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ブッダの瞑想法−−10日間の心の手術 2009/09/16〜27[day2]

■9月18日(金)

 朝4時に起きて、4時半から瞑想開始。昨夜の指示どおり、上唇を底辺として鼻までの三角形の部分に起こる感覚を観察するが、まったく何もわからない。
 瞑想ホール内は男女別に分かれているが、エリアが分かれているだけで、男女間に壁はない。いちばん前にアシスタントティーチャー(AT、ここでは先生と書くことにする)の座る場所が少し高くなっており、その両側にスタッフ(奉仕者)が数名、先生のほうを向くように座っている。生徒は先生のほうを向くように座り、古い生徒が前のほう、新しい生徒が後ろという配置のようだ。ここダンマーディッチャの定員は男女各15名で、そこに奉仕のスタッフ数名が加わる。
 あまり集中できないまま、しだいに明るくなってきた。6時少し前に先生がやって来て、ゴエンカ氏の詠唱が流れる。パーリ語の発音が聞き取りにくく、何度聞いても「た〜か〜さ〜ご〜や〜」と能の節回しを思い出してしまう。最後に「パッヴァトゥ、サーバァ、マンガラン」(生きとし生けるものが幸せでありますように)と3回唱え、古い生徒が「サードゥ、サードゥ、サードゥ」(よくおっしゃいました)と返礼して、朝の瞑想が終わった。

 6時半から朝食をとり、昨日と同じようにテントで休む。8時からグループ瞑想。同じように、上唇を底辺として鼻までの三角形の部分に起こる感覚を観察しなさいと言われる。息が鼻の下に当たる感覚とか、鼻の奥がむずむずした感覚とか、いくつか例を挙げられるが、そのどれもまったく感じない。9時になって休憩を挟み、11時まで瞑想が続く。感覚はまったく感じられないが、呼吸への集中はだいぶできるようになった。
 朝のグループ瞑想のときに、心がどこかに行ってしまう時間が3分以内であれば、特に問題ないと言っていた。5分以上も空想しているときは、呼吸を少し強めにして戻るきっかけを作る。先生は「気がついたときにしか戻れませんから」と言う。けれども、集中はできるのだが、呼吸を強くしても皮膚感覚は何もない。

 昼食と休憩のあと、13時から再び瞑想が始まる。ほかの人たちはどんな感覚を感じているのだろうか? あまり集中できなくなったので、一度テントに戻って、鼻息を思いきり強くして試してみる。それでも皮膚感覚は何もない。指や手を鼻の近くに持っていくと風の流れは感じるのだが……。
 14時半からのグループ瞑想が終わると、そのあとの瞑想時間に先生の前に呼ばれて、呼吸の流れを感じるか、三角形の部分に何か感覚を感じるか、心の平静さはどうかなどを確認される。新しい生徒は僕を含めて男性は4名だったが、すでに昨日ひとり帰ってしまった。
 話ができないのでほかの人がどういう状態なのか、このときに少しわかることになる。男性側は同じように感覚はほとんどないようだ。ちょっとほっとする。一方、女性の新しい生徒たちは、鼻の入り口が熱くなったとか、上唇に風が当たる感じがあるとか、入ってくる息は冷たく出て行く息は温かいとか、鼻の奥がむずむずするなど、それぞれの感覚があるようだ。
 17時のティータイムでは、同じようにパナナとリンゴを食べる。シャワーを浴びてすっきりしたあと、18時からのグループ瞑想に入る。ゴエンカ氏はあいかわらず、入ってくる、出て行く、入ってくる、出て行く……自然な息の流れを感じ、ピリピリした感覚や温かい空気の流れを感じとりなさいと言っている。「もし感覚を何も感じなくても、落ち込むことなく、負けたような気持ちになることなく、ほほえんで続けなさい」と言うが、こんなに集中しても感覚を何も感じない自分の鈍感さが嫌になってしまう。
 夜のグループ瞑想が終わり、19時から講話が始まった。

 二日目が終わりました。
 一日目よりは少しましだったでしょう。
 けれども、まだまだ大変です。
 野生の牛や象のように、心は野放し状態で落ち着きがありません。
 しかし、訓練しだいでは役に立つようになります。
 私たちの心も、訓練することで役に立つのです。

 ブッダが説いた法(ダンマ)は、次のように簡潔に説明できる。

 例えば、ほかの人のやすらぎと和を妨げる行ないは、悪い行ない。ほかの人を助ける、ほかの人にやすらぎと和をもたらす行ないは、善い行ない。これが、悟った者すべての教えである。(ダンマパダ 一八三)
 このダンマは八つの聖なる道「八聖道」と呼ばれ、この道を歩む人はだれでも、清らかな心の持ち主、聖者となれるという。八聖道は大きく分けて、シーラ(道徳律)、サマーデイ(集中力、心のコントロール)、パンニャー(智慧、心を浄化する洞察力)に分けられる。シーラとサマーディだけでは心の奥深くにある汚れを取り除くことはできないらしい。最後のパンニャーを培う修業(ヴィパッサナー)によって、心を完全に浄化するというのだ。

 八聖道のうち、正しい言葉、正しい行為、正しい生計(仕事)がシーラ(道徳律)に入る。ほかの人を傷つけたり、ほかの人をそそのかすような仕事は正しくないということになる。お酒を飲んではいけない戒律があるので、その考え方でいくと酒屋さんもダメということになる。生き物を殺してはいけないという戒律があるので、肉屋さんもダメである。
 そして、正しい努力、正しい知覚(気づき)、正しい集中力の三つがサマーディ(集中力、心のコントロール)に入る。正しく修業を続けていると、意識した呼吸によって精神集中でき、自然な肉体感覚を連続的に感じ取れるようになるそうだ。

 みなさんは、五つの戒律を守るシーラの修行によって
 しっかりとした土台を固めました。
 また、渇望や嫌悪を抱くことなく、
 この瞬間の真実に集中することによって、サマーデイを育んでいます。
 さらに心を鋭くするために、修行を続けなさい。
 そうすることによって、四日目にパンニャー(智慧)の領域に入り、
 心の深い部分に触れるときが来るでしょう。

 講話が終わり、最後の瞑想で翌日の課題が出される。今度は意識する範囲をさらに狭くし、鼻の穴と上唇の間の小さな三角形にする。けれども大きな三角形でも何も感じないのに、小さくするということさえ、意識をうまくコントロールできない。昨日の喜びも束の間、今日は感覚を感じられないことに落ち込み続けた一日だった。こんな調子でこの先ついていけるのだろうか。
 21時に瞑想が終わり、そそくさとテントに戻って寝る。

イラスト|マシマタケシ

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