葉原も古本チェーンも良く訪れるところだが、秋葉原の店舗に足を運んだのは初めてのことだった。

秋葉原という土地が、古本屋に立ち寄るという目的と一致することがなかったのだと思う。

初めて入った店は鰻の寝床のようで、通路での往来にも苦慮するような空間であったが、6階建てでジャンル毎に各階で区切られた棚はなかなかの品揃えですぐに私の心をくすぐった。

文庫、新書、ハードカバー、漫画と巡っていき、山田詠美の『姫君』と上原隆の『胸の中にて鳴る音あり』を買ったところで友人と合流した。

彼の手には、東京ドームシティで開催されていた中村祐介展の袋が見える。

「展示が見終わらなくて遅れたよ」

悪びれることなく彼は言った。

30分ほどの待ち時間がまったく気にならず、たまに用事で秋葉原に来る時はここで古本を漁ろうと私は考えていた。

 当初の予定より1時間押していたが、私と友人は会話もそこそこに「腹が減った」と言い、私の要望でクレープ屋へ行った。

細身だが背の高い私と、ガッチリとした体格の友人が二人でクレープ屋に並ぶ様は想像するだけでも滑稽だ。

楽しそうにおしゃべりをしながら食べる女性二人と少し距離を取った壁際で、私たちはクリームたっぷりのクレープを口にした。

食べ始めてようやく、私たちは会わなかった半年ほどの時間を埋める会話を始めた。

趣味のこと、漫画の話、年末にコロナに罹患したこと、クリスマスと年末年始の過ごし方、共通の友人たちの現在…

いくら私が子どものように食べるのが遅いと言っても、5分やそこらのごく短い時間のはずだった。

それでも互いに伝えることを伝え切った気がしたのは、ここまでに積み上げてきた時間の成果だろうか。

共通の友人たちの話はほとんど知らないものだった。

結婚した人もいるという、もう年単位で会わない彼ら彼女との繋がりと時間の流れを、目の前の彼から聞きながら空に見ていた。

 

 それから彼に付き合ってカードショップに行って懐かしいカードを眺め、併設されたラウンジで彼の持ち物を使って遊んだ。

デジタルの方ではインフルエンサーと言われるくらいに目立つことをしているくせに、未だにカードゲームに抵抗感を持っている自分を見つける度に苦笑いを浮かべている。

もうじき30歳になろうというのに、と思う一方で、20年以上も遊んできたものには未だ愛着を切り離せないのだ。

きっとそれは40になろうと50になろうと、機会を持ち続ける限り変わりないことなのだろう。

あれこれとつまらないことを考えながらも、カードの束を操る手は馴染んでいて、壮麗なイラストを眺めると自然と顔は綻んでくる。

友人が予約を入れていた店に移動するまでの1時間、その日一番流れの早い時間を過ごしていたであろうことは確認するまでもなかった。

 チェーンの焼き鳥店はビルの6Fにあった。

秋葉原を一望…とは言わないまでも、案内された窓際の席からは同じ高さの並んだビル街が空を埋めているのが見える。

前の職場は田舎の6F建てのビルで、自分の働く5Fの窓や洗濯機の置かれた屋上からよく外を眺めていた。

いつまでも帰れない職場で窓越しに見える山々や星空を1分、2分と見つめ続けて、終わりのない時間を消化していたことを思い出す。

ネオンの光と喧騒が窓を貫きそうな空間で、私たちは狭い陣を取って飲み始めた。

クレープを食べながらした話の延長戦だった。

たった5分ばかりの間にした話を、薄めたのか濃くしたのかわからない方法で私たちは2時間繋いだ。

繋いだなんて書き方は無理をしているようだが、違う。

私たちはいつもこうして何ともない時間をさも意味あるげに過ごして、それを時間の経過で忘れて繰り返しているのだ。

彼の話す友人の愚痴も、今度はじめてのデートに行く話も、見せてもらったKindleのリストにあった少しいやらしい本のタイトルも、すべて右から左へ抜けるように通り過ぎていった。

私の話すくだらない冗談も、転職をしようかという重さのわからない相談も、ふと目についたものから語る蘊蓄も、すべて宙に溶けていった。


 食べ放題や飲み放題が不要な歳になってきていた。

大食漢の彼は食の細くなった私よりも多く飲み食いして、私より1000円多く会計を支払った。

それでも安上がりなものだ。

2軒目や3軒目の案を考える必要もない。

ジョッキで3杯飲んだ体は少しだけあたたかくなっていて、マスクに反射する息が帯びるアルコールのにおいが夜の闇に溶けような茫漠さから私を引き戻していた。

だんだんと空いていく電車の中で、頭の中をきのこ帝国の『クロノスタシス』が反復する。

コンビニエンスストアでスリーファイブオーエムエルの缶ビール買って…

最寄りのホームについて、誰にも聞こえない声で呟くように歌詞をなぞる。

歩く速度をビーピーエム・エイトスリーに合わせることを意識して、翌日が祝日の静かな夜の中を家に向かっていった。

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