バッドエンドと憂鬱の引力

最近まじめに小説を書こうと思い立って毎日いろいろと書いてみて、今さっそく壁にぶち当たっている

暗い

湿地の岩をひっくり返したみたいな、とにかくじめじめして暗い話を書いてしまう

じゃあ暗い話は書かなきゃいいじゃんというのは正論だけど、ことはそう簡単にいかないわけだ

そもそも小説を書くという行為は「ストーリーを書く」という行為とは似て非なるもので、ストーリーを書くだけなら暗いものを取り去るのは簡単だ

ストーリーはあくまで結果の総決算なわけなので、マイナスな結果は予め取り払うことが出来る

誰がどこへ行き、何をして、誰と出会い……ということをつなげていったものがストーリーだから、例えばヒロインが殺されるなんて過程があっても、ストーリー進行に支障がない限りそれを除去することは容易い

一方で小説を書くことは、自分自身や、社会、登場人物とかと向き合ってごちゃごちゃ考えるといういわば「過程」の中に潜んでいるものなわけだ(そうやって尊敬できる人の本に書いてあった)

その過程を乗り越えた先にバッドなエンド、マイナスな結果があったとしても、それを取り去ると「過程」ごと吹っ飛んでしまうので小説として機能しなくなる

またまた『人魚姫』で考えてみるとどうなるか

ストーリー的には「人魚姫は王子様と結ばれず、泡となって消える」のを改変することに問題ないし、実際にそうした結果がディズニーの「リトルマーメイド」のアリエルだろう

小説(童話だけど)としてみた場合、人魚姫が泡にならないってことは彼女の「自分のために王子様を殺さないという決断」を無下にするってことだ

『人魚姫』において重要なのはやっぱりこの「決断」についての過程だろうし、泡になるのはあくまで結果でしかない

「王子様を殺さなかったけど助かりました!」って、じゃあ今までの話なんだったの???? ってなるでしょ

とはいえこの結末がある限り『人魚姫』は悲しいお話になる。しかしこの結末を覆すことはやはり過程をも認めないということで……

そういうわけなので「暗い話は書かなきゃいい」というのは一筋縄ではいかない

過程の方から結果は否応なく捻出されるもので(そうするのが作者の仕事でもある)しかし厄介なことに過程からどんな結果が出るかを予測することはできない(予測できたらそれはストーリーを書いただけだ)

まったく暗い話を書くつもりなんてなくっても「できあがったらそうなっていました」ってことは往々にしてあるわけなのだ

ただ、解決策はないでもないと思っている(そしてそれを頑張って実行しているところです)

まずイメージして欲しいのは、小説を書く時に作者はキャラクターの内面に入り込むわけだが、これは海女さんの仕事に似ているってことだ

海とはキャラクターで、この深さや広さは最初に作者が決めるのだけど、一度作ると勝手に広がっていってしまうから好きに中身を取り出すことはできない

そして水圧や水流に負けずに海の底にある様々な幸を拾って持ってくるのと同じように、作者はキャラクターの海に潜って心情の動きや言葉を拾ってくる

重要なのは、たぶん、この拾ってきた海の幸全部を食おうとしないことだ

ざっくり言えば、思いついた言葉を全部文字に起こしちゃダメなんだろうってこと(たぶん超超当たり前のことなんだろうなあ、無知は罪だった……)

作者としては、頑張って海の底から拾ってきた言葉だからどれも愛着があるわけで、全部をそのまま地の文(特に一人称視点)やセリフにぶちまけたくなる

けれどこの言葉たちは、そもそもキャラクターの心の動きから拾ってきたもので、やっぱり人の心の動きってのはネガティブな周波数のものがすごく多い

そういうネガティブな素材を知らず知らずに惜しみなく使った結果として、ぼくら初心者の小説はしばしば破滅的で絶望的な雰囲気を醸し始めて薄暗いバッドエンドに突き進んでしまうんじゃないだろうか

もちろんそうした文体が魅力的な場合も多いけれど、何でもかんでも巻き込んで破壊していくハリケーンみたいな思念を制御するのはかなり高等な技術だろうし、その技術に自信がないうちは手を出さないほうがいい気がする

それに暗い小説を書くと、読者はもちろん作者も暗い気持ちになる

小説を書くってことは(特にそれが長ければ長いほど)体力と気力を消耗する作業で、やっぱりあんまりネガティブな状態だと一瞬で鬱々とした状態に突っ込んでしまうだろう

もちろん精神的に余裕が無いほうが創作は捗るしそういう経験はある、けど、恐れ多くも作家を目指して作家として生きていことするなら、自己のメンタル管理も大事なことだろう

ぼくはなるべく明るくて、さっぱりしたものを書くように努力したい

実際さっぱりしたものを書くと気持ちがいいものだ

おわり

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