第3回:メンヘラみたいになってしまう・他

くだらない悩み相談室の第3回です。
そろそろ答えるか、と思ったので答えます。みなさんいつもご相談ありがとうございます。これで今日までに受け取った相談は全て返せます。

今までなんともなかったし特に何かあったわけでもないのに、恋人から少し返信が来ないだけで不安になったりGPSをつけようとしたり完全にメンヘラみたいになってしまっています。気にしすぎるのも辛いので辞めたいです。どうすれば治ると思いますか?

(20代)

うーん。難しい質問ですね。
僕もとても心配性の人間で、例えば恋人が飛行機に乗るとなると出発した空港と目的地とおおよその離陸時刻から乗っているであろう便を特定しFlightradar24で無事に到着することを確かめているようなレベルの、メンヘラというかなんというか、強迫観念のようなものを持っているのですが。冷静に書くと頭がおかしいですね。

そういうのってなんだか心が持たない感じがして辛いですよね。恋人が好きであればあるほどそうなってしまったりするし。

なので僕もどうやったら治るかというのがわかりません。ごめんなさい。精神科に行ったら何か糸口がつかめるかもしれませんが。

などと、僕はどちらかというと恋人の身を案じてという感じの心配の仕方をするので、そういうニュアンスでこの質問を受け取ったのですが、もし「恋人が浮気しているのではないか」というようなことで「少し返信がこないだけで不安になったりGPSをつけようとしたり」しているのならば、もう少し恋人とその恋人を選んだ自分自身のセンスみたいなものを信用してもいいのではないでしょうか。それで浮気されていたらロクでもない人だったということです。気にすることもありません。次はもっといい人に出会えると信じましょう。

彼女いない僕へクリスマスの過ごし方を教えてください

(10代・男性)

僕ももう生まれてから21回目のクリスマスを迎えようとしていますが、今までで一番印象に残っているクリスマスの話をします。

それは高3のクリスマスで、センターまであと少しという時期で、家で適当に勉強でもしながら過ごすつもりでいたところ、「家でパーティをする」というので親から晩御飯のお金を渡され、家を追い出されました。僕はそのとき恋人もおらず、周囲も大学受験直前で気安く誘える友達もおらず、あまりにも虚しくなったので電車に乗って川を見に行きました。

誰もいない、真っ暗な多摩川の河川敷で缶コーヒーを飲みながらぼんやりしていて、本当に孤独だなとしみじみ感じたのですが、若者は、特に男は、そういった孤独をたまには嘗めることが必要なのではないかと思っています。

そんな風に孤独を噛み締めていたら突然野良猫が2匹くらいやってきてにゃあにゃあと可愛かったのも良い思い出です。

というわけで、おすすめのクリスマスの過ごし方なのですが、恋人がいる者たちは2人で過ごし、いない者たちもなんだかんだで友人と過ごしたりバイトに行ったりして人と接することが多い日だと思うのですが、そんな中であえて1人ぼっちで、海辺や川辺など人のいない場所で雄大な自然を眺める、というのをお勧めします。そういった孤独を嘗めた人間にしかわからない境地がおそらくあります。僕もまだ孤独度合いが不十分なので本当に孤独な方からするとまだまだということになるのでしょうが。

もずく納豆を食べると、便のキレが悪くなります。食べるのをやめた方が良いですか?

