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ブッダの瞑想法−−10日間の心の手術 2009/09/16〜27[day0]

■9月16日(水)

 16時半ごろ、JR外房線の茂原駅に降り立つ。バスターミナルに出て、いすみシャトルバス乗り場を探すと、尼さんの姿をはじめ、大荷物を持った人たちが目に入った。これから、ブッダの瞑想法といわれるヴィパッサナー瞑想の修業に向かう人たちだ。

 2006年秋から翌春にかけて四国のお遍路を歩き、それをきっかけに「信仰とは何か?」という疑問が続いていた。神の存在を盲目的に信仰し、いつか神様や仏さまが自分を救ってくれると依存することなく、どこかの教団に財産を搾取されることもなく、自分自身の得を積むために、通りすがりのお遍路さんにお接待を行なう四国の人たち。

信仰とは、自分の中にあるものではないだろうか?

 そんなことを考えながら、仏教・キリスト教・イスラム教・ヒンドゥー教などの関連書を読みあさっていた。そして今年の7月に、インド占星術のウマ師に鑑定してもらうことになった。43歳になったあとは「スピリチュアルな活動をすることでしか幸せは得られない」と言われるが、いきなりそんなことを言われても、何をしていいのかわからない。
 スピリチュアルや心理学関係の本まで範囲を広げるうちに、『日々是修業−現代人のための仏教100話』(佐々木閑/ちくま新書)で、ブッダの原始仏教に出会った。ゴータマ・シッダッタ(パーリ語読み。シッダルタはサンスクリット読み)は「人が生きるこの世界は、どのように成り立っているのか」という問題を考え続け、その答えにたどり着いてブッダ(悟った人)になった。

「この世には、超越的な力を持つ絶対者など存在しない。すべては、原因と結果の間に成り立つ法則性で動いている。私たち自身の肉体も心も、その法則性に沿って存在しているのだ。だから、生きる苦しみを消し去るためには、外の絶対者にお願いしても意味がない。世の法則性を正しく知ったうえで、それを利用したかたちで自分の心を鍛練していく、それが苦しみをなくす唯一の道だ」

『日々是修業−現代人のための仏教100話』

 ゴータマ・シッダッタが悟りを開くために使った修業方法が、ヴィパッサナー瞑想である。じっと座って精神を集中する瞑想は苦手だと思っていたら、そのあとで入手した『人生の流れを変える瞑想クイック・マニュアル −心をピュアにするヴィパッサナー瞑想入門』(地橋秀雄/春秋社)によれば、歩いたり、家事をしたりといった日常の動きのなかでも瞑想ができると書いてある。これならできるかもしれない−−。そう思った僕は、すぐにインターネットを検索し、何も考えずに日本ヴィパッサナー協会の10日間コースに申し込んでいた。
 ヴィパッサナーは、インドの最も古い瞑想法のひとつだという。この瞑想法は2500年以上も昔、インドで、人間すべてに共通する病のための普遍的な治療法、すなわち「生きる技」として指導されてきた。パーリ語で、ヴィは「ありのままに・明瞭に・客観的に」、パッサナーは「観察する・観る・心の目で見る」という意味。つまり、「ものごとをありのままに観察する」のが、ヴィパッサナー瞑想ということになる。

 茂原駅からシャトルバスに乗って約20分、工業団地入り口でバスを降りる。バスに乗っていた約12名の参加者は男女半々くらい。なかには何度か瞑想コースを体験している人もいるようだ。不安な心持ちで迎えの車を待ち、2台の車に分乗してコース会場に向かう。
 バス停から車で数分走り、ヴィパッサナー瞑想センター「ダンマーディッチャ」(パーリ語のダンマと太陽を意味するアーディッチャを繋げた造語)に到着。天井の高い大きな建物があり、一部はキッチンになっていて、残りが男女別の食堂になっているようだ。広々とした草地にはテントが並び、手前が男性用テント、奥のほうが女性用らしい。男女各15張りくらいあるだろうか?
 S.N. ゴエンカ氏が指導するヴィパッサナー協会は世界各地あり、完全な非営利のボランティア精神で運営されている。日本では1983年に設立され、主に京都の瞑想センター「ダンマバーヌ」でコースが行なわれていた。今回訪れたダンマーディッチャでのコース開催はこれで2度目らしく、建物ができるまでは、テント宿泊のスタイルで行なわれるそうだ。
 受け付けを済ませたあと各自のテントが割り振られる。ドーム型テントの上にタープ(屋根テント)もかけられ、テントの床には厚い発泡スチロールが敷いてあるので、快適なキャンプ生活が送れそうだ。
 19時半ごろに簡単な夕食を済ませたあと、瞑想ホールで最初のレッスンが始まった。クッションの上に名前が書いてある紙が置いてあり、自分の席が決められている。これから毎日、同じ場所に座ることになる。
 主な指導は、S.N. ゴエンカ氏の英語と日本語通訳の声がMDで流れるように進む。最初は参加者の心得や瞑想することの意義、10日間の過ごし方の注意点などを聞く。明日からは、朝4時に起きて、夜9時半に寝る生活が始まる。瞑想のコース中は、次の五戒を厳格に守らなければならない。

 生き物を殺さない
 盗みを働かない
 性行為を行なわない
 嘘や悪い言葉を使わない
 酒・麻薬の類を摂らない

 以前にコースを取った人は次の三戒も守ることが求められる。

 正午以降食物を摂らない
 踊りや歌などの娯楽を避け、装身具などで身を飾らない
 ぜいたくな高い寝台で眠らない

 またコース開始から10日目の午前10時まで、「聖なる沈黙」を守らなければならない。聖なる沈黙とは、身体・言語・精神の沈黙を指し、身体によるジェスチャー、目を合わせること、書くこと、外部との連絡をとることなど、いかなるコミュニケーションも禁じられる。瞑想はただ独りで行なうのだ。もちろん男女問わず体の接触も禁じられ、コース中は男女エリアは区別されている。

 そして、呼吸を使って精神を集中するアーナーパーナ瞑想の方法を教えられた。鼻の穴に入ってくる息と出て行く息に意識を向ける。ところがすぐに考え事が始まってしまい、なかなか鼻の呼吸に集中できない。
 人間の体は、それぞれ自分の体だと思っているが、手足などは意識で動かせても、心臓や臓器は勝手に働いている。つまり、体の多くの部分が自分のものではないのである。もし自分のものとするならば、しばらく心臓を止めることができるだろう。しわが増えるのが嫌だとか、白髪にならないようにとか、肉体さえもコントロールできるはずだ。そういう意味で呼吸も無意識に動いている体の機能だが、唯一、意識でコントロールできるのである。呼吸を観察することで、体と心の反応を確かめて、自分の心に近づこうという考え方らしい。
 1時間ほどで瞑想時間は終わり、21時過ぎに就寝。明日から本格的なコースが始まる。はたしてどんな10日間が待っているのだろうか?

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