(30代・男性)

納豆が食べられないのでわかりません。無知で申し訳ありませんが、まずもずく納豆って何? というレベルなのですが、便のキレが悪くなっても食べたければ食べる、それほどまでの執着がないのであれば食べない、という話になるでしょう。

要は、もずく納豆か、快便か、それらを天秤にかけて選び取る、ということになります。

年齢を投稿していただいた通りに受け取れば人生の先輩にあたる方にこんなことを言うのは恐縮ですし、十分お分かりのことかと思いますが、人生というのは常に選択の連続で、それは「何かを選ぶ」ということであると同時に、「それ以外を選ばないことを選ぶ」ということでもあります。お昼ご飯を何にするか、靴下を何色にするか、といった日常的な事柄から、どこの大学に進む、どこで働く、家を買うかどうか、この人と結婚するか、など人生の転機となりうるライフイベントまで、人生は選択する機会に満ち溢れています。

どちらを選ぶにせよ、後悔のない道を歩むべき、というような、月並みなことしか私には言えません。

自分で選択をすることが難しいので他者に相談しているのかもしれませんね。その場合のお答えは明白で、私ならもずく納豆を食べるのをやめます。なぜならもずく納豆に対する思い入れがゼロだからです。

もし、本当にどちらかを選ぶのが難しいというときは、神頼みです。理由や手段はなんでもいいからとにかく決断することが大事で、人生を上向かせるひとつの方法だと考えます。サイコロの偶数の目が出たらもずく納豆、奇数の目が出たら快便、といった具合にして、サイコロを振って決めれば良いのです。それで出た結果にやはり納得がいかないというのであれば、あなたはそうでない方を心中では求めているのではないかと思うので、その気持ちに素直に従えばいいのです。

私は中学生の頃から中島みゆきさんの事が大好きなのですが、私は中島みゆきさんの作るような暗い音楽を好みそうな雰囲気をしていません。なので、驚いたり茶化されたりする事が恥ずかしくてこの事を知人には伝えられずにいます。
(好きな事を公言するのが恥ずかしい、というのは中島みゆきさんに対して失礼だとも思っているのですが…)
このような場合、他者に茶化されるリスクを背負ったとしても中島みゆきさんが好きなことを知人に伝えるべきだとくらげさんは思いますか?

(20代・女性)

まず相談の前置きで私にメッセージをいただいたのですが、それに対して「ありがとうございます」とお返事をしておきます。

本題ですが、私も幼稚園の頃中島みゆきさん(以下敬称略)を愛好していて、アムラー直撃世代で安室奈美恵が大好きな母には中島みゆきが全く受け入れてもらえず傷ついた覚えがありますので、相談者さんの気持ちは少しはわかるつもりです。私は決して大ファンというわけではないし、というかむしろ有名な曲を今でもいくらか聴くくらいなのですが。

中島みゆきは偉大なアーティストです。それは今更私が言うまでもなく、例えば高橋源一郎のデビュー作『さようなら、ギャングたち』において、主人公の「わたし」が恋人に「偉大な詩人の名を取って」、《中島みゆきソング・ブック》と名付けたことなどからも明白です。

私からすれば、この国に生まれて中島みゆきを聞いていないことの方が余程恥ずべきことであり、茶化されるべきことであり、もしあなたが「中島みゆきさんのファンです」と表明したためにあなたを茶化すような人間がいたらそんな人間とは付き合わなくても良い、と思います。むしろ中島みゆきなんて聞いていなさそうな人が中島みゆきを好んでいたら、私などはそのギャップに非常に好感を覚えてしまうだろうなという気がしています。

結論としては、中島みゆきに限らず、何かを好んでいることで自分を茶化してくるような人間とは、どうせ長い付き合いにも深い付き合いにもなるはずがありませんので、気にしない方がいいです。中島みゆきファンを表明することはリスクなどではなく、そういった人間を判別できるというベネフィットです。

また、それを好いていることを表明すれば、周囲の同じことを好いている人間があなたに興味を持つ可能性が高まり、同好の士とたくさん知り合えるのかもしれないのです。そちらの方が余程素晴らしいことと私には思えます。

おわりに

さて、ようやくいただいたご相談のすべてに回答し終わりました。

ストックがなくなってしまったので、くだらない悩みをどしどし応募してくださればと思います。気が向いたら返します。

応募は以下のフォームより受け付けております。

すっかり年の瀬で本当に寒くなりましたが、それではどうぞご機嫌よう。

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